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江戸時代天領だった倉敷では、倉敷川の両岸に、 米を貯蔵する、蔵や商う商家が立ち並びました。 倉敷川に架かる中橋の周辺には落ち着いた 白壁海鼠塀の蔵や屋敷が立ち並んでいました。 ここは料理旅館鶴形と看板が出ていました。
岡山県の南部の瀬戸内海に面する 倉敷は、江戸時代天領で、 倉敷川の両岸に、白壁の蔵や商家が立ち並んで いました。 ここは、倉敷民芸館と言って、過って米蔵として使われた蔵を使って 民芸品の展示を行っています。
吹屋は高梁川を遡り、 西に入った山手にありました。 吹屋は江戸時代、赤色の着色料、ベンガラの生産 で賑わいました。 赤銅色の石州瓦とベンガラで赤く塗られた 家屋が立ち並んでいました。
岡山県の高梁市にある備中松山城は、 標高430メートルの臥牛山にあり 現存する天守で、一番高い所にある城です。 9月から4月の早朝に、雲海が発生し、城が雲の上に浮かびます。
江戸時代、赤の顔料の弁柄を産出し、 莫大な富を蓄えた商人の邸宅や蔵が 立ち並ぶ街並みが、岡山県の山の中にあります。 ここは吹屋で鉱山も近くにありました。 産出した弁柄を生成して出す問屋が 石州瓦とベンガラ色で統一された街並みが 残っていました。
岡山県を南北に流れる高梁川に 紺屋川が注ぐ近くに、旧第八十六国立銀行跡がありました。 この銀行は今の中国銀行になっています。 銀行の跡は駐車場になっているので、何もありません。 高梁川と紺屋川が交わる所に、銀行との関係は解りませんが、 三階建て…
岡山県矢掛町にある旧山陽道の宿場町 矢掛には、本陣が残っていました。 ここは、寛永12年(1635年)に本陣職を命じられた、 石井家の家屋で今は重要文化財に指定されています。 石井家は17世紀に酒造業を初め、大庄屋を務めました。
江戸時代天領だった倉敷は、 倉敷川の両岸に、白壁海鼠壁の 商人の邸宅や蔵が立ち並んでいました. 倉敷川の通りから鶴形山の南の通りにも、 大きな商家の家屋が立ち並んでいました。
岡山の高梁市から高梁川を遡り、西に分け入ると、 江戸中期から明治にかけて、日本唯一のベンガラの 産地として繁栄した、吹屋があります。 ベンガラとは赤色の着色料で、陶器、漆器、 神社仏閣の建物に使われました。 当時の問屋さんの建物が残っていました…
倉敷川の両岸に白壁の商家の蔵や屋敷が残る倉敷は、 江戸時代天領で、コメなどの物資の集積地となりました。 高梁川から続く倉敷川は、児島湾に出る運河として 造られました。 倉敷川の両岸には柳の木が植えられていました。
昔の国名で言うと、備中の山の中に、 備中松山城があります。 私がこの城に登った時は,途中まで車で登り 後はかなりの坂道が続きました。 今は猫城主がいるという事ですが、毎日この坂道を通勤してくるのでしょうか それとも住み込みでしょうか。
小堀遠州の枯山水庭園で知られる頼久寺は、 高梁市にありました。 この寺は臨済宗永源寺派の寺院で、 足利尊氏が諸国に命じて造った安国寺の一つです。 お寺の外観は、高い石垣と塀に囲まれて、 まるでお城の様でした。 境内にある庭は国指定名勝で、備中国…
倉敷の美観地区を倉敷川沿いに歩いてゆくと 元は米蔵として使われていた大きな蔵がありました。 ここは、倉敷川がクランクで曲がった所で 中橋を渡った所です。 看板には倉敷民藝館と書いてありました。 建物は白壁と黒瓦を壁に貼っていました。 展示品は、…
備中松山藩の城下町高梁は、 岡山県の西部にあり、高梁川が南北に流れています。 盆地になっているので、よく霧が発生して、 高地に建つ、松山城は雲海に浮かびます。 江戸時代には、高梁川の水運を利用した交通が盛んで、 高瀬舟で運んでいました。
倉敷川沿いに植えられた柳が戦ぐ岸辺に なまこ塀や白壁の蔵や店舗が立ち並んで 居ました。 ここは江戸時代天領として、物資の集積地となり 商人の店舗や蔵が立ち並びました。
