2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

八幡堀

近江八幡にある八幡堀は、関白になった 豊臣秀次が琵琶湖の八幡山に 城下を造成した事に始まります。 琵琶湖と城下を繋ぐ水路として造られ、 琵琶湖を往来する船を、城下まで寄港させることで、 城下は大いに賑わいました。 八幡堀 しかし城下の繁栄は続きま…

長屋門~臼杵市

臼杵市は豊後水道に面した城下町で、 その昔、大友宗麟が臼杵城に籠り、 島津軍の猛攻を凌いだところです。 また、臼杵の石仏、磨崖仏でも知られ、 多くの観光客が訪れます。 そんな城下町の片隅に、崩れかかった 長屋門を見つけました。 長屋門 長屋門とは…

追廻門~和歌山城

和歌山城は、豊臣秀吉の弟秀長が、 紀州平定(1585年)後に 虎伏山に建てた城です。 城主は桑山、浅野と変わり、 五十五万五千石で徳川頼宣で入り 徳川御三家、紀州藩となりました。 和歌山城 追廻門 馬を追い回した門ですが、赤く塗られています。 東京…

蒲酒造場~飛騨市

岐阜の飛騨市の白壁土蔵の街を訪れた時 かなり強いアルコールの香りがした記憶があります。 老舗の酒造所の蒲酒造場で、白真弓、やんちゃ酒の蔵元でした。

諏訪~高島城

過って、諏訪湖に張り出して造られた城でしたが、 江戸の初めに干拓が進み、今は諏訪湖から遠くなりました。 慶長3年日根野高吉によって築かれました。 高島城 明治になって、堀と石垣を残して、取り壊され、 今ある天守や櫓は昭和になって作られたものです。

新勝寺参道

成田山新勝寺の参道には、 鰻屋を初め飲食店、お土産屋さんなど たくさんのお店が軒を並べています。 藤倉商店は竹細工、木工品、籐製品の昔懐かしお店でした。

柳井市~山口県

山口県東部に位置する柳井は、 瀬戸内海に面しています。 江戸時代は、岩国吉川家の領地として、 吉川家の御納戸と言われていました。 柳井 白壁の商家が軒を並べる、古い町並みがありました。

トンバイ塀のある風景~有田

有田の陶器市が開催される表通りから 少し中に入った、狭い裏通りに、 トンバイ塀の通りがあります。 トンバイ塀のある裏通り トンバイ塀とは焼物の窯の廃材を塀に使ったものです。 この通りにはやきもの工場があります。

飛騨高山~三町筋

岐阜の高山には、金森長近の城下町がありました。 その後、幕府の代官所が置かれました。 そんな高山の古い町並みの三町筋は、 少し狭い道と軒の張り出した独特の家屋がありました。

道後温泉~松山

日本三古湯に数えられる 愛媛県松山市の道後温泉は 万葉集にも納められた古い温泉です。 今は重要文化財になっている道後温泉本館は、 木造3階建ての共同浴場です。 道後温泉本館 周りに高い旅館が建っています。

美濃市~うだつの上がる街並み

美濃市は岐阜県の中央部にある街で、 長良川が南北に流れています。 美濃和紙の産地として知られていて、 古くからの街並みのうだつの上がる 街並みがあります。 うだつの上がる街並みから少し中に入った路地には 高い塀と黒漆喰の土蔵のある邸宅がありまし…

尾道

尾道は広島県南東部の瀬戸内海に面しています。 古くからの海運の集散地として栄えました。 また、文学、映画の舞台として取り上げられています。 そんな尾道は、平地が少なく、山に向かって、住宅地が伸びています。 坂の街として知られる尾道は、日が当た…

八丁蔵通り~岡崎

愛知県の中央部の矢作川の流域に岡崎城があります。 城から八丁離れた矢作川のそばに、 八丁味噌の味噌蔵とお店がありました。 八丁味噌は、大豆と塩を原料に、2年間の長期熟成され ます。味噌樽に原料を入れ河原の石を山ほど積み上げ 2夏2冬醸造されます…

大川内山~伊万里

佐賀県の西部、海に面した伊万里には、港があり、 そこから、磁器を輸出していました。 また、伊万里の街からかなり離れた 三方山に囲まれた郷には 江戸時代、鍋島藩の窯がありました。 大川内山 道は山に向かい、細くなりながらも、焼物を焼く窯元が続きま…

長浜散歩

長浜の駅前通りに、開知学校跡の石柱が建つ場所に、 和菓子のお店の藤木屋さんがありました。 開知学校は明治7年人材育成のため市民の寄付で出来た学校です。

小江戸、川越散歩

昔川越藩の城下町であった川越には、 川越市役所から東に行った所にお城があります。 お城には堀もあったのですが、今は埋められて、 さらに平城なので、どこからがお城か判りません。 だけど、本丸御殿が残っているのは、川越と高知 だけです。 本丸御殿

