2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

赤穂城~播州

赤穂浪士の故郷は、播州赤穂です。 兵庫県の西の端の瀬戸内海に面する赤穂は ブランド塩の生産地で、藩財政も豊で、 五万石位の藩なのに、城は相当な造りでした。 大手隅櫓に沿って、右に曲がると大手門の高麗門がありました。

石見銀山の鉱山町、大森

戦国時代後期から江戸時代前期に最盛期を迎えた石見銀山は 日本最大の銀山で、その当時日本は、 世界の産出量の三分の一を占めたと推察されます。 石見銀山を支えた大森の町には、代官所が置かれ 鉱山を支える様々な職人が住んでいました。 石見銀山の鉱夫の…

うだつの上がる街並み~美濃

長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃和紙の産地で知られます。 そんな美濃市は、江戸時代小倉山に城のある 城下町で、商人町のうだつの上がる街並みが 残ります。 うだつとは、屋根に上げた類焼防止装置です。

さざえ堂~会津若松

会津若松の町から少し離れた飯盛山に, サザエ堂で知られる、正式には円通三匝堂と言って 六角三層のお堂で、西国三十三観音を安置して このお堂をお参りすることで、西国三十三観音詣でを することが出来るという趣向でした。 お堂の中は、二重の螺旋スロー…

内子町~南予

愛媛県の南部の南予地方にある内子町は、 江戸時代後期から明治にかけて、木蝋の生産が 全国生産の三分の一を占め、木蝋で栄えた町です。 木蝋とは、一言でいえばろうそくのロウの事です。 芳我家は木蝋業者の筆頭で、明治時代には 旭鶴の商標で輸出もおこな…

佐原川岸通り

千葉県の利根川に接する佐原は、江戸時代、 東北の物資が江戸に利根川経由で入る場合、 小野川沿いの商人が仲立ちをしていました。 そんなわけで、小野川沿いには 古い商家の街並みが残ります。 ここは綿佐の屋号で、綿や陶器の販売を生業としていました。 …

下嵯峨屋~妻籠宿

旧中山道の宿場町の妻籠は、 木曽郡南木曽町にありました。 この宿場に、下嵯峨屋という宿がありました。 ここは木賃宿と呼ばれる庶民の宿でした。 ここでは、宿泊者が食料を持参して、煮炊きして その木賃として、料金を支払う形です。 部屋は大部屋で、雑…

越前大野城~越前国

福井県大野市に、安土桃山時代に 築かれた城がありました。 越前一向一揆を平定した恩賞で、金森長近が 越前大野で3万石を与えられ、亀山に城を築きました。 急な石段を登った先に、天守が見えました。 二重三階の大天守と二重二階の小天守のある城でしたが…

長屋門~臼杵

大分県の東海岸に臼杵の町はあります。 ここは大友宗麟が、島津軍に攻められて、 当時、島であった臼杵城(丹生島城)に籠って 島津の猛攻を凌いだ所です。 そんな臼杵の街を歩いていると、 建物の真ん中から、向こう側が見える建物がありました。 よく見る…

村田町~宮城県仙南地方

宮城県の南部に位置する村田町は、江戸時代 水運を生かし、仙南地方で、紅花の集散地として発展しました。 村田町の通りには、当時の繁栄を想起される タナグラと呼ばれる、なまこ壁を多く使った 土蔵造りの店舗や豪壮な表門の店蔵が並びます。

諏訪の浮き城~高島城

長野県の諏訪湖の近くに高島城と いう城があります。 この城は、諏訪湖の水面を埋め立てて 諏訪湖に接する城で、諏訪の浮き城と呼ばれ ました。 その後諏訪湖は干拓が進み、今では諏訪湖の水面から かなり離れた城になっています。

崇福寺~長崎

長崎の鍛冶屋町にある崇福寺は黄檗宗の唐寺で 長崎三福寺の一つに数えられます。 赤い三門から境内に入ると 第一峯門があり、大雄宝殿が奥にあります。 第一峯門と大雄宝殿は国宝に指定されています。

越中五箇山相倉集落

富山県の南西にある南砺市の山中の五箇山に 合掌造り集落の相倉集落がありました。 ここは庄川の流域にある集落で、 冬場は豪雪地帯で知られます。 田んぼに囲まれた今では考えられない事ですが、 米があんまり取れないので、紙漉きや煙硝造り、 養蚕が生業…

吹屋~ベンガラの鉱山町

岡山県の高梁川を遡り、西の山中に分け入ると 江戸中期に銅山町として発展し、幕末からベンガラの国内唯一の 産地として、隆盛を極めた吹屋があります。 ベンガラは赤色の発色剤で、陶器や漆器または寺社の建物を 赤く塗るのに使われました。 通りには、ベン…

津和野本町通り

津和野は、島根県の西の端にある 山に囲まれた盆地の落ち着いた城下町で、 メインストリートの本町通りには、 大店の商家が軒を連ねます。 その中でも、造り酒屋が三軒も この通りにありました。