倉敷川の両岸に白壁の街並みが並ぶ、 倉敷は、江戸時代は幕府の天領でした。 年貢米の集積地であった倉敷には、それを扱う 商人の蔵や屋敷が、倉敷川の両岸に立ち並びました。 そこから少しは離れた場所にも、商人の邸宅がありました。
阿智神社の参道を南に降りると、酒屋さんや旅館、 飲食店の集まる通りに出ました。 どの建物も白壁の古くて大きな建物でした。
去年の洪水で被害を受けた高梁市の 高梁川を遡って西に入ると、 江戸時代にかけて赤色の着色料として 全国に流通したベンガラの鉱山がありました。 ベンガラは寺社仏閣の壁や柱に 赤色の塗料として使われました。 今も、吹屋には当時の、ベンガラを精製した…
倉敷の美観地区の倉敷川沿いにある大原美術館は、 外観はギリシャの神殿を思わせる造りで、 近現代のコレクションを誇ります。 橋を渡った向こうは、大原邸があります。 エルグレコの受胎告知などの絵画や宗像志功の版画、河井寛次郎の陶器 など多数の展示品…
岡山県の中西部に去年水害に 見舞われた高梁市があります。 その街中に、臨済宗の頼久寺がありました。 このお寺には、小堀遠州の作庭した 蓬莱式枯山水庭園があります。 頼久寺 小堀家は豊臣秀吉の家来でしたが、 関ヶ原後、備中で一万石で封じられました。
江戸時代天領として栄えた倉敷には、 高梁川と児島湾を結ぶ、 運河として倉敷川が造られました。 つるかた 倉敷川の流域には大きな蔵やお屋敷が並びます。
倉敷の美観地区にある旧大原邸から 橋を渡ると正面に、大原美術館がありました。 ここは日本最初の西洋美術館です
今年の7月に大雨被害を受けた岡山県高梁市ですが、 その高梁市の吹屋には、弁柄の鉱山があり、ベンガラの生産 が盛んでした。 ベンガラとは、赤色の着色料で、 寺社仏閣の柱や壁に使われました。 吹屋の街並み 当時の繁栄を物語る、町並みがあります。
岡山県の山の中に、江戸時代の享和文化(1800年)頃 銅山とベンガラの原材料ローハを製造し、 巨万の富を蓄えた大野呂の庄屋、広兼家の邸宅があります。 広兼邸 ベンガラとは赤色の着色料で、神社仏閣の壁や柱に塗られました。 その製造に携わった広兼家の勢い…
岡山県の山の中に、雲海に浮かぶ、 天空の城があります。 10月から12月の早朝の朝霧が深い 日に現れる現象です。 標高400メートルに築かれた お城で、天守、二櫓土塀が残っていました。 備中松山城天守
岡山県倉敷は、江戸時代天領で、 物資の集積地でした。 倉敷川の両岸には、白壁の商家や なまこ塀の土蔵が立ち並んでいます。 路地から入り込んだ場所には、 白壁の商家土蔵の裏小路がありました。 水害で被害を受けた倉敷ですが、 美観地区は被害がなかった…
昔の国名で言うと吉備の国で、岡山県高梁市にある 薬師院は、花山法皇の開基で小堀遠州が今の地に整備しました。 薬師院 正面の山門を潜ると、石段が続きます。 外観から云うとお城の様に石垣で区画が囲まれています。 一段目の石垣の区画は、お墓があり、石…
岡山県の倉敷から北上すると高梁市に至りますが、 その街中の頼久寺町に古いお寺があります。 近くには、江戸時代末の執政の山田方谷の寓居址があります。 臨済宗の頼久寺です。この寺は小堀遠州が作庭した名勝のお庭があります。 小堀遠州の初期の作庭で禅…
この度の豪雨被害で被災された方にお見舞い申し上げます。 高梁市の向町にある高梁市郷土資料館は、 もともとは、尋常高等小学校として 日露戦争最中の明治37年に建てられました。 江戸から昭和初期の生活民具が展示されています。 建物の玄関横には、二宮…
松山と言うと、愛媛県松山を思い起こされ る方が多いと思います。 この話は、岡山県高梁市、昔の国名で言うと 備中国で、岡山県の中西部にあります。 城下町は、南北に流れる高梁川の畔の高梁にあります。 お城は、吉備国際大学のキャンバスから 山に分け入…