街道がはしる町~五條新町

奈良県の五條市に過って紀州街道が通っていた、 五条新町がありました。 江戸時代、五條は、幕府の代官所があり、穏やかな 日々が続いていました。 幕末になると、大きな事件が発生しました。 それは、天誅組が五條の代官所を襲い,代官鈴木正信 を殺害しま…

奈良井宿~中山道

長野の塩尻市にある奈良井宿は、 旧中山道の宿場町でした。 木曽路にある11宿の中で、 一番標高が高く(900メートル) 難所の鳥居峠を控え、 たくさんの旅人で栄え、 奈良井千軒を言われた宿場町でした。 奈良井宿 もうすぐ、あのお山を白く染める雪の季…

荒城の月のお城

荒城の月は、土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の中学唱歌ですが、 モデルになった城は、違うみたいです。 土井晩翠は故郷の仙台青葉城で、滝は、大分県竹田市の 岡城址かもしれません。 戦国の昔、島津の九州制覇の猛攻を耐え、落城しませんでした。 しかし、岡城…

西郷隆盛像~鹿児島

上野の恩賜公園の南の端に、犬を連れた、 野良着の着物を羽織った西郷隆盛像があります。 これは、国に帰って、愛犬のツンを連れ、 ウサギ狩りの姿と言われています。 お国の鹿児島には、陸軍大将の軍服を身に着けた 厳つい像があります。 写真嫌いの西郷さ…

臼杵石仏

大分県の豊後水道に面した臼杵市には 平安後期から鎌倉時代にかけて造られた 磨崖仏が点在します。 磨崖仏とは、岩壁に直接彫られた仏像です。 古園石仏大日如来像 今は4つの石仏群に分類されています。 ホキ石仏第一群・第二群、山王山石仏、 古園石仏で、…

竹原

広島県の東部の瀬戸内海沿いに、竹原があります。 毛利家が中国を席巻していた頃は、小早川家の領地でした。 江戸の後期には塩田による塩の生産が盛んになって、 北前船の交易で栄えました。 そんな竹原の古い町中に細い路地がありました。

佐原街並み

千葉県の北東部にある香取市の佐原には、 小野川沿いに古い町並みがあります。 それと交差する県道55号線ぞいにも、 大きな屋根と分厚い壁に、2階の防火扉 の中村屋乾物店がありました。 防火扉には、何か書いてありましたが、読めません。 鰹節、乾物類…

佐賀城~鯱の門

佐賀県の中央部に、明治維新の薩長土肥の 佐賀鍋島藩がありました。 江戸末期にはどの藩も財政は火の車で 借財が積み上げられていました。 佐賀鍋島藩も商人に払う金がなく、大名行列 を押し留められ、借金の催促を受ける有様でした。 10代の鍋島直正は、…

松山城

愛媛県松山城は、豊臣秀吉の家来であった 加藤嘉明が関ヶ原の功で松山二十万石に 加増されて、築いた城です。 加藤家はその後、会津に転封となり、子の代で 改易になりました。 その後松山は、蒲生家と続き、松平家が明治の前まで続きました。

東長寺~博多

博多の築港から博多駅を結んでいる大博通りに、 弘法大師が唐から修行を終え、 帰国して大同5年(806年)建立したと 伝えられる東長寺は、真言宗のお寺です。 大博通の喧騒があるものの、静寂の境内には、 五重の塔、六角堂、本堂、大仏殿がありました。…

足助宿~三州街道

三州街道は三河の国から信州塩尻 まで結んでいました。 三河湾で採れた塩を矢作川を使い、 舟で足助まで運び、馬の背に積み替えて 長野の塩尻まで運んでいました。 塩の道でした。 足助宿

妻籠宿~旧中仙道

馬籠宿から山道を登り、馬籠峠から旧中仙道 の石畳は杉林の中に、消えて行きました。 ここからは下坂で、妻籠宿に下っていきました。 妻籠宿 松代屋前 旅の宿が松代屋、下嵯峨屋と続いていました。

ひろめ市場~高知

もう十年前になるかもしれないのですが、 高速道路が千円で利用できる時期がありました。 そこで、四国まで足を延ばすことになりました。 長崎道、九州道、山陽道と乗り継いで瀬戸大橋で四国に入りました。 確か、瀬戸大橋は別に千円で、四国道も千円で、行…

五條新町~旧紀州街道

奈良県と大阪府と和歌山県の県境に五條市はあります。 吉野川(紀の川)の流域に、大和と紀伊の国を結ぶ 紀州街道が通っていました。 関ヶ原の功で二見に城を築いた、松倉重政が五條村と 二見の間の城下を振興しました。 紀州街道、五條新町 その後、松倉家…