2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧
佐賀県唐津市にある旧唐津銀行本店は、 明治45年(1912年)に竣工した銀行で、 東京駅を設計した唐津出身の辰野金吾が関わっています。 レンガ造り二階建てで、地下一階もあります。
焼き物の町佐賀の有田町を見下ろす 丘の上に陶山神社があります。 ここは、応神天皇を主祭神に、 藩祖鍋島直茂、陶祖李参平を祀っています。 陶山神社の鳥居から有田の街並みが広がります。石段を下りると JR佐世保線の線路があり、線路を越えると、焼き物の…
大分県の国東半島の山の中、文珠山に天台宗の古刹 「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊仙寺があります。 この寺の奥の山肌には、羅漢像があなたが来るのを待っています。
広島城は別名鯉城とも呼ばれる、毛利輝元が 安土桃山時代に太田川河口に建てた城で 天守や諸櫓が残り、戦前の国宝にもなった城でした。 昭和20年の原爆で倒壊し、 1958年に鉄筋コンクリート造で再建されました。
奈良県の西部にある五條市の五條新町は、 江戸の初め二見に城を構えた松倉重政が、 二見と五條村とを結ぶ所に新町を企画して出来た町です。 その後、松倉重政は大坂夏の陣の軍功で、島原に加増転封した後 島原の乱を引き起こし、取り潰しになりました。 五條…
長屋門のある武家屋敷は、その藩でも 石取りの上士格の武士の邸宅でした。 臼杵の町を歩いていると、昔は長屋門と 思しき古い建物がありました。 ツタが絡まる長屋門は、古ぼけてはいましたが、 これが長屋門と認識できる状態でしたが 門の中の、肝心の母屋…
富山県南砺市五箇山に合掌造りと民謡の郷として 知られる五箇山の村上家住宅はあります。 村上家は天正年間に建てられたと伝えられ、 ここ五箇山は加賀藩の塩硝づくりの 生産地ともなっていました。
鞆の浦は、広島県東部の瀬戸内海沿いにある港町で、 昔は潮待ちの港として知られていました。 瀬戸内海の中間地帯で、鞆の浦の沖で、満潮の差で 東西の潮の流れが生まれ、その流れで、船を動かしていました。 そんな鞆の浦の町中は、狭い路地が巡り、港まで…
千葉県の北部にある香取市にある佐原は、 小野川沿いに古い商家の街並みがあります。 県道55号線と小野川が出会う忠敬橋付近には 正文堂の看板が上がる芋菓子のお店の隣の空き地に レンガ張りの千葉商船の新しい3階建てのビルが 建ちました。
岐阜県の北部の白山山地と飛騨山脈に 囲まれた盆地にある高山は、 日本で一番広い市町村で、 香川県や大阪府の面積より広いですが、 ほとんどが山林が占めます。
兵庫県の西の端の播磨灘に面する赤穂は、 江戸時代ブランド塩の生産地でした。 元禄時代、ここを治めていたのは、浅野家で 広島藩浅野家の支藩でした。 浅野内匠頭の切腹時の城代家老が、大石内蔵助でした。 その大石邸は、赤穂城内にあり、表の長屋門以外 …
京都東山の清水寺から参道の清水坂を 北に石段を下りると、お土産屋さんや京漬物、 陶器店、京菓子の店が並ぶ、石畳の道があります。
岡山県の高梁川を遡り、西の山に分け入ると、 江戸時代中期に鉱山町として発展し、 ベンガラの国内唯一の巨大産地となった吹屋があります。 ベンガラは、赤色の着色料で、 陶器や漆器、神社の建物や鳥居に使われました。 建物にはベンガラがふんだんに 使わ…
今は名古屋市の町の中にある有松は、 旧東海道上にできた町でした。 東海道が整備された頃は、松林が点在する広陵とした 丘陵だった有松は、藩の振興策で移住が進み、 絞り染めの技術が流入し、豊かな商人の店舗や蔵が並ぶ 街並みに変わって行きました。
北房総にある佐原は利根川に接する水郷で、 小野川沿いに、古い商家の街並みを残します。 そんな小野川沿いを、川岸通りを南に歩いて行くと 伊能忠敬記念館があり、川向うには忠敬の旧宅がありました。
