2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧
今は岐阜県中津川市にある馬籠宿は、 中山道69次の宿場です。 木曽路にある11宿の一番南にある宿場です。 宿場は尾根道の途中にあるので、 石畳の街道も坂道になっています。 馬籠宿 馬籠茶屋前 この宿場の本陣跡には、 島崎藤村の記念館が建っています。…
今年の大河ドラマが、西郷さんという事で、 薩摩と大隅と日向の一部を支配した、 77万石の島津家の本拠地は、鹿児島市にある 鶴丸城(鹿児島城)でした。 今は、お堀と西南戦争の弾痕が残る石垣が 当時の威容を残しています。 鶴丸城 廃城前の古写真には、…
伊勢神宮からの帰り、奈良の五條に向かう途中、 室生寺の看板を見つけました。 室生寺の国宝の五重の塔が、台風の影響で、 倒木の直撃を受け被害を被ったのは、 もう20年前の事でした。 しかし、その時はあの時のお寺だと思いました。 奈良県も三重県に近…
佐賀県の西部にある有田町は、古い焼き物の里です。 17世紀初め、ここで日本初の磁器が焼かれました。 その後佐賀藩により製磁生産がさかんになり、 有田千軒と呼ばれました。 そんな有田の街で、4月から5月のゴールデンウィーク の期間中に開催されるの…
今は愛知県の豊田市になっている 足助には、長野県塩尻とを結んでいた、 三州街道が通っていました。 足助 右側にお天王はんの社がありました。 鈴木商店の前が三州街道です。 街道を横切るとその先は普光寺に出ます。
滋賀県は長浜市の街中には、 北国街道が通っていました。 その北国街道と長浜城から来た大手門通りと ぶつかった所が、札の辻です。 江戸時代から、街の中心で、高札が立っていました。 旧第百三十銀行 明治になってからこの地に、第百三十銀行長浜支店が建…
京都の祇園を南北に横切る花見小路は、 三条通りから、安井北門通りまでの 距離にして、およそ1キロの通りです。 北の三条通りから四条通りまでは、 ビルの立ち並ぶ、居酒屋街で、 南は八坂神社のある四条通りから、 建仁寺までは、 お茶屋や料理屋の立ち並…
千葉県の北東部のもう少し行ったら茨城県という 利根川沿いに、佐原があります。 水運の関係で繁栄して、小野川沿いに風情のある 古い町並みを残しています。 その小野川と県道55号線が交わる所に、忠敬橋があり 周辺には、伊能忠敬旧宅や旧油惣商店などの…
長野県の諏訪湖の周辺に 4か所の境内を持つ諏訪大社は、 信濃国一之宮で、神位正一位の神社 です。 御祭神の諏訪明神は、古くは風水の守護神で、五穀豊穣を祈る神、また武勇の神として、広く信仰されて、東国第一の軍神として、坂上田村麻呂や源頼朝、武田信…
江戸時代、三河湾の塩を信州塩尻まで 運んだ道の三州街道の宿場足助には、 塩問屋がありました。 馬の背に負わせて運ぶ、中馬での 輸送でした。 三嶋館 この建物は、以前は呉服店でしたが、明治になってから旅館に変りました。 このように家業を変え、生き残…
岐阜県の美濃市は、 長良川が流れる穏やかなところです。 市内にうだつの上がる街並みがあります。 うだつは、屋根に施された防火用壁のことです。 うだつが上がるという事は、それを施すことが出来る富が あるという事でしょうか。 うだつの上がる街並み 通…
京都の西本願寺の北東の角に太鼓楼があります。 幕末の京都で、壬生浪士隊として 発足した新選組が、池田屋騒動以後、 隊員が爆発的に増え、壬生寺では手狭で、 ここ太鼓楼と北会所に移り、新選組本陣の看板を掲げました。 西本願寺太鼓楼
琵琶湖の北東部にある長浜市は、豊臣秀吉が信長公 より領地を貰い、初めて城を建てた 地として知られています。 そんな古い長浜の城下町を歩いて見ました。 北陸本線の長浜駅から東に歩くと 元浜町の交差点がありました。 そこを南に曲がり、もう一度西にま…
江戸時代後期の安政5年(1858年) 修好通商条約により、長崎は開港場となり自由貿易が行われました。 明治41年(1908年)に完成した英国公使館は、 市内電車道沿いにあります。 旧英国公使館 煉瓦の積み方も英国式です。今は、修復工事中で中には…
新勝寺の門前町の朝は始まっていました。 新勝寺の総門から程近い、 少し登り坂になる所に立っていると、 白い蒸気と鰻の匂いが朝の始まりを 告げていました 新勝寺門前町
