2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
岐阜県も富山県や石川県の県境に近い 白川郷は、独特な合掌造りの集落で知られています。 冬場は、豪雪地帯で知られる庄川流域で、 茅葺に急こう配の屋根は、雪下ろしの作業の軽減 を考えて作られています。 また、雪に閉ざされた冬場の仕事として、 2層3層…
琵琶湖の東岸にある近江八幡は、 織田信長が築いた安土城下の西隣の町です。 近江八幡の城下は、豊臣秀吉の甥の、豊臣秀次によって 八幡山に築かれ、主なき城下町になっていた安土から住民を 移住させ、琵琶湖と城下を結ぶための水路を掘りました。 この水路…
大正浪漫夢通りから,蔵造りの街並みの、 県道39号線沿いに出ました。 蔵造りの街並みらしく、大きな屋根に 厚い壁と、2階の窓は防火扉になった 家屋が目立ちました。 亀屋本店 まず目に飛び込んできたのは、 創業天明3年の亀屋本店です。 川越藩御用達のお…
旧東海道にあった有松は、 今は、名鉄と国道一号線に 挟まれた都市の一部になっています。 江戸の初期には広陵とした松林が広がる 丘陵でしたが、藩の振興策で移住が進み、 絞り染めの技術が流入して、 有松絞りの問屋や商家が立ち並ぶ街となりました。 有松…
千葉県の北東部にある佐原は、 今は香取市になっていますが、 江戸情緒を今に残す、 古い町並みが残っていました。 小野川沿いに古い商家の街並みが残っています。 川向うには、江戸の末、日本全国を測量して、 正確な日本地図を造り上げた 伊能忠敬の旧宅が…
天正13年、金森長近が飛騨高山城を築城して 高山藩の支配でしたが、元禄8年天領となり 幕府の代官所が置かれました。 そんな高山の三町筋には古い商家 の街並みが残っていました。 三川屋本店前
長野県松本市にある松本城は、天守が国宝に指定された 姫路、彦根、松江、犬山、松本の一つです。 戦国時代より侵攻の舞台となりました。 今の松本城を建設整備したのは 徳川家康の家来で、太閤に身を寄せた 石川数正でした。 松本城 石川家は子の代で改易と…
和歌山県の湯浅町は、紀伊半島の西部にあり、 入江の奥の湊町です。 周りの山の斜面では、ミカンの栽培がなされています。 また、ここは、醤油の発祥の地として知られています。 湯浅伝統的建造物群保存地区 湯浅の有名人は、江戸に、ここのミカンを運んで、…
京都駅から臨済宗の東福寺に行こうとバスに乗り、 九条通りを東福寺前で降りると、 東福寺の交差点の手前にお寺が在りました。 その山門が良い具合に古びていました。 山門か鐘楼門なのか判りませんが、 お寺に入る入り口は、この門しかありません。 残念な…
小江戸の雰囲気を今に残す、 川越の蔵造りの街並みを 街並みを眺めながら進むと、 札の辻の交差点に出ました。 この交差点を市役所の方に曲がり かなり歩くと、江戸時代、川越藩の お城があった場所に行き着きました。 十万石のお城があった所ですが、 今は…
熊本県の山鹿市に 旧豊前街道の宿場町がありました。 ここには、温泉もあり賑わった所です。 街道と菊池川が交わった所には菊池平野 の産物の集積地となり、米を菊池川を経由して 有明海から大坂まで運んでいました。 明治29年それまで米穀商を営んでいた…
お不動さんをお祀りする 成田山新勝寺には参道沿いに たくさんのお店がありました。 新勝寺参道 京成成田駅で降りて、参道をゆくと 梅まつりで賑わっていました。
奈良県の五條市にある五條新町は、 江戸の初め、五條と城の在った 二見の間に出来た街でした。 その川の手前に、餅商一橋の古い看板を掲げる お店があり、峠の茶店ではないけれど、一度は 訪れてみたいと思っていました。 昨年の末に訪れる機会があり、行っ…
旧中山道の宿場町、奈良井宿は、 木曽11宿の一つで、今は長野県塩尻に属しています。 南北に約1キロの宿場が続き、奈良井千軒と言われ賑わった 宿場です。 奈良井宿 今は、旅籠、おやき、信州そば、漆器、 木工製品のお店が並んでいました。
東大路通りから八坂通りを 東に入ると、通りの突き当りに 、五重の塔が目に入ります。 この五重の塔が法観寺で、 通称八坂の塔で、この辺りの ランドマークとなっています。 八坂の塔に近づくと,ちょっと登坂になっています この塔のある法観寺は、臨済宗の…
