2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧
広島県東部の瀬戸内沿いに竹原はありました。 ここは古くからの港町で、江戸後期には 製塩業で賑わい、ここで出来た塩は 遠く江戸大坂に船で運ばれました。 そんなたけはら町並み保存地区には 旧笠井があります。ここは塩田経営者の笠井家が 昭和5年に建てた…
奈良県の南大和の五條は、伊勢、大和、紀州 を結ぶ街道が交差して,交通の要衝でした。 そんな五條を江戸の初め領した松倉重政は 城のある二見と五條の間に新町を企画しました。 新町通り(紀州街道)は、二見を経由して 紀州まで続きます。
中山道の宿場町妻籠宿は、 長野県南木曽町にありました。 木曽路を通る中山道の 南から2番目の宿場でした。 またここは、飯田街道と 中山道の追分で、交通の要衝でした。
石造りの神殿を思わせる玄関を入ると 本館、分館、工芸、東洋館に分かれています。 洋画と陶芸、版画、染色の展示があります。
香川県琴平町は、海上交通の守り神で知らる 金刀比羅宮が象頭山に鎮座します。 参道の前には、お土産やさんや讃岐うどん(琴平うどん) などの飲食店が軒を並べています。
有田の裏通りにあるトンバイ塀のある通りに 六地蔵がありました。 死後に辿る、六道を現しているそうですが、 詳しくは解りませんでした。
倉敷の伝統的建物保存地区を東西に貫く本町通りに 江戸中期に建てられた、井上家住宅があります。 ここは、江戸時代、町役人、地主として町を主導した旧家です。
香川県丸亀市にある丸亀城の堀の前に立つと、 石橋があり城門がありました。 見上げると、一番高い石垣の上に 天守がありました。
広島県東部の瀬戸内海に、潮待ちの湊として知られる 鞆の浦があります。 昔は舟を動かすのに、潮流で動いていました。 潮の満ち引きを利用するため、潮待ちをしました。 古くからの港の鞆の浦には、 細い路地が縦横に張り巡らされていました。
大分の中津に慶応義塾の創始者 福沢諭吉の旧宅があります。 父の死後、中津に帰った諭吉が 少年時代を過した所です。
京都の八坂通りを東大路通りを越えて まっすぐ進むと、法観寺の五重の塔が見えてきました。 ここは一般には八坂の塔で知られます。 今は建仁寺の末寺になっていますが、寺伝によると 創建は平安遷都よりも古く飛鳥時代となっています。
伊勢市の五十鈴川に沿いながら続く、 おはらい町通りは、伊勢神宮内宮の鳥居前町です。 鳥居を潜り宇治橋を渡ると森深い内宮に入ります。 おはらい町通りには、飲食店や酒屋さん、和菓子の老舗 お土産やさんが軒を並べています。
三河湾で採れた塩を、矢作川を使い、足助まで運び 足助から馬の背に乗せ換えて、山国の信州塩尻まで 運んでいました。
愛知県岡崎市の岡崎城は 徳川家康の誕生の地です。 その岡崎城から八丁離れた矢作川の 近くに八丁味噌で知られる。カクキュウの 工場兼味噌蔵がありました。 八丁味噌は大豆と塩を原料に長期熟成で、造られます。
大分市は豊後国の国府が置かれていました。 その国府内に造られた国府城は、慶長2年(1597年) 福原直高によって築城が始められました。 元々豊後は大友氏の支配でしたが、 豊臣政権の末に改易になりました。 4層の天守がありましたが、今は失われてい…
清水寺を三年坂に降りて行くと 三年坂美術館に行き着きました。 ここは幕末明治の金工、七宝、蒔絵、彫刻 薩摩焼を常時みられる美術館です。
長良川が南北に流れる美濃市は、 江戸時代金森長近の城下町でした。 そんな美濃の街中には、屋根にうだつが上がる 街並みがありました。 ここは美濃和紙で知られる産業が根付いていました。
徳島県美馬市は吉野川の中西部にあり、 過って阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 そんな脇町は藍の集積地として栄え 今も藍商人の店舗や邸宅が残っていました。
香川県のもう少し行くと徳島県と言う場所に 引田があります。 一見は海に沿った、ただの漁師町ですが 初めてはまちの養殖に成功した地です。 そんな引田には、元禄5年創業で、大坂や江戸に 醤油を出荷して、引田醤油の名を広めた、佐野家 (屋号が井筒屋)…
琵琶湖の北東にある長浜は、 豊臣秀吉の故地として商家知られています。 その城下を縦断して北国街道が走っていました。 この街道は北ノ庄まで続いていました。 蔵のある商家が続いていました。
高山の市街から車で30分ぐらい離れた場所に 飛騨市があり、その街中に、 白壁土蔵の街並みがありました。 白壁土蔵の隣を流れる瀬戸川には 色とりどりの鯉が泳いでいました。
大分県中津市は、天正15年黒田官兵衛が 豊前6郡を拝領して城を築いたところです。 そんな城下には、壁が真っ赤に塗られたお寺が在ります。 このお寺は合元寺と言って、前領主の宇都宮氏が滅ぼされた 時、その家来がこの寺に籠り、その血しぶきが取れない…
岡山県総社市にある国分寺は、奈良時代に 聖武天皇が日本全国に建立した国分寺の一つです。 廃寺になっていたこの寺を天正年間に再興したのは 豊臣秀吉が水攻めで落とした、備中高松城主清水宗治でした。 今は真言宗御室派の寺院になっています。
江戸の終わりから明治の初めにかけて、 おかげ参りのブームがありました。 その当時の伊勢路の建物を移築して 当時の雰囲気を再現したところが おかげ横丁です。 伊勢うどんに手捏ね寿司、赤福餅にお箸のお店 たくさんのお店がありました。
高知のお城は、天守、本丸御殿、追手門が残っており 本丸御殿が残っているのは、ここと川越の二つです。 また本丸御殿と天守が揃って残っているのは高知城だけです。 山内一豊が関ヶ原の功で、土佐一国24万石を拝領して、 築きました。
成田山の表参道は緩やかに 曲がりながら下って総門に行き着きます。 早朝は車がスピード落とさずに下っていきました。 この辺りに鰻屋さんがあるのか、鰻を焼く匂いがしました。
江戸末に塩の生産と酒の醸造で賑わった 古い港町、竹原は、広島県東部の瀬戸内海に 面します。 竹原保存地区には当時の街並みが 保存されています。
金刀比羅宮の参道には、 沢山なお店が軒を並べています。 その中でも、香川県はうどん県なので、 うどんを扱っているお店が目立ちました。 こんぴらうどんの隣も虎屋うどんで、うどんのお店が 目立ちました。
北国街道は中山道を追分で分かれ海野、上田、善光寺 と進むと直江津で北陸道と合流していました。 この街道は北陸の大名の参勤交代や善光寺参り、 佐渡の金の運搬に使われました。 海野宿は、上田の真田一族が領主でした。
京都の中京区に旧日本銀行京都支店の 赤レンガ造りの建物が残っていました。 今は京都文化博物館の別館として使われています。 京都文化博物館は、京都の歴史と文化を紹介するために 平安遷都千二百年記念事業として創設されました。