新町通り~近江八幡

JRの近江八幡駅から2キロぐらい北に進むと、 新町通りという江戸末から明治にかけ 建てられた商家の街並みが続きます。 八幡商人は近江商人の中でもいち早く活躍し、 江戸日本橋筋に店を出しました。 近江八幡は、豊臣秀吉の甥の秀次が、八幡山に城を建て …

美山かやぶきの里

京都府の北部にある美山は、由良川の源流が 山々を縫うように流れる、山奥にありました。 ここは、福井の若狭から京都に通じる鯖街道が通る 山間の村で、茅葺の民家が残っていました。 ここで暮らす人々のほとんどが林業に、 携わっています。

大正村~恵那市明智町

岐阜県恵那市明智町にある大正村は、 正式には公益財団法人日本大正村といって 古き時代の街並みを村ごと保存しています。 左は、村役場だった建物で、正面にあるのが 明治10年竣工の小学校や警察として使われ、いまは絵画館 となっています。

大内宿~下野街道

南会津の下郷の山の中にある大内宿は、 日光の今市と会津を結ぶ下野街道(西会津街道)の宿場でした。 ここは、町からは離れた、半農半宿の宿場で、 今でも30軒程の茅葺屋根の宿が残ります。 昔旅籠だった茅葺の建物は、蕎麦屋や土産物屋として 使われてい…

奈良町~古都奈良

平城遷都の下京として、寺院が置かれた奈良町は 中世以降は、元興寺の境内に、様々な手工業者が住み着き 有力な商工都市となっていきました。 先の大戦で、空襲を受けなかったので、細い路地に 古い町屋が立ち並ぶ街並みが残されました。

中津川宿

中津川宿は、旧中山道の宿場町で、 美濃国中津川村にありました。 ここは、木曽の入り口に位置し、 尾張藩重臣の山村甚兵衛の知行地で 代官所もありました。 街道は、中津川宿の中で直角に曲がる、 升形になっていました。

長浜城~北近江

北近江平定の恩賞として旧浅井領を 拝領した羽柴秀吉は、 琵琶湖の接する長浜城を築きました。 関ヶ原後に、この城は廃城となり、城跡に大通寺が入り、 大通寺はその後、今の場所に移転し、 長浜城跡には今は、コンクリート造りで 市立長浜城歴史博物館が建…

倉敷街並み

江戸時代、幕府の天領で、 年貢米の集散地として発展した倉敷は 倉敷川の両岸に、白壁瓦張りの 土蔵や商家が建ち並びます。 倉敷川から少し中に入った、路地にも格子戸の街並みが続きます。

高山街並み~飛騨

岐阜県の北部にある高山は、白山山地と 飛騨山脈に囲まれた盆地にあり、 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で 古い商家の街並みが残ります。 ここで気づくのは、造り酒屋さんが多いことです。 この白壁の土蔵は、お味噌屋さんの…

東京駅玄関口

大正時代の初めに建設された東京駅は、 赤煉瓦のモダンな建物で、修復工事を経て 創建当時の姿を取り戻しています。 日本を代表するターミナル駅で、プラットホームの数は 日本一多く、34万人以上の乗降客でごった返します。 そんな東京駅ですが、ここだけ…

津和野街並み

島根県の西の端の山の中に、盆地の 津和野がありました。 ここは、江戸時代、亀井家四万三千石の城下町で 山の天辺に城があり、そこから眺めると 津和野川沿いに石州瓦の赤い屋根の城下が整然と並びます。 武家地の殿町通りには、家老や重臣の邸宅が並び、 …

馬籠宿~旧中山道

旧中山道の43番目の宿場町の馬籠は、 山の尾根道に出来た宿場で、町を貫く街道も 宿場町も坂道にあります。 こういう造りの街並みは、一旦火事がおこった場合 消す術がありません。 事実、何回も火事で焼失して、 石畳と升形以外はすべて焼失して その後の…

曹洞宗龍福寺~山口

山陽山陰と北九州の6か国を支配した 大内氏の菩提寺が、山口の大内館跡にありました。 ここは正確には、大内義隆の菩提寺で、大内氏滅亡後に 毛利隆元が建てた寺です。 大内氏は、天文20年陶晴賢が主君大内義隆に対して 起こした謀反で滅びました。

虎屋旅館

四国香川県こんぴら表参道に在った虎屋うどんは、 元は、創業4百年の虎屋旅館で、皇室御用達の宿でした。 その本館が今年になって取り壊されたという事です。 今は通り反対側に、虎屋うどんの看板を掲げた 店舗が営業中です。

大森~石見銀山

石見銀山の鉱山町の大森の町は、 島根県の山の中にありました。 石見銀山が最盛期を迎えた時期、 日本は世界の銀産出量の三分の一を 産出していました。 この町には、代官所跡や武家屋敷、豪商の屋敷や 鉱山を支えた職人の家が軒を並べていました。