2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧
御柱祭で知られる、諏訪大社は、 諏訪湖周辺に四箇所の社があります。 上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮です。 信濃の国の一宮で、神位は正一位で 全国にある諏訪神社の総本社です。 下社春宮拝殿 諏訪明神は、古くは風・水の守護神で、五穀豊穣を祈…
名古屋市緑区有松は、もと東海道が通っており、古い商家の街並みが、 今も残っています。それぞれ謂れのある建物が建っています。 服部豊家は、寛政2年(1790)向かいにある大井桁屋から分家し、創業した絞問屋で、屋号は井桁屋です。 井桁屋(服部豊邸) 中…
元お城があった高台から降りて、白川郷の村中に車を進 めましたが、駐車場が見つかりません。 だんだん、合掌造りの家が無くなって来ました。 行き過ぎたと思って、戻りました。 信号を直進して来たので、今度は、庄川を渡ってみました。 合掌造りの建物を集…
早朝の散歩に出かけました。 宮川を渡り、朝市のある宮川沿いを覘きましたが、 まだ早い様で、準備中でした。 昨日歩いた古い町並みに行って見ると、 朝日がまだ低いせいか、薄暗く、建物の屋根 だけを照らしていました。 昨日はあんなに人で埋め尽くされて…
うだつの上がる街並みから一つ筋違いの俵町の通りに、 元は江戸時代、町医師の住宅がありました。 今は、美濃和紙のちぎり絵や、美濃和紙の手工芸品 のギャラリーになっていました。 山田家住宅
尾道は、広島県東部の瀬戸内海に面しています。 尾道水道が対岸の向島との間にあり、 古くから海運の要衝として栄えてきました。 街は、平地が少なく、傾斜地に住宅や寺が立て込んでいます。 天寧寺三重の塔 冬の日に行ったので、雲が垂れ込めていました。 …
白川郷から高山市内に入ったのは、午後2時を過ぎていました。 ここで今夜の宿を探す必要ありました。それは、予約がいっぱいで、 事前にホテルの部屋を確保することが出来ず 高山に入ってからキャンセルの部屋を、スマホで探しました。 今日の宿を確保したの…
名古屋市緑区にある旧東海道中有松、 今は国道一号線から少し離れた場所ですが、 江戸時代、東海道が東西の往来で栄えていた頃、 有松絞りで繁栄し、風情のある 街並みが残っています。
高山から国道41号線で、北上しました。 長い高山国府バイパスを抜け、宮川沿いに進み左折すると、 古川町にでました。 ここが、飛騨市の古い町並みが残っている所です。 飛騨古川駅の線路を渡ってすぐの所に車を止めて、 歩いて街並みを見ていきました。 …
5月の終わりに高山、白川郷を訪ねる旅をしました。 名神から東海北陸道に乗り換えて、白川郷まで行けました。 白川郷の手前から、高台に上る道を進むと、 元お城があった場所なのか、見渡せる場所に出ました。 田んぼには水が張られ、田植えの季節なのでしょ…
高山からの帰り道、郡上八幡に寄りました。 その途中、せせらぎ街道の道の駅 パスカルの近くの山道で、野生のツキノワグマに遭遇しました。 昨年の馬籠宿の鹿に続き、岐阜県は、自然に溢れているなと思いました。 現場は少しカーブした山道で、前方に黒いも…
岐阜県の飛騨地方にある高山市へ5月末に 梅雨の雨が降り出す前、と思って行きました。 ところが今年は雨が降りませんね。 まず、高速で白川郷まで行って、高山に入りました。 平日なのに、道は車で溢れ、街は、観光客で溢れていました。 まずは、メインの古…
佐伯城三の丸櫓門が残っています。 城はもともと八幡山に築城され、天守本丸がありました。 ここ佐伯城は、慶長7年(1602年)毛利高利公が 八幡山で築城に着手しました。6年後に完成しましたが、 元和3年(1617年)火事により、本丸と天守を焼失し…
今、天空の城と言って、雲海に浮かぶ、 山城が持て囃されていますが、 岡山県高梁市にある備中松山城に行った頃は、 自然現象として、その情景は知られていましたが、 現在の様なブームではありませんでした。 備中松山城五平櫓と天守 明治以降、この城は、…
竹原は、室町時代から港町で知られ、 戦国期には、小早川家の領地でした。 江戸時代後期には、製塩で栄えました。 人口2万5千人の小さな町ですが、 風情のある街並みが残っています。
