2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

有松

天明4年の大火によって、町の大半を焼失する災難にあった為、 建物は火災に備えて漆喰を厚く塗り込めた塗籠造とし、 萱葺き屋根に替わって瓦葺が使用されました。

伏見城

伏見城と言えば、豊臣秀吉が隠居城として建てた、 伏見城が有名ですが、今はありません。 桃山丘陵にある運動公園に、昭和になり遊園地が建てた 城があります。遊園地が建てたので、模擬天守なのですが、 遊園地そのものが解散して、京都市が管理しています…

頼久寺

岡山県の高梁川を遡る高梁市の、頼久寺町に 頼久寺があります。 ここは臨済宗永源寺はのお寺です。 足利尊氏によって再興され、備中国の安国寺とされました。 またこの寺は、小堀遠州作庭の庭があります。 蓬莱式枯山水庭園の庭です。

東大寺 開山堂

東大寺の開山堂は、東大寺を開山した僧 良弁の像を祀っています。 場所は東大寺の法華堂から二月堂に行く 途中にあります。 法華堂と二月堂が大きいので、 見落としてしまうかもしれません。

竹原

広島県の東部の瀬戸内沿いの港町竹原には、 江戸中期から明治にかけての 商家の町並みが残っていました。 江戸後期から塩田の製塩が盛んになり 、廻船により日本全国に運ばれました。 また明治以降は酒造業も盛んとなりました。

五條新町

奈良県の南西部にある五條市は、 吉野川が東から西に流れ、 和歌山に至る紀州街道と大和街道と 伊勢街道が交差する交通の要衝でした。 そんな街道沿いには、町家が並んでいました。 この先にはつくり酒屋があり、橋のたもとには お餅屋さんがありました。

眼鏡橋~長崎

長崎の中島川にかかる眼鏡橋は、 二連の石造りのアーチ橋です。 水面に映る形から眼鏡橋と呼ばれています。 1634年(寛永11年)興福寺の住職、黙子如定は 洪水の度に流される橋を見かね、 中国から石工を呼び寄せて、石橋を完成させました。

醤油工場のある横丁~引田

香川県の東かがわ市は、 徳島県寄りの場所にあります。 一見、どこにでも見られる漁港の町ですが、 江戸時代、醤油の醸造が盛んになり、 廻船問屋や豪商が現れるほど栄えました。 ここの奥にも醤油工場醤油がありました。

海野宿

北国街道の宿場町海野宿は、 千曲川が流れる東御市にありました。 北国街道は、中山道を追分で別れ、 海野宿、上田、 善光寺を経て 直江津で北陸道に接続していました。 宿場は、明治になって、鉄道網の発達で、 廃れていきました。 その後海野宿は、養蚕業…

五條新町

五條市にある新町通りを、二見に向け歩いて行くと、 高架を潜りました。 ここは、建設途中で放棄された五新鉄道の跡で、 五條と和歌山県新宮を結ぶ予定でした。 その先の通り沿いに、大きな町家がありました。 この家の凄いところは、玄関を開けたら、 すぐ…

今井町~橿原市

奈良県の中央部にある橿原市に、 寺内町として発達して 戦国時代には堀を深くし、 兵力を蓄え、他の勢力の介入を拒んだ 要塞都市の今井町があります。 町内をめぐる路地は狭く、当時の道幅のままなのでしょう。

小牧山城

美濃から犬山城に行く途中、 犬山に宿がなく、小牧に泊まりました。 朝、小牧山の公園が近くにあったので、 朝の散歩がてら行って来ました。 ここは今は、公園になっていて、小牧山の頂上に、 天守閣風の歴史館が鉄筋コンクリート造り出来ています。 156…

有松

旧東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿との間に出来た町有松は、 江戸の初めは、松林の生い茂る荒涼とした丘陵でした。 絞り染めの技術が流入して、 有松は豊かな商人の邸宅や蔵が立ち並ぶ街となりました。

開知学校跡~長浜

長浜の駅前通りに旧開知学校が、 建っていた場所があります。 今は建物は取り壊されて、和菓子屋さんが 建っています。 開知学校は明治7年、全額町民の寄付で、 洋風三階に八角櫓のあるモダンな校舎ができました。 明治34年に長浜小学校となり移転しまし…

今井町~橿原市

中世末期の寺内町として成立して、 戦国時代は堀や土塁を作り兵力を蓄え、 他の勢力の介入を拒んだ、今井町は、 奈良県橿原市にあります。 町内には、浄土真宗本願寺派の寺院が残ります。

