2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

竹原古い町並み

室町時代より瀬戸内海の港町として知られ、 交通の要衝となっていた竹原は 江戸時代後期には塩田の塩の生産が盛んになり、 遠く江戸大坂まで北前船で運ばれていました。

近江八幡~新町通り

琵琶湖の東に位置する近江八幡は、 豊臣秀次の城下町でした。 城下町としての繁栄は、秀次の失脚により終わり 商業都市として発展しました。 そんな近江八幡の新町通りには、江戸時代末から 明治かけて建てられた商家が軒を並べています。

まちかん宮岡刃物店~川越

川越の蔵造の街並みの一番街に 大きな本瓦葺きの屋根に、 分厚い壁と、観音開きの防火扉のある 蔵造の店舗があります。 ここは、まちかんの屋号で、刃物店を営む宮岡刃物店です。 外観からは解りませんが、 中に入ると、ずらりと包丁などの刃物が並びます。

高梁市~岡山県

岡山県の中西部にある高梁市は、広島県と境を接し 江戸時代は備中松山藩の城下町でした。 お城は、結構な山の中にあります。 そんな高梁市を高梁川が南北に流れており、 高瀬船が物流を担っていました。 紺屋川が高梁川にそそぐ地点に、 大きな白壁になまこ…

埋木舎~彦根

時の大老井伊直弼は、井伊家当主の 14男として生まれました。 当然、井伊家を継ぐ事は考えられない 三百俵の捨て扶持の部屋住みの身で、 15歳から32歳まで、城堀の外にある 埋木舎と名付けた居宅で過ごしました。

大洲~南予

愛媛県の南予にある大洲市は 肘川の流域にある城下町でした。 おはなはん通りは江戸時代大名行列が通った通りでした。

大原美術館

岡山県倉敷の美観地区にある大原美術館は、 近現代美術中心のコレクションを持つ美術館です。 場所は倉敷川がくの字に曲がって 歩いていくと、ギリシャの神殿を 思わせる建物が建っています。

長崎港

長崎港は、南に開けた港です。 開港は古く、1571年のポルトガル船の寄港以来 450年を迎えました。 江戸時代、長崎港は、日本で唯一、 オランダと中国に限った開港場でした。 4月下旬に恒例の帆船祭りが開催されています。

小牧山城址

愛知県小牧市にある小牧山は 86メートルぐらいの山ですが、 永禄6年(1563年)織田信長が美濃攻略の 拠点として、築城したものです。 信長は美濃攻略が完了後、居城を稲葉山城に移したため 小牧山城は4年で、廃城となりました。 小牧山のてっぺんには、天守…

諏訪高島城

出来た当時は「諏訪の浮き城」と呼ばれた高島城は、 今は諏訪湖の水面から、かなり離れた場所にあります。 この城は日根野高吉が文禄元年から築城を開始し 諏訪湖に張り出した城を建設しましたが、 江戸時代諏訪湖の干拓が進み 今では、諏訪湖から離れていま…

石火矢町武家屋敷~高梁市

石火矢町の武家屋敷は両側に土塀の続く、 二百石前後の武士が住んでいた所です。 旧折井家は、百七十年前の天保年間に建てられました。 路地に面して長屋門があり、奥に書院造り母屋があります

内子町~南予

愛媛県の南部の南予にある内子町は、 江戸時代、木蝋のの生産が盛んで 全国生産の30パーセントを占めました。 当時の繁栄を物語る商家の街並みが残っていました。

合掌造りの民家~白川郷

岐阜県の北部にある白川郷は 庄川の流域にあります。 豪雪地帯で冬場は、雪に閉ざされます。

鞆の浦~瀬戸内海

汐待の港で知られる瀬戸内の港、 鞆の浦は広島県東部にありました。 動力などの推進力が無かった時代、 船は人力、風力,潮の満ち引きによる 潮の流れで動いていました。 その関係で、汐待をする必要がありました。 この店は、もともとは帆船の帆を扱ってい…

古い町並み~岐阜高山

岐阜県の北部にある飛騨地方に、 白山山地と飛騨山脈に囲まれた盆地に ある高山は、江戸時代金森長近の城下町で、 その後幕府の陣屋が置かれました。

仲町~松本

松本は四百年の城下町で、女鳥羽川の南側にある 仲町通りには、土蔵造りの店舗や商家が残っていました。 仲町通りは、主に酒造業や呉服の問屋が集まり 繫栄していましたが 江戸末や明治にかけて大火で 多くの建物が失われて、 なまこ壁の土蔵が造られました。

