2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧
徳島県の北西部の吉野川沿いにある脇町(美馬市)は、 撫養街道と讃岐街道の交差する交通の要衝で、 藍の集積地として発展しました。
愛知県の豊田市の東側に、三州街道の宿場町足助がありました。 三州街道は三河湾で採れた塩を、矢作川を使い、舟で足助まで運び 足助から馬の背に乗せ換えて、信州塩尻まで運んでいました。
香川県の琴平町、金比羅宮の門前町にある 金丸座は、日本最古の芝居小屋です。 天保6年(1865年)に棟上げをしました。 江戸や大阪の千両役者が舞台に上がり、全国に知られた 芝居小屋です。
長良川が南北に流れる美濃市に、 うだつの上がる街並みがあります。 美濃市は美濃紙で知られる和紙の産地で 紙問屋や、造り酒屋などが立ち並ぶ 街並みがあります。 江戸から明治の初期までのうだつの上がる街並みがあります。 ここは、金森長近の城下町でも…
旧中山道の43番目の宿場町で、 今は岐阜県の中津川市に属する馬籠宿は 木曽十一宿の中で南の端にありました。 宿場内には本陣1軒、脇本陣1軒と旅籠が 18軒ほどありました。 本陣跡には、本陣の息子であった 島崎藤村の記念館が建っていました。
広島県の中央部の瀬戸内海沿いにある竹原は、 古くからの港町として、瀬戸内海交通の要衝の地でした。 江戸後期には、塩田の塩、酒の醸造業が発展し 北前船で全国に運ばれました。 そんな竹原には、古い町並み保存された地区がありました。
奈良県の南西部にある五條は、 和歌山とを結ぶ紀州街道が通っていました。 ここは、江戸初期以降 天領となり幕府の支配地でした。 その街道の新町通りには、 造り酒屋さんの山本本家がありました。
大分県臼杵市は、大友宗麟が、 九州を席巻しようとした島津軍の攻撃を 海に浮かぶ臼杵城に籠って、守り切った所です。 その後、この地は、岐阜から移ってきた 稲葉氏の城下町となりました。 城下町は、起伏に富む地形に沿って、 狭い路地が街中を巡っていま…
平成28年二度の激震に見舞われた熊本城は、 深刻なダメージを被りました。 修復の途中にありますが、今年の秋の特別公開に向けて 天守の早期復興に取り組んでいます。
奈良井宿の越後屋旅館は、寛政年間から続く旅籠で、 多くの旅人が、鳥居峠の難所を控え、 わらじを脱いだところです。 また、隣にある日野百草本舗は生薬の胃薬などの お土産を売る店です。
琵琶湖の北東に、豊臣秀吉が 最初の城を建てた、長浜があります。 琵琶湖の水運と城下を通る北国街道の要衝 として発展しました。 北国街道 北国街道は長浜城下を北上して、福井の北ノ庄を結んでいました。
千葉県成田の新勝寺は、年間一千万人の参詣を集める 関東でも有数の寺院です。 その門前には門前町が形成されています。 新勝寺に向かう参道は、少し上って、その後は曲がりながら 下っていきました。道の先に三重塔が見えてきました。
慶応元年(1865年)に完成した、 琴平町にある高灯籠は、高さ27メートルの 日本一の灯籠で、国の有形民俗文化財に指定されています。 瀬戸内海を航行する船の指標として、こんぴらさんを 拝むともしびとして造られました。 琴平町はかなり海から離れて…
岡山の高梁市から高梁川を遡り、西に分け入ると、 江戸中期から明治にかけて、日本唯一のベンガラの 産地として繁栄した、吹屋があります。 ベンガラとは赤色の着色料で、陶器、漆器、 神社仏閣の建物に使われました。 当時の問屋さんの建物が残っていました…
