#熊本県

豊前街道~山鹿宿

熊本市の北に、過って豊前街道の 宿場町として賑わった、山鹿宿があります。 山鹿は、温泉の湧き出る湯どころとして知られ、 藩主の御前湯もありました。 そんな山鹿に、菊池川と豊前街道が交わった 所に、惣門があり、酒や味噌の醸造の商家が 軒を並べた街…

さくら湯~山鹿温泉

熊本市北部の山鹿市にさくら湯と言う温泉があります。 ここは、熊本のお殿様の御前湯だった山鹿御茶屋が起源で 明治に入ると、庶民が利用できる温泉に変りました。 昭和に入って取り壊されましたが、復活して、木造の温泉で 甦りました。

豊前街道~山鹿宿

豊前街道は、肥後熊本と豊前小倉を結んでいました。 熊本から最初の宿場町が山鹿で、菊池川を渡ると 山鹿の街中に入っていきます。 温泉地でもある山鹿には、殿様の御前湯がありました。

熊本城(銀杏城)

平成28年二度の激震に見舞われた熊本城は、 深刻なダメージを被りました。 修復の途中にありますが、今年の秋の特別公開に向けて 天守の早期復興に取り組んでいます。

鉾納社~小国町

樹齢700年の夫婦杉に守られた、 鉾納社は阿蘇の小国町にあります。 近くには坂本善三美術館があり、少し離れた近くには 滝の裏側に入れる鍋ヶ滝があります。

八千代座~山鹿

旧豊前街道の宿場町山鹿には、 温泉と八千代座がありました。 八千代座は開設が1910年ですから、 豊前街道とはかぶってはいませんが 古い芝居小屋です。 歌舞伎、活動写真、浪花節、新劇、邦楽などに使われましたが 時代の変化に勝てず、一旦昭和48年…

豊前街道~山鹿

豊前街道は肥後熊本を起点に、 山鹿、南関を通り、豊前小倉を結んでいました。 豊前街道の宿場町で温泉も湧き出る山鹿は、 藩主の御前湯がありました。 そんな山鹿は、菊池川の水運で、有明海を通して 天下の台所大坂とも結ばれていました。 その川港が、菊…

豊前街道~山鹿宿

熊本の北部に過って豊前街道の宿場町 山鹿があります。 ここには温泉も湧き出ています。 そして豊前街道と菊池川が交わった場所に 川港があり、菊池平野のコメの集積地で、 遠く大阪まで、有明海を経由して運んでいました。 そんな川港の近くは、米を使った…

熊本城

熊本城は、今回(2016年)の地震で 甚大な被害を受け、目下修復中で、 元に戻すには数十年の歳月が掛かりそうです。 過去にも、大規模な地震がありその度に、 修復されてきました。 この城を築いたのは、加藤清正公で 薩摩の強国島津の北上を、阻止する…

山鹿~旧豊前街道(12)

熊本県の山鹿市に 旧豊前街道の宿場町がありました。 ここには、温泉もあり賑わった所です。 街道と菊池川が交わった所には菊池平野 の産物の集積地となり、米を菊池川を経由して 有明海から大坂まで運んでいました。 明治29年それまで米穀商を営んでいた…

青井阿蘇神社~人吉市

熊本県南部にある人吉市は、 九州山地に囲まれた盆地にあります。 古くは、古事記や日本書紀に登場する 熊襲(クマソ)の震源地です。 この地は、薩摩の島津家や熊本の細川家 の大藩に囲まれていますが、鎌倉時代から 廃藩置県まで相良氏が治めていました。 …

旧豊前街道~山鹿(13)

旧豊前街道は、肥後熊本と 豊前小倉の間を結んでいました。 その街道上の宿場町山鹿は、 温泉も湧き出る宿場町で、 豊前街道と菊池川が交わる所には 惣門がありました。 街道の陸運と菊池川の水運は、 有明海を通して、大坂 まで結ばれていました。 豊前街道…

旧豊前街道~山鹿(12)

豊前街道の山鹿、明治10年の西南戦争時は、 官軍と薩軍との間で、激しい戦闘がありました。 加藤清正が築いた熊本城は、もともと北上してくる 薩軍を想定して堅固に築かれた城でした。 城内には熊本鎮台の兵4千が籠城し、1万4千の薩軍が 攻めましたが、…

山鹿~旧豊前街道(11)

熊本県の北部にある山鹿市は、 旧豊前街道の宿場町で、菊池川の水運と相まって 物資の集散地として、栄えました。 周辺で採れた米は、菊池川を利用して、 有明海を経由して、大坂まで運ばれていました。 また、コメの集散地という事で、酒蔵や麴味噌屋が立ち…

石門~金剛乗寺

熊本県山鹿市にある、金剛乗寺は、 天長年間に空海によって開かれたお寺です。 過っては、建物も大きくて、西の高野山とも言われましたが、 一時期途絶え、宝徳年間(1449~1452)に再興されました。 金剛乗寺石門 石門は、文化元年(1804年)に…

熊本城(銀杏城)