山鹿宿~豊前街道

豊前街道は、肥後熊本から 豊前小倉を結んでいました。 熊本を出た豊前街道は、北上して菊池川を渡り山鹿の町に入りますが 江戸時代ここには惣門があり、山鹿の町を守っていました。

関宿~旧東海道

東海道の47番目の宿場町「関宿」は、 鈴鹿山脈の山裾にありました。 日本三関の一つに数えられる鈴鹿の関が 名の由来になっています。 今でも伝統的町家が、二百棟以上残っています。

竹原古い町並み

古くは下鴨神社の荘園として栄え、 戦国時代は毛利家の支藩小早川家の領地で、 江戸時代は浅野家の領地だった竹原は、 広島県東部の瀬戸内沿いの港町でした。 江戸後期からは塩田の塩の生産で栄え、遠く江戸大坂まで 北前船で運んでいました。

佐原~北房総

千葉県北東部の北房総に水郷の佐原がありました。 ここには小野川沿いに古い町並みを残します。 県道の55号線沿いにも古い建物が残っていました。

祐徳稲荷神社

有明海の湾奥の鹿島市に、祐徳稲荷神社があります。 ここは三大稲荷の一つで、貞享4年(1687年)に 稲荷神社の分霊を奉祀して創建されました。

旧福岡県公会堂貴賓室

福岡の中州にかかる福博であい橋を 福岡の方に渡ると、木立に囲まれた洋館があります。 ここは旧福岡公会堂貴賓室と言って、 明治42年に来賓の接待所として 建てられた物で、フレンチルネサンス様式の木造建造物です。

三州街道足助宿

三州街道は三河の岡崎から、 信州塩尻を結んでいました。 三河湾で採れた塩を矢作川を使い、 足助まで運び、足助から馬の背に乗せ換えて、 塩尻まで運んでいました。 という訳で、足助には塩の問屋がありました。 三嶋屋は近代まで旅館を営んで居ました。

新町通り~五條市

奈良県の南西部にある五條新町通りに、 新町松倉公園というところがあります。 公園の反対側には、町屋が建っていました。 ここ(公園)は旧領主の松倉重政の碑がありました。 松倉重政は、大坂の陣の功で、 肥前日野江4万3千石に加増になり 島原城を造りま…

妙心寺

京都の右京花園にある妙心寺は、 臨済宗妙心寺派の総本山です。 臨済宗寺院5650寺の中で、 3350寺を妙心寺派の寺院が占めます。 三門、仏殿、法堂などの中心伽藍の周りに 多くの塔頭が立ち並び、西の御所とも呼ばれています。

薬師院~高梁市

岡山県高梁市上谷町にある薬師院は、 花山法皇の開基と云われ、2度の火災で衰退し 備中代官の小堀正次が城下を整備した時 現在の位置に移転させ、高い石垣と庭を造営しました。 正式には瑠璃山泰立寺薬師院といって、 中国と備中の霊場の札所になっています。

妻籠宿

「木曽路はすべて山の中である」 島崎藤村長編小説「夜明け前」書き出し

弘誓寺~五個荘金堂

琵琶湖の東岸にある東近江市の五個荘町の 古い町並みが続く金堂に、浄土真宗の大谷派のお寺がありました。 ここは弘誓寺と言って、弓の名人の 那須与一の孫の愚咄が開基のお寺です。 滋賀県でも2番目に大きなお寺です。

五条本町~紀伊街道

奈良県の中西部にある五條は、 紀伊街道が通っていました。 江戸の初め、二見に城がありました。 その五條本町から二見に街道沿いに、 歩いて行くと、路地があり入り込んでみると また変わった空間が広がっていました。

瑠璃光寺五重塔~山口

瑠璃光寺の五重塔は、国宝になっています。 初め、この地には香積寺が大内氏によって建てられ 25代義弘を弔うために五重塔が建てられました。 その後大内氏は滅亡し、毛利家が香積寺を萩に移した跡に、 陶氏の安養寺(のちの仁保瑠璃光寺)が移ってきました。