2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

東大寺大仏殿

758年の大仏殿の竣工以来、聖武天皇の 鎮護国家の願いも空しく、律令国家の矛盾が 露呈しました。 そんな東大寺は2回の兵火に遭い 大仏殿を始め焼失し、その都度再建されました。 1回目が1181年の平重衡の南都焼き討ちで 2回目は1567年の三好・松永の戦いで…

豊前街道山鹿宿

豊前街道は、肥後熊本から豊前小倉まで40里あります。 途中に山鹿、南関、などの宿場がありました。 山鹿宿は、熊本の北にあり、 菊池川を渡ると、惣門がありました。 この場所は、菊池川の水運と豊前街道が交差する場所で、 物資の集散地として米蔵や酒蔵が…

小諸城大手門

長野県小諸市にある小諸城が 今のような構えになったのは、 仙谷秀久の改修によるもので、 天守もあったようですが、 火災で江戸時代に焼失しました。 千曲川を天然の防御とした小諸城ですが 今に残るのは、石垣と大手門と三之門だけです。 明治になって、こ…

合掌造りのお寺~明善寺(白川郷)

本堂と庫裏、それに山門まで 茅葺きの合掌造りのお寺が、白川郷にありました。 延享5年(1748年)創立の浄土真宗の明善寺です。 行った当時は、5月の田植えの時期でした。

有松~旧東海道

信長の桶狭間の戦いで有名な桶狭間村は、 今は名古屋市の緑区になっています。 東海道が整備された江戸の初め、桶狭間村の一部 だった有松は、藩の振興策で移住が進み、絞り染めの 技術が定着して、豊かな商人の蔵や店舗が軒を並べる 町に変わりました。 有…

トンバイ塀のある風景~有田

いつも有田陶器市があっている通りから、 少し入り込んだ裏通りに、トンバイ塀の通り がありました。 トンバイ塀とは、焼き物を焼く窯の廃材を再利用して 出来た塀で、焼き物の町有田ならではのものです。

北国街道海野宿

北国街道は中山道の追分から分かれて、 小諸、海野、上田と進み、善光寺を経て 直江津で北陸道と合流していました。 海野宿の前を、参勤交代の大名行列、善光寺の参拝客 または佐渡の金の荷車が通っていました。

正上醤油~佐原

今は香取市になっている佐原の小野川沿いに 寛永12年の創業で当時は油屋で、天保3年からは 醤油屋を営んで居る正上醤油店 今では、いかだ焼き本舗として 佃煮屋もやっていました。

伏見稲荷

京都伏見の稲荷山のふもとに本殿がある、 伏見稲荷は全国に3万社ある稲荷神社の総本社です。 稲荷神は五穀豊穣を司る神でしたが、時代が下ると 商売繁盛、家内安全、交通安全、芸能上達の神として 信仰されています。 稲荷山全体が御神域となっています。

鞆の浦

広島県の東部の瀬戸内にある鞆の浦は、 古代より潮待ちの港として知られていました。 そんな港には、古い港町がありました。 港に向かう狭い路地には、杉玉をぶら下げた保命酒の店 があり、その先には、七卿落ちの太田家住宅がありました。

飛騨高山

岐阜県の飛騨地方にある高山は、 東に飛騨山脈、西に白山山地に 囲まれた盆地にあります。 江戸時代以来の城下町で、古い商家の 町並みが残ります。

卯之町~西予市

愛媛県の南西部にある西予市は、 宇和海に臨む温暖な気候の町です。 戦国時代、西園寺氏の城下町で、その後 在郷町として栄えた卯之町は、宇和街道の宿場、 四国四十八箇所の明石寺の門前町としても 栄えました。 古い町並みが良く保存されています。

美濃市うだつの上がる町並み

長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃和紙の産地で知られています。 そんな美濃市は長良川沿いの小倉山に お城がある城下町でした。 お城にほど近い場所に、うだつの上がる町並みがありました。

錦帯橋~岩国

山口県岩国の錦川にかかる錦帯橋は、 1673年、岩国藩主吉川広嘉によって造られました。 木造の五連のアーチ橋で全長はおよそ二百メートルです。

ベンガラの里、吹屋

お宮さんや神社の建物は、大抵赤く塗られています。 今はどんな塗料で塗られているかは、解りませんけど 江戸の昔、このような赤の着色料は弁柄(ベンガラ) が使われていました。 そのベンガラを産出した鉱山が岡山県にありました。 高梁川を遡り、西の山中…