郡上八幡から国道156号線を南下して、 美濃市の加治屋町にあるうだつの上がる街並みを目差しました。 ここは、昔からの商家の佇まいが今に残っています。 今は、うだつが上がらないとか上がるとかは、 もう言わないかもしれませんけど うだつとは、屋根の…
白川郷から高山に行く途中、道を間違えて、 富山県南砺市の岩倉家住宅に行きつきました。 ナビに高山と入れて、その通り走っているのに、 富山県という看板が目につきます。 ここで、車に乗っていた郵便局の外交員の人に、 高山はこの道で良いか聞きました。…
大分県の国東半島の真ん中の両子山の中腹に、両子寺があります。 天台宗のお寺で、養老2年(718年)の開基です。 本尊は阿弥陀如来です。 その山門前に石の仁王像が立っています。 その先の石段も凸凹で長い年月の経過を教えてくれます。
岐阜からの帰りに、木曽川の高台にある 犬山城と有松は寄ろうと、考えていました。 美濃市のイオンで午後4時半です。 もう、犬山城の営業時間内には、着きそうにありません。 仕方なくスマホで、今日の宿を探しました。 犬山に宿がなく、少し通り過ぎた小牧…
去年の10月に、松本から山を越えて、上田城を見に行きました。 途中の販売所では、ここの産物のまつたけが並べられていました。 上田城南櫓 関ヶ原の戦いの直前、徳川軍の別動隊を率いていた徳川秀忠公が、 真田昌幸公の上田城を攻めた合戦が、第二次上田合…
岐阜からの帰り道、犬山城を見に行きました。 時刻はもう5時を回っています。 日は7時ぐらいは持ちそうですが、 しかし、城の営業時間には間に合わないと思い、 途中で今夜の宿をスマホで探しました。 宿は、犬山から少し離れた小牧のホテルです。 国道41…
有松の街は、周りを名鉄や近代的な建物にに囲まれて、 ここに江戸時代さながらの通りがあると 思わせない意外性がいいと思います。 有松の成り立ちは、尾張藩の慶長13年(1608年)のお触書によって、 東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に出来た茶屋町が起…
大分県中津市にある中津城は、天正15年、黒田官兵衛公が秀吉公から、 豊前で12万を与えられて、山国川の河口に築城した事に始まります。 日本三大水城の一つに数えられています。 その後の慶長5年、黒田家は筑前に移動し、代わって細川忠興公が この城…
伊能忠敬記念館と伊能忠敬旧宅とは、 小野川を挟んで樋橋で結ばれていました。 樋橋は、橋の横から水が流れ出す珍しい橋でした。 伊能忠敬記念館から見ると伊能忠敬旧宅は正面にありました。
鑰屋(かぎや)は、慶長5年創業の味噌醤油の製造元です。 彼此、400年以上続く老舗です。 臼杵のお城から西に進むと、鑰屋の看板と壁の色が目に留まりました。 かぎやと読めなくて苦労しました。
別ブログの「夢の旅スケッチ」で、取り上げたことがあるのですが、 今は大分県日田市にあった、広瀬淡窓の咸宜園です。 なぜ今回取り上げる事にしたのかと言えば、 岐阜県の高山市で博物館の学芸員さんと話す機会があり、 「九州にも飛騨ならぬ日田があり、…
小野川の両岸に古い町並みを残す、 香取市佐原(さわら)ですが、 小野川と県道55号線がクロスする所が、忠敬橋です。 この名は、地元佐原の偉人、日本中を測量して廻り、 大日本沿海輿地全図を造り上げた伊能忠敬にちなむ物でしょう。 忠敬橋のたもとには…
去年の10月に、長野にある古城を訪ねる旅をしました。 北国街道の宿場町、海野宿から国道18号線を走りましたが、 その横を、附かず離れず、千曲川が寄り添って流れていました。 ここの到着まで、日が空に留まっていてくれました。 三の門に掲げている額に…
九州佐賀県の地図を開くと、伊万里市は、西の端で、 長崎県の佐世保の方が、県庁所在地の佐賀市より近いのが 解ります。伊万里は、江戸時代、ここで作られた磁器を、 港から輸出しました。伊万里は貿易港だったのです。 一方内陸の伊万里の秘境にあった大川…
新勝寺の門前町に今年の2月に、行きました。 今回は、漬物のお店と羊羹の菓子屋さんです。 今日ブログ更新が遅れました。 昨日からずっと車を運転していて、今日、やっと家に辿り着きました。 今度の珍しい物は、野生のツキノワグマを見たことです。 山道で…