2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
岡山県の高梁川を遡り西に入った山の中に 鉱山町の吹屋がありました。 ここは、江戸後期から明治まで、 ベンガラの国内唯一の産地で ベンガラの問屋か数多くありました。 ベンガラは赤色の発色剤で、神社の壁や陶器に使われました。
四国愛媛県の南予地方に、かって木蠟の生産で 全国シェアの30パーセントを占めた内子町がありました。 ここは、木蝋の生産と和紙の生産も盛んでした。 そんな内子町には白漆喰に鏝絵の堅牢な建物が建っていました。 最大の木蠟業者だった芳我家の 分家の上…
二重の環濠と木柵に守られた、弥生時代の遺跡 吉野ケ里遺跡が背振山地の南麓にあります。 縄文時代後期には、吉野ケ里丘陵には、人が住んでいたと推察され、 有明海は今の位置より、ずっと陸地に入り込んでいました。 ということで、海の幸、山の幸を得られ…
名古屋市の緑区に国道一号線から 外れた場所に、有松はありました。 織田信長の桶狭間の戦いの古戦場が 近くにある有松は、東海道が整備された頃は、 松林が点在する丘陵でした。 その頃は藩の移住策で、鳴海宿と池鯉鮒宿の間に 人が住むようになりました。 …
京都市の北方の南丹市に 茅葺の屋根の農家が残る美山があります。 ここは由良川の源流で、三方を山で囲まれています。 ここは、林業を主とする山村集落で、 集落を通る道は鯖街道の一つとされています。
JR近江八幡駅の北側に新町通りがありました。 江戸期から明治にかけての商人の邸宅が並ぶ 町並みで、近江商人の故郷とも言える場所です。 ここの八幡商人は、他の近江商人よりも初期に活躍し、 江戸進出も、海外進出も、この地の八幡商人でした。
かって外国人居留者が住んでいた 洋館が立ち並ぶ石畳の坂がオランダ坂で、 その坂に面した東山手洋風住宅群がありました。 ここは、オランダ坂の西斜面で、 宅地としては傾斜地の狭い地面に建っています。
福岡の大博通りに、古い真言宗のお寺があります。 ここは、東長寺と言って、空海が唐から修行を終えて帰国した際、 博多に滞在した時に建てた寺と言われています。 山門を入って北側に六角堂があり、 大仏殿には、木造の釈迦坐像では、日本一大きい仏像で 福…
和歌山県の有田川の南にある入り江に、 醤油発祥の地で知られる湯浅がありました。 湯浅は港のある漁師町で、周りがミカンの産地なので 湯浅の港から出荷していました。 そんな湯浅の北町通りには、 古い醤油工場が今も操業していました。
四国香川県琴平町に「讃岐のこんぴらさん」 で知られる金刀比羅宮が象頭山にあります。 ここは、海の守り神で、海事関係者に崇拝されています。 表参道に続く金毘羅街道には、 うどんのお店が並んでいました。
兵庫県北部の山陰には、城崎温泉があります。 ここは、七つの外湯を主とする温泉郷で、 3階建ての温泉宿がおおたに川の流域に 温泉街を形成しています。
千葉県の北部にある佐原は 利根川に接する水郷で、小野川沿いに 古い商家の町並みを残します。 この川沿いに、伊能忠敬の旧宅がありました。
岐阜県の北部の飛騨地方にある高山は、 飛騨山脈と白山山地の 高い山に囲まれた盆地にあります。 江戸時代城下町でその後、幕府の陣屋が置かれました。 古い町並みには城下町の面影を残しています。
伊勢市にある河崎は、伊勢参りの参拝客が 伊勢湾を渡りたどり着く勢田川の河岸でした。 室町時代から江戸時代に発達した町で、 日本全国から集まる物資を売りさばく 問屋が軒を並べていました。 今も当時の繁栄を物語る 古い商家や蔵が残っていました。
鞆の浦は瀬戸内海の中間にある港で、 古くから潮待の港として知られていました。 今は福山市に属していて、 鞆には古い町並みが残っています。 狭い路地が、町を巡っています。 この蔵は最初は呉服店で、 のちに、船具屋になった商家です。