連雀のホテルから蔵造りの町並みに行く途中、 大正浪漫夢通りを歩いて行くと 木造の3階建てのお店がありました。 1階は鰻屋さんで、2階3階部分は住居になっているみたいでした。 北隣は、伊勢源の看板を掲げた、 多分お酒やお味噌、醤油を商っている店舗…
高山さんまち通りにある古い町並みは、 古民家を改造した店舗が軒を並べています。 元々は、金森長近の城がある城下町でした。 江戸初期に、幕府の直轄領となり、代官所が置かれました。 今は、飛騨の小京都と賞されて、国内はもとより外国人の 押し寄せる人…
長崎にあるオランダ坂は、 ガッカリ名所の一つとされているそうですが、 私には、よく解かりません。 入り口の活水女学院は、日本で最初の女子の學校です。 石畳の坂道は、脇道の坂道が合流して、重層に見えます。 坂道から下を見ると、東山手の洋館群の屋根…
伊勢から奈良の五條を通り、和歌山まで 紀伊半島を横断するルートで車を走らせました。 伊勢神宮の帰り、室生寺に寄ったりしたので 随分時間がかかりました。 五條に着いたのは、夕方になってからでした。 五條は、江戸の初め、松倉重政の島原転封後は天領と…
福岡県の北の果て、北九州の門司も 随分変わったなと思っていました。 小倉から門司に行くとき通った 狭い電車道は無くなり、 車だけが走る道になりました。 門司港の煤けた古い建物も、おしゃれな街の一部となりました。 門司港レトロ地区
清水寺から松原通りを産寧坂で降りて、 三年坂美術館の先の曲り角を二年坂に曲がらずに、 まっすぐ行くと、八坂の塔(法観寺)が視界に入って来ます。 八坂の塔 この周辺はいるとこの塔が目に入るので、 ラウンドマークタワーになっています。 画は、八坂の…
三州街道は、中山道の脇往還として、 三河湾で採れた塩を、塩尻まで運んでいました。 岡崎~足助~飯田~塩尻という行程です。 馬の背に荷物を載せ運ぶので中馬街道とか 塩の道と呼ばれていました。 岡崎から足助を通って飯田までを足助街道 飯田から塩尻ま…
伊勢神宮の参道のおはらい町通りを歩いて行くと、 多分民家と思しき立派な邸宅がありました。 おはらい町通り 屋根の上に明り取りか、湿気逃がしか解りませんが、 小さな屋根があり、狭い通路の隣には蔵が有りました。
名古屋の緑区にある有松には、 東海道が通っていました。 東海道が整備された頃は、 丘陵が広がる松林でしたが、 藩の推奨で、移住が進み、 お茶屋が出来ましたが、 まだ桶狭間村の一部でした。 その後、絞り染めの技術が、流入し、 産業化して、なまこ塀に…
寺社仏閣を中心として形成された町です。 参道沿いに、参拝客相手のお店が並んでいます。 新勝寺門前町 新勝寺にほど近くの3階建ての建物は、 望楼が高く聳えています。 大野屋旅館と書いてありますが、 一階のお店は鉄砲漬けを商っていました。
川越は十万石の城下町で、 江戸情緒を今に残す、古い蔵造りの街並みが残っていました。 平日でも観光客の途絶えることはありません。 蔵造りの町並み 近くに江戸時代に造られた時計台、時の鐘や、菓子屋横丁があります。
商店街を歩いて行くと、 かなり先に、お寺の山門のような 大きな屋根が見えてきました。 平日の朝は、まだお店も開いてなく、 人通りもまばらなこの通り歩いて行くと、 突き当りに長浜御坊の山門が見えてきました。 長浜御坊 真宗大谷派の別院で、正式には無…
長野県塩尻市にある旧中仙道の奈良井宿は、 木曽路11宿の中で北から2番目の宿場です。 およそ1キロに渡り、江戸から明治にかけての建物が、 往時のままに立ち並んでいます。 宿場の古い家屋は、今も、信州そばやおやき、 五平餅などのお店として使われて…
長崎の街中にある眼鏡橋は、 人気の観光地ですが、 この橋は寛永11年(1634年) 興福寺の住職によって架けられました。 中島川の氾濫の度に流される橋を見かねて 石造りの2重アーチ橋を、中国の石工を呼び寄せて 造らせました。 中島川に架かる眼鏡橋 頑丈…
愛知県岡崎市のお城から、旧東海道の国道1号線を 西に行くと矢作川に出ますが、 その手前、愛知環状路線の電車の高架横に カクキュウの八丁味噌店舗工場があります。 その裏通りが、八丁味噌蔵の立ち並ぶ、八丁蔵通りです。 八丁蔵通り 八丁味噌は、江戸時代…