2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
お堀沿いのケヤキ大通りから天守廓を眺めながら進むと、 お堀に橋が架かっていて、お城の中に入れました。 この城の中には、庭園や護国神社、動物園があるそうですが 早朝なので、その気配がなく、天守に登りました。 和歌山城大手門
皇居の桜田門からお堀を渡り警視庁の方に行くと、 赤煉瓦の建物がありました。 ここは法務省の赤れんが棟で、法務省本館として 明治28年竣工ドイツネオバロック様式で建てられました。 戦災で大きな被害を受けましたが、復元されました。
広島県東部の瀬戸内海の港町竹原は、 江戸の後期に製塩業が盛んになり 北前船によって全国各地に運ばれました。 松坂邸 そんな竹原の古い町並みには、松坂邸がありました。 ここは、製塩業から醸造業まで手広く商っていた商人の邸宅です。
鴨川は京都北区雲ヶ畑、桟敷岳を源流に、南下して 上京区出町で、高野川と合流し、伏見鳥羽で桂川と合流後 淀川となって大阪湾に注ぎます。 途中、河原町、先斗町、祇園では 京都夏の風物詩の川床が見られます。
熊本市北部の山鹿市にさくら湯と言う温泉があります。 ここは、熊本のお殿様の御前湯だった山鹿御茶屋が起源で 明治に入ると、庶民が利用できる温泉に変りました。 昭和に入って取り壊されましたが、復活して、木造の温泉で 甦りました。
白川郷は岐阜の庄川流域にあります。 今も合掌造りの集落が残っていました。 冬場豪雪地帯の白川郷では、 急こう配の茅葺の大屋根で、雪を落とし 雪下ろしの手間の軽減を図り、 二層三層で、養蚕などの農作業をしていました。
成田山新勝寺の縁起は、 平安時代中期の平将門の乱に始まります。 将門調伏祈願の為、 空海造の不動明王を奉じて、 この地で朝敵調伏の護摩供を行いました。 大堂の手前には、三重塔があります。
鞆の浦は、広島県東部の瀬戸内海に面する港です。 瀬戸内海航路の要衝として古くから知られ、ここで潮待ち をしました。 そんな鞆の浦の街中には、船具関係の商家や旅館、また 保命酒を商うお店が多く見受けられました。 狭い路地を抜けると港に出ました。
佐賀県伊万里の郊外に、山水画の様な切り立った山の麓 大川内山があります。 ここは、江戸時代鍋島藩の御用窯があった場所です。 製法は、極秘で出入りは厳しく制限されていました。 今は鍋島焼と呼ばれています。 細い路地が山に向かって、登っています。 …
奈良井宿で問屋を務め、庄屋も兼務していた所です。 古文書、諸道具、陶器が展示されていました。 明治天皇の御巡幸の碑が建っていました。
信州松本城から南の女鳥羽川を渡ると、 一本中の通りが、中町通りで、 なまこ塀の蔵や店舗が並んでいました。 民芸や工芸、飲食のお店が並んでいました。
和歌山県の有田川の南側の入り江の奥に、 湯浅の街はありました。 ここは醤油発祥の地として知られ 古い醤油工場があります。
佐賀県の吉野ケ里町に、弥生時代の遺跡、 吉野ケ里遺跡があります。 二重環濠に、木柵、物見櫓のある 当時の国がありました。
広島県東部の瀬戸内海に面する港町竹原は、 瀬戸内の要衝として知られ、 江戸の終わり頃には頃、塩田の製塩で栄えました。 そんな竹原には町並み保存地区があり 往時の町並みを残します。 今コマーシャルにも出ています。
関門海峡を正面に見る門司港レトロ地区は、 北九州市門司区にあります。 ここは、明治から外国航路の拠点や貿易港として 発展しました。 金融機関や商社、海運会社が支店置き、九州への玄関口 ともなりました。 門司港レトロハイマートのビルがあまり高いの…
岡山県を南北に流れる高梁川に 紺屋川が注ぐ近くに、旧第八十六国立銀行跡がありました。 この銀行は今の中国銀行になっています。 銀行の跡は駐車場になっているので、何もありません。 高梁川と紺屋川が交わる所に、銀行との関係は解りませんが、 三階建て…
狭く暗い路地を抜けると、 江戸から昭和初期の古い町並みが現れました。 ここは、南伊予(愛媛県)にある元城下町で、 宇和島藩に属していました。
成田のお不動さんとして知られる、 成田山新勝寺は、真言宗智山派の大本山です。 その参道を歩いて行くと、 鰻屋さんだったり漬物、蜂蜜、雑貨だったりのお店が 並んでいました。
宇和島のお城は、近くから見ると、 住宅地の中にある裏山といった印象でした。 昔は、堀に囲まれて、城門や櫓、天守、 御殿が立ち並んでいたのでしょうが、 今は、家老の長屋門が移築された門を抜けると、 裏山を登るという格好で、天守にたどり着きました。…
岡山県矢掛町にある旧山陽道の宿場町 矢掛には、本陣が残っていました。 ここは、寛永12年(1635年)に本陣職を命じられた、 石井家の家屋で今は重要文化財に指定されています。 石井家は17世紀に酒造業を初め、大庄屋を務めました。
岐阜県の庄川流域にある、白川郷は 茅葺の合掌造りの家屋の集落で知られています。 雪に閉ざされる冬場から、春が来て、田にイネが育ち 秋の収穫と一年が過ぎて行きます。
古くから大洲街道の要衝の地として、 栄えた内子町は、江戸から明治にかけ、 和紙や特に木蝋の生産地として名が知れていました。
岡崎城から八丁離れた、旧東海道と 矢作川が交わる場所に、八丁蔵通りがありました。 ここはカクキューの八丁味噌の工場の蔵が立ち並ぶ 裏通りでした。
三重県伊勢市の伊勢神宮内宮は、 天照大御神を祀る神社です。 その参道のおはらい町には伊勢独特な入母屋、 妻入り、切妻様式の旅館や、お菓子の老舗、 お土産やさん、酒屋さん、飲食店が建ち並んでいます。
岐阜県の北部にある飛騨地方の高山は 日本で一番面積の広い自治体です。 という事は、周りがすべて森林です。 その郷の街中は、金森長近の城下町でした。 元禄8年(1695年)幕府の陣屋が置かれ、幕府領となりました。
豊前街道は、肥後熊本と豊前小倉を結んでいました。 熊本から最初の宿場町が山鹿で、菊池川を渡ると 山鹿の街中に入っていきます。 温泉地でもある山鹿には、殿様の御前湯がありました。
江戸時代天領だった倉敷は、 倉敷川の両岸に、白壁海鼠壁の 商人の邸宅や蔵が立ち並んでいました. 倉敷川の通りから鶴形山の南の通りにも、 大きな商家の家屋が立ち並んでいました。
清水寺から松原通りを下ると、右側に聖徳太子像を 本尊とする来迎院があります。その角を右に降りると、 京都らしい風情のある街並みが続く、三年坂がありました。
今は名古屋市の緑区の名鉄本線の 有松駅近くにある有松は、 旧東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に出来た町でした。 初めは桶狭間村の一部でしたが、藩の振興策で 移住が進み、絞り染めの技術が流入して、 豊かな商人の邸宅や、店舗、蔵の立ち並ぶ 街へと変貌し…
香川県琴平町は、金比羅さんがある所です。 そこに、普段は柵がしていて渡れない橋があります。 諏訪大社や宇佐大社(これは勅使橋) で見たことはありましたが、 屋根の付いた立派な橋です。 鞘橋と言って、金倉川に架かる橋で、銅葺きの 屋根のある橋です…