室町時代より瀬戸内海の要衝で 港町として栄えた竹原は、 江戸後期には製塩業が盛んになり、 北前船で大坂や江戸まで運ばれました。 竹原 昔ながらの路地は狭く、両側には古い町屋が続き、 道の先に西方寺が見えました。
国道2号線で、東海や関西からの帰り道、 広島を過ぎてやっと山口まで帰ってきたと 深夜の国道を運転していると、 多分岩国あたりだと思いますが、 暗いカーブの道から 突如、 五重塔にお城が重なったような建物が 道のそばに出現します。 最初は長時間の運転…
岐阜の飛騨地方には 城下町の面影を残した古い町並みがありました。 三町筋から2本東の通りも この地独特の建物がありました。 高山 奥の高いビルがNTTで、その隣が商家博物館の平田記念館で 造り酒屋の二木酒造と並んでいました。
諏訪大社は、信濃国の一宮で、社格は正一位、 全国にある諏訪神社の総本社です。 諏訪湖周辺に4箇所の境内がある神社です。 諏訪明神は、古くは風水を司る守護神で、 五穀豊穣を祈る神 また武勇の神として信仰されています。 諏訪大社下社秋宮 諏訪地方で行…
瀬戸内海の湊町鞆の浦には、 「浜の真砂が尽きるとも、大坂屋の財産は尽きぬ」 と唄われた豪商大坂屋がありました。 屋号の大坂屋で、問屋、酒造業で栄えた 上杉家の邸宅の門が残っていました。 対仙酔楼 対仙酔楼は大坂屋の邸宅の楼門でした。 大阪屋を頼山…
長野県の南木曾町にある旧中山道の宿場町、 妻籠宿は、馬籠宿から馬籠峠を通り、2里の山道 を登り到着します。 木曽路11宿のひとつです。 妻籠宿 宿場は、2町30間の中に、問屋2軒、本陣1軒、脇本陣1軒、 旅籠31軒がありました。
京都の八坂神社から四条通りを西に進むと、 北から南に抜ける花見小路にぶつかります。 この道を南に入ると、料亭やお茶屋さんの立ち並ぶ 通りです。 この通りの奥の行き止まりが建仁寺です。 山号が東山、臨済宗建仁寺派の大本山です。 建仁寺法堂 建仁2年…
長浜は琵琶湖の北東にある、 豊臣秀吉が主君信長からこの地を賜り、 初めて城を築いた場所です。 そんな長浜の城下町で、過って商家が立て混でいたであろうアーケード の中を進むと、大手橋があり、その下に川が流れていました。 地図で見ると琵琶湖から繋が…
有松は、名古屋市緑区の国道1号線から少し 入り込んだ街の中にありました。 織物の有松絞りが産業化して、 豊な商家が立ち並ぶ街となりました。 有松 昔ながらの商家の佇まいを今に残しています。
冬場雪に閉ざされる岐阜の庄川流域の白川郷は、 合掌造りの集落として知られます。 豪雪地帯の雪対策として、急こう配の茅葺の屋根は 雪下ろし軽減を図っています。 白川郷合掌造りの家屋 一階は住居部分で、2階3階は、蚕の飼育や倉庫として使われました。
岡山県の山の中に、江戸時代の享和文化(1800年)頃 銅山とベンガラの原材料ローハを製造し、 巨万の富を蓄えた大野呂の庄屋、広兼家の邸宅があります。 広兼邸 ベンガラとは赤色の着色料で、神社仏閣の壁や柱に塗られました。 その製造に携わった広兼家の勢い…
大分県中津にある中津城は、 黒田孝高が豊前12万石で封じられて、 山國川の河口に造った城です。 日本3大水城の一つに数えられています。 黒田家は関ヶ原の功で、筑前に52万石で国替えになり、 代わって、細川忠興が豊前豊後で39万石で入りました。 …
川越の蔵造りの街並みにある時の鐘は、 時の領主の酒井忠勝により造られました。 度重なる火事で、現在あるものは4代目だそうです。 昔は人が突いていましたが、今は機械式になっています。 時の鐘 午前6時、正午、午後3時、午後6時の日に4回、 蔵造りの…
伏見城と言えば、豊臣秀吉が伏見に 隠居城として建てた城です。 最初に建てられた城は、慶長伏見地震で倒壊しました。 その後、木幡山に場所を移して再建されました。 秀吉はこの城で死んで、その後の関ケ原の合戦の 前哨戦で徳川方の鳥居元忠がこの城を枕に…
上野駅から上野東京ラインに乗り、 一駅で東京駅に着きました。 通勤ラッシュの時間で、 ホームや通路は人で溢れていましたが、 一歩東京駅から出ると、まだ人通りは少なく、 また別の顔を見せて呉れました。 東京駅