東寺 金堂

京都の九条通にある東寺は、平安京鎮護の官寺として 建てられましたが、嵯峨天皇により空海に下賜され 真言密教の根本道場として栄えました。 九条通から南大門を潜ると、金堂が目に入ります。 ここには、本尊の薬師如来坐像と日光菩薩像、 月光菩薩像などが…

京町家~新町通り

京都の東本願寺の西側の通り新町通りを、 東本願寺の入り口を探して歩いて行きましたが、 この通りからは、東本願寺には行けないみたいです。 方向的にはこの町屋の裏が東本願寺なのですが、 この町屋の横の路地はすぐに行き止まりになるみたいです。

銘品堂~有田

焼き物の郷有田を歩いていると、 銘品堂と看板を上げたお店がありました。 ここは、焼き物の町に必要な、 顔料、窯、釉薬を扱う陶芸材料の店です。

飛騨高山

東側を飛騨山脈に、西側を白山山地に 囲まれた盆地にある高山は、 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で、 古い町並みが残っていました。

佐原~北房総

小野川沿いに古い商家の町並みを残す佐原は、 北房総にありました。 小野川にかかる忠敬橋はこの地の偉人 伊能忠敬からとられました。

竹原の古い町並み

広島県の東部の瀬戸内海の港町竹原は、 室町時代より港町で知られ、江戸の後期からは 塩田の塩の生産が盛んになり、遠く江戸大坂に 北前船で運ばれていました。 一直線に伸びた通りの先に、お宮さんがあり 桝形を成して続いています。

鳥居前町~伊勢神宮内宮前

お寺の三門の前に出来た町が門前町で、 神社の鳥居の前に出来た町を鳥居前町と 云うようです。 伊勢神宮内宮前の鳥居前町おはらい町は 宇治橋から五十鈴川沿いにおよそ八百メートル続く 石畳の通りで、伊勢独特の切妻、入母屋、妻入り様式の 家屋が軒を連ね…

御手洗~大崎下島

江戸時代、北前船の寄港地で、 賑わった瀬戸内海の大崎下島に 御手洗はありました。 御手洗という名からして 神功皇后がここで手を洗ったという伝説から ですし、ここを訪れた歴史上の人物は、 菅原道真、加藤清正、シーボルト、吉田松陰、七卿 中岡慎太郎、…

和歌山城

和歌山県は、紀伊半島の西側から南を 包み込むような形をしています。 県庁所在地の和歌山市は紀ノ川の南にあり、 思い切り北に寄っています。 この土地を支配したお城が 和歌山の虎伏山にできたせいでしょうが 紀州平定を遂げた豊臣秀吉は弟秀長にこの地を…

関宿~旧東海道

東海道53次の47番目の宿場町 関宿は、鈴鹿山脈の山裾にありました。 ここは江戸末から明治の初めにかけ造られた 町屋が200軒以上現存します。 関宿は古代から交通の要衝で、 日本三関の一つ鈴鹿の関が置かれていました。

五條新町の黄昏時

奈良県の南西部にある五條市は、 伊勢街道が通る新町通りに 古い町並みがありました。 ここは慶長13年松倉重政が二見城主となり、 城下町として整備した町です。

伏見城

京都の伏見の山の中にある城は、 豊臣秀吉の城でも徳川家康が再建した城でもなく 遊園地が昭和になってから作った城でした。 その遊園地も解散して、伏見桃山運動公園となっています。

ねねの道~京都

織田信忠をまつる大雲院から 豊臣秀吉の妻ねねが建てた高台寺までは ねねの道と呼ばれています。 料理屋さんなどがあり、落ち着いた感じでした。

佐原~北房総

北房総の利根川沿いに、水郷で知られた佐原があります。 ここは、小野川の両岸に古い商家の町並みを残します。 江戸時代、東北の物資が利根川経由で、江戸に入るときは、 佐原の小野川沿いの商人が、中継しました。 サ

蔵造の街並み~川越

川越の蔵造の町並みを歩いて行くと、 ひと際大きな屋根と分厚い壁の 商家の建物がありました。 屋号がマチカンで、宮岡刃物屋さん、 やまわで、陶器専門店でした。