九州北部の佐賀に住んでいますが、地震は少ないと思っていました。 福岡県西方沖地震の時は、車に乗っていたので、揺れてるのではないか と思うぐらいで済みました。 しかし2016年の熊本地震、14日の前震は、かなり揺れ、肝を冷やしましたが、 2日後の…

旧街道をゆく~豊前街道

熊本のお殿様は、参勤交代で江戸に上り下りする時、 豊後街道を通るのが通例でしたが、豊前街道も通っています。 (1)豊後街道は阿蘇を通って大分鶴崎に抜け、船で本州に行くルート (2)豊前街道は、熊本を北上して、山鹿、南関、小倉に至るルート 山鹿 …

旧豊前街道~山鹿(11)

豊前街道の惣門付近は、 酒蔵や味噌蔵が建ち並ぶ、商工地区でした。 今あるのは、千代の園酒造とお味噌屋の木屋本店です。 昔の街道にしては広いようです。多分道幅拡張されています。 真ん中の部分が、元の街道の幅です。

山鹿~旧豊前街道(10)

旧豊前街道の山鹿には、コメの集積地として 米を原料に使う産業、酒造業や味噌、麹 の酒蔵や味噌屋が集まった所が、 街道と菊池川が交わった地点にありました。 米穀商本田喜久八の店舗 本田喜久八さんは千代の園酒造の創業者です。 昔の商店は、間口は狭い…

山鹿~旧豊前街道(9)

山鹿の中心は再開発されたのか、 広々とした中に、元御前湯のさくら湯がありました。 ただ旧豊前街道沿いは、 家屋がたてこんでいるので、 昔の街道の狭さのままになって いる所もあります。 山鹿灯籠民芸館 元安田銀行の建物を再利用した灯籠民芸館は、ここ…

護国山金剛乗寺山門

熊本県山鹿市にある金剛乗寺は、空海が開いた古いお寺です。 石門を潜って参道を進むと、大きな銀杏の木があります。 それを右に曲がると、古い山門がありました。 金剛乗寺山門 金剛乗寺は天長年間(824~834年)に空海によって開かれましたが、 一時…

旧豊前街道~山鹿(8)

旧豊前街道の山鹿は、菊池川の水運と相まって、 コメの集積地として、酒造場や米麴を使った味噌蔵が建ちました。 その名残を残している、豊前街道と菊池川が結ばれ地点に、 過っては惣門がありました。もう今は惣門は残っていませんが、 酒蔵とお味噌屋が残…

旧豊前街道~山鹿(7)

熊本と豊前小倉を結んでいた旧豊前街道上の 山鹿市も都市化の影響で、街道沿いも、 古い町並みは、消えつつあります。 旧豊前街道 この通りの反対側は、近代的なビルやマンションに変っています。 この坂を上ると、八千代座、その先は豊前小倉に行きます。 …

旧豊前街道~山鹿(6)

旧豊前街道の山鹿には、菊池川の近くに惣門がありました。 菊池川を使った水運が発達して、周辺のコメを集め、ここから大坂 まで運ぶ川港がありました。 俵をコロコロと転がして船に積む、俵転がしの施設があったそうです。 そういうことで、惣門付近には、…

旧豊前街道山鹿(5)

過っての豊前街道にある山鹿市は、 湯どころとしても知られています。 熊本のお殿様の御前湯、お茶屋として370年の 伝統を誇る「さくら湯」は、明治以降は、 民の温泉として改築されました。 その後さくら湯は昭和48年に解体されました。 さくら湯 さく…

熊本城(銀杏城)

平成28年の熊本地震で被災した、熊本城ですが、 復興には、かなりの道のりがありそうです。 私の住んでいる所でも震度5弱の揺れで、 ましてや、震度7の揺れで、揺すぶられた 熊本城は、惨憺たる被害を受けました。 城は過去にも地震の被害を受けています…

旧豊前街道~山鹿(5)

熊本県山鹿市にある豊前街道には、古いお寺がありました。 金剛乗寺は石門のある、弘法大師開基の真言宗のお寺です。 光専寺は、浄土真宗のお寺です。 光専寺は天正6年(1578年)の創建で、明治10年の西南の役 では、熊本北部で激戦が続き、光専寺にも…

旧豊前街道(4)

熊本県山鹿市にある、旧豊前街道は、 天正16年、熊本に入国した加藤清正公が、 整備したと言われています。 熊本と豊前小倉を結んでいました。 豊前街道 右側の家屋は塗料店と看板が出ていました。 豊前街道上の商家も、時代の変化で、 家業を変え生き残っ…

惣門付近~旧豊前街道(3)

熊本県山鹿市の菊池川と豊前街道とが交わった所に、 過って、惣門がありました。 ここは、菊池川の水運と豊前街道の陸運が相まって、 米の集積地、酒の醸造、味噌蔵などが立ちました。 今も昔の面影を残しています。 千代の園酒造前 千代の園酒造は、明治2…

八千代座~山鹿旧豊前街道(2)

旧豊前街道にある山鹿は、菊池川の水運と、 豊前街道の水陸の要衝、物資の集積地 温泉地としておおいに賑わっていました。 1910年山鹿の有力者により、八千代座が 竣工しました。 芝居小屋として始まり、歌舞伎、浪花節、新劇、 活動写真、邦楽、に使わ…