河崎

伊勢市にある河崎は、勢田川の河岸にあります。 伊勢神宮の参拝客が伊勢湾を渡って来て、 最初にたどり着く河岸で、室町から江戸にかけて 栄えた町で、町家や土蔵が残ります。 河崎に残る大きなお屋敷ですが、看板や表札なく 詳しいことは解りませんでした。

川越街歩き

大正浪漫夢通りを北に進むと、 右側の角に川越商工会議所があり、 ここは昔の武州銀行の建物でした。 そのT字路の正面が仲町観光案内所で、 隣がうなぎ屋で、その隣が亀屋山崎茶店で 2階建ての蔵が建っています。 ここを反対側に進むと蔵造の町並みに出ます…

竹原

広島県東部の瀬戸内沿いにある竹原は、 古代から交通の要衝の港町として知られていました。 そんな竹原は、江戸後期から塩田の製塩が盛んとなり、 遠く江戸大阪に、北前船で運ばれていました。 竹原の旧市街には、細い路地に古い商家の町並みがありました。

池田屋~卯之町

天保5年池田屋の創業者鳥居半兵衛は、 あまり立派な門を造り過ぎたので、 お咎めを受けたそうです。 その門がこれで、今ではそんな大それた門とは思いませんが、 身分不相応となったのでしょう。 因みに、池田屋は造り酒屋で造りで、庄屋を兼ねていました。

久露葉亭 濁屋善

花見小路を建仁寺に向かって南に下ると、 四つ角に赤い壁の建物が目に入りました。 久露葉亭と書いてありましたが、 何のお店かは、わかりませんでした。 入っていないのでよくわかりませんが、京の惣菜京料理の お店のようでした。

杜氏の像のある造り酒屋

飛騨市の古川の町中に、二人の杜氏が 酒を仕込んでいる像がありました。 ここは、創業明治3年の渡辺酒造店という造り酒屋で 蓬莱の看板を掲げていました。

二年坂

三年坂の石畳を、右側の石段に下りると、 二年坂に続いていました。 二井三の看板を掲げるのはお香、香炉などの香りの専門店で、 香彩堂の直営店でした。

飛騨高山街歩き

高山の宮川沿いに歩いて行くと、 江戸時代幕府の陣屋が置かれていた 場所に出ました。 その近くに、創業天保14年、一刀彫の看板を掲げる お店がありました。 ここは、一位一刀彫りの津田彫刻で、 一位は、材料の一位の木を使い、置物やお面、 根付けを 彫…

蔵造の町並み~川越

川越の蔵造の町並みを歩いて行くと、 鰹節のいい匂いがしてきました。 ここは乾物屋のかつおぶしの中市本店ですが、テイクアウトで ねこまんま焼きおにぎりを出していました。

城山~鹿児島

城山は鹿児島市の中央にある、 百メートルぐらいの山です。 ここは、西南戦争最後の激戦地でもあります。 敗戦濃厚な西郷軍が、故郷城山の地で、 最後の抵抗をしました。 城山からは市街の先に錦江湾、桜島を望みます。

成田山新勝寺門前町

平将門調伏祈願のために、 空海作の不動明王像を安置した、 新勝寺は成田にあります。 新勝寺の総門前の門前町には、 様々な業種のお店が並びます。

青の洞門

禅海和尚によって岩壁に掘られたトンネルには、 ノミの跡が残っていました。 ここは山國川の岸壁を通る人が命を落とすのを見て 禅海和尚が30年の月日をかけて全長342メートルの 洞門を完成させました。

旧唐津銀行

明治25年に竣工した旧唐津銀行の建物が、 唐津くんちの巡航のルートにあります。 ここは、辰野金吾監修の赤レンガ調の地下一階地上二階 塔屋のある建物で、今は唐津市が管理しています。

おはらい町

伊勢独特の切り妻、妻入り、入母屋様式の お土産屋や銘菓の老舗、旅館、飲食店が軒を並べる おはらい町は、伊勢神宮内宮前にあります。 宇治橋から五十鈴川沿いに、およそ 800メートルの石畳の道が続きます。

菓子屋横丁~川越

川越の蔵造の町から路地を伝って、 昔ながらの菓子を売る菓子屋横丁に出ました。 ここは、20軒ほどのお菓子屋の店が軒を並べる 横丁で、子供たちがひしめいて、普通には歩けないほどの 熱気で、もう少したってから来ようと、 5時ぐらいに行くと、もう閉店…