こんぴらさんの参道に、「本家虎屋」の看板を上げる 虎屋さんは、今は虎屋うどんのお店です。 ここは、虎屋旅館という皇室御用達の創業三百数十年という 旅館でした。 建物は虎屋旅館のままで、 2階の高欄は手の込んだ彫刻になっています。 虎屋旅館の帳場が…
慶長5年創業の看板を上げる鑰屋は、 臼杵市本町商店街(八町大路)に店を構えます。 ここのご先祖は、美濃から藩主に従ってここに来た武士で、 可児孫右衛門が息子と苗字帯刀を許された商人として カニ醤油味噌の製造を始めました。 創業から420年間世襲…
播磨灘に面する坂越浦は天然の良港で、 江戸時代になると西回り航路の拠点として 奥藤、大西、岩崎、渋谷の豪商が回船業を営み 瀬戸内海有数の港となりました。 坂越大路には、奥藤酒造の酒蔵の長い白壁が 当時の繁栄を物語っています。
上野寛永寺に籠った彰義隊と新政府軍 との間に起こった上野戦争は、 大村益次郎の指揮のもと、官軍が、上野を攻め 新兵器のアームストロング砲で、 不忍池の向こうの加賀藩上屋敷から、不忍池を超えて 寛永寺の社殿を倒壊させ、彰義隊を敗走させました。
倉敷の鶴形山にある阿智神社は、海上交通の 守護神の宗像三女神を祀っています。 その阿智神社を南に降りると南参道の横に 蔵造りの店舗があります。 白壁に「萬年雪」と墨書されているので お向かいの森田酒造所の建物の様です。
四国香川県丸亀市にある丸亀城は、 室町時代の砦を、生駒親正が本格城郭に仕上げ 慶長7年に完成したもので、山麓から山頂まで、 4層に組み上げられた石垣の総高は60メートルで、 日本一高い総高の石垣です。 その石垣のてっぺんには、 現存する天守で一番…
近江商人のもう一つの故郷として知られる 琵琶湖の東側に五箇荘金堂があります。 ここの近江商人の活躍は江戸後期から始まりました。 明治以降は海外進出を果たし、大陸に進出して、 百貨店経営に乗り出す者も出ました。 花筏通りとあきんど通りの角には、 …
旧暦の2月の修二会(お水取り)で知られる二月堂は、 治承4年(1181年】と永禄10年(1567年)の 戦火にも焼け残りましたが、寛文7年(1667年) お水取りの時に失火し焼失しました。 その翌々年に再建されました。 現在国宝に指定されていま…
岐阜県白川村の中央部から北側に 位置する荻町地区は、庄川の河畔にあり 冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 そんな厳しい自然環境に耐えて、合掌造りの郷 があります。
倉敷川が中橋から直角に曲がるところに 倉敷民芸館があります。 ここは、江戸後期に米蔵として建てられた 白壁に瓦張りの建物を使っています。 ここは日本をはじめ世界の民芸品の 陶磁器、織物、木工、漆器、竹細工、ガラス器、和紙、金工など 一万五千点を…
岐阜県の北部の白山山地と飛騨山脈に 囲まれた盆地にある高山は、 冬場にかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で、 古い商家の街並みが残っています。 路地が狭くなっている所に、酒屋さんやお香屋さん、 料理屋さんお味噌屋さんなどの店…
成田山新勝寺の総門前には、多数の商店が 店を出し門前町を形成しています。 成田駅前から続く約八百メートルの表参道には、 およそ150店以上の飲食店やお土産屋さんが軒を並べます。
赤穂浪士の故郷で知られる、播磨灘に臨む、 兵庫県赤穂は、ブランドの赤穂塩の生産地でした。 赤穂は10万石位の城下町でした。 そのお城から、城主の菩提寺に続く道は お成道と呼ばれていました。 そのお成道の途中に、角に蔵のある商家がありました。
川越の蔵造りの街並み一番街から 少し南にある仲町交差点の近くに 蔵造りの店舗と蔵がありました。 ここは、小江戸銘菓亀屋さんで、天明3年創業のお菓子屋で 最中や芋菓子を川越藩に納めていました。
伊勢市にある伊勢神宮内宮前のおはらい町は、 宇治橋から五十鈴川沿いに およそ八百メートル続く石畳の通りです。 通りには、伊勢うどんに手捏ね寿司、貝時雨、赤福餅など の名物の店が軒を並べます。