2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧
山陰の津和野は、江戸時代城下町で、 殿街には藩の重臣の邸宅が立ち並んでいました。 ここは、家老の大岡家の屋敷門で、 中は鹿足郡役所として大正8年に建てられました。 一時警察署となった後、昭和30年に津和野役場となりました。 本庁舎は、別の場所に…
日本の開国に合わせて、外国人居留地に 壮大な庭園に洋館が建てられました。 今は、長崎の南山手の高台にグラバー園として 数軒の洋館がまとめられて建っています。 旧グラバー邸や旧オルト邸や旧リンガー邸 などの洋館が建っています。
旧中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 木曽路11宿の中でも一番標高の高い所で 難所の鳥居峠を控える宿場で、「奈良井千軒」 と謳われ、賑わった宿場でした。 ここは、奈良井宿の中でも、宿場の外れにあたり この先は高札場や赤い鳥居の鎮神社があり こ…
山口市の旧萩往還に面して母屋が建っています。 ここは、この場所で造り酒屋を営んでいた 野村家で建物の構成は母屋と土蔵そして茶室で 裏には酒醸造所が建っていました。 市の文化財になっており伝承総合センター学び館になっています。
今の福井県の大野盆地の亀山の頂上に、 お城があります。 この城は、雲海に浮かぶ「天空の城」 として知られています。 天正年間に越前一向宗一揆を平定した恩賞として 織田信長が金森長近に大野郡で3万石を与えたものです。 急な石段をかなり登った先の頂…
広島県の東部にある竹原は、江戸時代後期に 塩田の塩の生産が盛んになり、江戸大坂まで 船で運ばれていました。 その塩田経営者はここでは、浜旦那と呼び 竹原の本町通りにその邸宅がありました。 明治5年に建てられた笠井邸は、今では様々なイベント会場に…
備前岡山を南北に流れる旭川が、蛇行した一角に、 岡山城がありました。 その旭川の対岸は、庭園の後楽園があります。 この城は、宇喜多秀家が建てた城で、57万4千石の大大名で 豊臣政権で大老を務めた秀家でしたが、関ヶ原の合戦後 すべてを失い、八丈島…
伊勢神宮内宮前の宇治橋から約八百メートル続く おはらい町の中ほどに、伊勢独特の妻入り商家を移築して 江戸末のおかげ参りで賑わった当時の雰囲気を再現しています。 伊勢うどんに貝時雨、手捏ね寿司、 赤福餅など、伊勢の名物が勢ぞろいです。
千葉県の北部の利根川に接する香取市の 佐原は、水郷で、江戸時代江戸に 東北の物資が入る場合、小野川沿いの商人が仲立ちをしました。 そんなわけで、小野川沿いに古い商家の街並みを残します。 その小野川にかかる忠敬橋は、郷土の偉人伊能忠敬に由来しま…
京都伏見の稲荷山に本殿がある伏見稲荷大社は、 全国各地にあるおよそ三万ある稲荷神社の総本社です。 創建は和銅年間で、初めは農耕の神として祀られ、その後は 殖産興業をつかさどる神として、庶民の信仰を集めました。 現在は、観光地として、外国からの…
上野動物園の南側に、上野東照宮があります。 上野公園は江戸時代、寛永寺の敷地で、そばには 寛永寺の五重塔があります。 東照宮は、徳川家康を神として祀った神社で 日本各地にあるのですが、ここは、寛永4年藤堂高虎が創建して 家光によって今の社殿に改…
河崎は伊勢神宮の参拝客が、伊勢湾を渡りたどり着く勢田川 の河岸で、最盛期の江戸時代には、日本全国から集まる 物資を売りさばく問屋が軒を並べ、勢田川沿いは 土蔵や店舗が建ちなんでいました。 今は古い土蔵を利用して、新しい店が出来ているようです。
かって野辺山の鉱夫が、発見したという 銀山温泉は、江戸時代湯治場として賑わいましたが 奥州街道から離れた山の中の秘湯の温泉地でした。 「おしん」のヒットで、全国的に知られるようになりました。
江戸時代、幕府の天領で、年貢米の集散地として 倉敷川の両岸には、蔵屋敷が立ち並んでいました。 そんな倉敷川が直角に曲がり、大原邸に向かう 川沿いの道に、古い商家が建っていました。 延享1年(1744年)に建てられた商家で、 今は料理旅館つるかたとなっ…
かって北前船の寄港で賑わった、瀬戸内海に浮かぶ島の 大崎下島に御手洗はありました。 ここは大古より歴史に登場し、神功皇后が三韓征伐の折に立ち寄り 手を洗った事から「御手洗」の名があります。 そんな御手洗に足跡を残した人物は、菅原道真、平清盛 加…