城崎温泉は、兵庫県の北部の豊岡にありました。 おおたに川の流域に3階建ての 温泉宿が軒を並べていました。 おおたにがわは、建物の裏に流を変えていました。
京都の嵐山の渡月橋より北に入った場所に、 鳥居本はありました。 ここは古くは化野と呼ばれ、京都の風葬地のひとつでした。 鳥居本の鳥居は愛宕神社の一の鳥居で、 愛宕神社の鳥居前町となっています。
京都の北部にある南丹市に、今では見かけない 茅葺屋根の里がありました。 ここは、由良川の源流にあたり、山々に囲まれた山間地で ほとんどが農家でした。
坂越は播磨灘に面する港町で、瀬戸内海有数の 廻船の拠点として発展して、豪商たちが廻船業を営み、 坂越浦には、西回り廻船の大型廻船がひしめいていました。 坂越の大道には、白壁の蔵が続く奥藤酒造がありました。
熊本県人吉市青井町にある青井阿蘇神社は、 大同元年(806年)に阿蘇神社の分霊を 球磨郡青井郷に祀ったことに始まります。 領主の相良氏の庇護を受け、現在に至ります。 令和2年の球磨川の豪雨災害で被災して、 国宝の拝殿が床上浸水しました。
平城遷都の下京として寺社が置かれた奈良町は、 中世以降、元興寺(廃寺になった)の境内に 様々な手工業者が住み着き、産業都市として発展しました。 奈良は第二次世界大戦の戦災を受けなかった為、 細い路地に古い町屋が残りました。
四国香川県にある琴平町は、 金比羅宮で名を知られています。 そんな琴平町には、高灯篭が金比羅宮北苑にあります。 琴平町は海から10キロ以上離れていて、地上にいると 海は感じられませんが、高さ27メートルで、3階建ての灯篭 からは見えるのでしょう。 18…
福知山城の北西に御霊神社があり 公園になっています。 御陵神社の御祭神は宇賀御霊大神で、 稲を主宰する神を祀ったことから 五穀豊穣商売繁盛の神と崇められてきました。 しかしこの御霊神社の本社は、 明智光秀公を祀ったことに由来します。 光秀公は、丹…
由良川の源流の美山町は、京都府のほぼ中央にありました。 町は千メートル以下の山々に囲まれて、 昔ながらの茅葺屋根の民家が多数残っていました。 福知山から南丹市の美山町に入りました。 途中、以前は茅葺屋根で、今は形は残しながら 瓦葺きやトタン葺き…
江戸初期に、長崎に建てられた唐寺 (興福寺、福済寺、崇福寺)の事で、 唐三か寺とも言われます。 3カ寺共に黄檗宗のお寺で、 崇福寺は、赤く塗られた三門を潜ると 高台に峰門があり、その先は大雄宝殿に行き着きます。
京都府の北部に位置する福知山は、 由良川を取り込んだ福知山城を 縄張りした明智光秀が造った町として 知られています。 その城下町を、北から山陰道が下って来て 京都に向かいます。 その道すがら、古い町屋風のお店を見つけました。 外から見る限り、看板…
兵庫県北部にある出石は、5万石の小さな城下町で、 信州から持ち込まれた、出石そばのお店が数多くありました。 そんな城下町を歩いて観て行くと、 田結庄通りと本町通りの角に 板壁が印象的な町家がありました。
瀬戸内海の島で、江戸時代北前船の寄港地で賑わった、 大崎下島に、御手洗はありました。 伊能忠敬がこの地を測量した時 宿になった町家が残っていました。
京都の右京区に、嵯峨野鳥居本があります。 ここは、古くは化野(あだしの)と呼ばれていました。 平安時代以前の京都では、身分のあるもの以外は 風葬、鳥葬が当たり前で、遺体が野辺に放置されていました。 京都では、西の化野、北の蓮台寺、東の鳥辺山が…
南北朝時代の歴史物語「増鏡」に、 文永四年(1267年)に後堀河天皇の 御姉安嘉門院が入湯された記事があることから、 「御所の湯」となずけられた御所の湯は 建物が和風の佇まいでした。