山口県柳井市にある、古市金屋の伝統的 建物保存地区は、柳井川の物流輸送で、 古くから瀬戸内海の要衝として栄えました。 そんな古市金屋の街に、今は商家博物館になっている 小田家のむろやの園があります。 ここは、京都の町屋でおなじみのウナギの寝床の…
「小諸なる古城の畔、雲白く遊子悲しむ・・・」 と藤村は千曲川旅情の歌で詠んでいます。 小諸城は佐久地方に進出した武田信玄が 山本勘助などに命じ、築城した城で、 歌にもある通り、千曲川の河畔にある城で 城内が、外の地面より低い城です。 小諸城三の…
岐阜県の北部にある高山は、江戸時代城下町で、 その後幕府の陣屋が置かれました。 そんな古い城下町の面影を残す、商家の街並みが 残ります。 上三之町から、歩いて回ると、ここは南が上で、 北が下になる様で、下三之町が北にありました。 ここ下二之町に…
伏見城は、豊臣秀吉の隠居城として文禄元年から、 指月に築かれました。 この指月城は完成直後の慶長伏見大地震によって 崩壊して、木幡山に、城が築き直されました。 この城で秀吉は亡くなり、徳川家康がこの城に入り 政務をとりました。 関ヶ原の合戦前の…
富山県の南西に南砺市があります。 その南砺市の五箇山の庄川の流域に 合掌造りの民家の里の相倉集落がありました。 ここは、冬場は豪雪地帯で、背丈を越える雪に閉ざされます。 そんな厳しい自然環境に耐え、昔は和紙作りや、養蚕、鉄砲の火薬造り で、冬場…
瀬戸内海交易の要衝として、中世から商業都市として 栄えていた柳井は、江戸時代からは、岩国藩の御納戸と 呼ばれ、商圏は、九州一円から瀬戸内海各地に及びました。 そんな柳井の古市金屋の白壁の街並みに、国森家住宅があります。 国森家の前身は、守屋家…
都内の観光地として、人気のある浅草寺は、 都内で一番古いお寺です。 その縁起は、飛鳥時代隅田川で漁をしてた 漁民の兄弟が隅田川で投網の漁をしていると 網に一体の像が掛かり、その日は、その像しか 他に獲物はありませんでした。 その後像が聖観音菩薩…
千葉県の北東部の利根川に接する香取市に 水郷の佐原がありました。 ここは、東北の物資が利根川経由で、江戸に入る場合 小野川沿いの商人がその仲立ちをしました。 そんな訳で、小野川沿いには古い商家の街並みが残ります。 小野川の忠敬橋の南側にさわら舟…
長崎三福寺は、興福寺と崇福寺と福済寺の黄檗宗の唐寺です。 その一つ、崇福寺は、竜宮城の門を思わせる 赤い三門が印象的なお寺です。 この三門を潜ると、左手の高台に 第一峯門から大雄宝殿へと続きます。 なお 第一峯門と大雄宝殿は国宝に指定されていま…
大分県の東海岸にある臼杵は、大友宗麟が 島津軍の猛攻を、当時島であった臼杵城に籠って 何とか凌いだ所で、江戸時代は美濃から入った 稲葉家の城下町でした。 その城下町に、阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩の丘を 削った、二王座の歴史の道があります。 この…
岐阜県の北部にある高山は、飛騨山脈と 白山山地に囲まれた盆地あり、 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は江戸時代の初めは城下町で、 その後幕府の陣屋が置かれました。 上三之町には古い商家の街並みが残ります。 味噌屋に造り酒屋、料理屋、お…
名鉄名古屋本線の有松駅の南側に、 江戸時代東海道沿いの町、有松がありました。 ここは、東海道が整備される前は、松林の点在する 丘陵でしたが、藩の振興策で、移住が進み、 絞り染めの技術が流入して、豊かな商人の邸宅や蔵が 立ち並び街に変貌していきま…
近江商人のもう一つの故郷の五箇荘金堂は 琵琶湖の東岸にありました。 金堂に、太平洋戦争の終戦まで、 朝鮮、中国、満州で十八店舗の百貨店を抱えた 三中井百貨店の本部がありました。 近江商人の実業家である中江勝次郎が、三中井呉服店を創業して 1905年…
平安遷都の下京として、寺社が置かれた奈良町は 中世以降、元興寺の境内に様々な手工業者が住み着き 商工都市となって行きました。 奈良は、空襲の被害を受けなかった事から 狭い路地に古い町屋の残る街並みが続きます。