川越の蔵造りの街並みに、もうだいぶ前に行きました。 その日の前日は、2月らしく冷え込んで、寒かったのですが 川越に着いてからは、日が当たるにしたがって 温かくなりました。
千葉県の東北部の利根川に接する香取市は、 前まで佐原と呼ばれていました。 小野川沿いに古い商家の町並みを残します。 今も小野川には、遊覧の舟が浮かびます。
倉敷川の両岸に白壁の商家の蔵や屋敷が残る倉敷は、 江戸時代天領で、コメなどの物資の集積地となりました。 高梁川から続く倉敷川は、児島湾に出る運河として 造られました。 倉敷川の両岸には柳の木が植えられていました。
焼き物の郷有田の街中に、臨済宗南禅寺派の桂雲寺があります。 大通りから少し中に入っていますが、 山門の前に一対の仁王像が睨みを効かせています… … この寺は元和6年(1620年)武雄から移って来た寺です。
白川郷は、庄川の流域の豪雪地帯に建つ、 急こう配の茅葺屋根の合掌造りの住居で知られています。 ここでは、農村の豊かな自然を味わえます。 合掌造りの家屋は、お土産屋さんや飲食店の店舗としても 利用されています。
海上交通の守り神として知られる金比羅宮は、 香川県琴平町の象頭山の中腹に鎮座します。 こんぴらさんは、1368段の長い石段で知られています。 虎屋前 長い階段に上る前の参道の右側に、うどんやさんが2軒ありました。 古い謂れのありそうな家屋でした…
長野県東御市にある北国街道の 宿場町海野宿は、近くに千曲川が流れています。 北国街道は、追分で中山道を離れて海野宿を通り 善光寺を経て、直江津で北陸道と合流します。 海野宿には本陣1軒と脇本陣2軒あり、善光寺参りや北陸の大名の参勤交代 佐渡の金…
松江城は、関ヶ原の功で隠岐と出雲で24万石を拝領した 堀尾忠氏が、宍道湖と中海を結ぶ太田川の近くに築城しました。 堀尾家は3代で絶え、その後、京極家、松平家となり 明治を迎えました。 松江城天守 松江城天守は国宝に指定されています。
JRの高山線飛騨古川駅から南下すると荒城川に行き着いました。 その傍に、弁天堂があり琵琶を弾いている 木像造りの弁天さんが見えました。 荒城川に注ぐ瀬戸川沿いの道を進むと 白壁土蔵の通りに出ました。 瀬戸川には色取り取りの鯉が泳いでいました。
高知の帯屋町から堀を渡り、追手門まで行くと、 左手の高台に天守が見えました。 ここは、山内一豊が、関ヶ原の功で、 土佐24万石を受領して建てた城です。 高知城は天守と本丸御殿とが両方残された唯一の城です。
長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃紙で知られる和紙の街です。 その市役所から程近くの場所に うだつの上がる街並みがありました。 この町並みは江戸から明治の街並みで、和紙の紙問屋や造り酒屋と言った 商家が立ち並んでいました。 屋根の上には、うだ…
大分県の国東半島の山の中に、奇岩の文殊山があります。 木々に覆われた中に、文殊仙寺がありました。 ここは、648年役小角の開基と謂れて、3人寄れば文殊の知恵 で知られる文殊菩薩を本尊にしています。 この寺の奥の岩壁の前にひな壇の様に並べられた …
琵琶湖の北東にある長浜は、豊臣秀吉の故地です。 その城下町に大手門通りと北国街道が交わった場所が 当時の街の中心で、高札が立つ場所でした。 札の辻という所で、明治になっても町の中心で、角には 明治33年(1900年)第百三十銀行が 建てられまし…
南砺市の西赤尾に、加賀藩煙硝上煮役の 藤井長右衛門の住居があります。 ここは、5階建ての合掌造りの総欅造りの家屋で、 家系が途絶えたので、 岩瀬家住宅として残っています。
大分県の国東半島に養老2年(718年) 仁聞の開基と伝えられる富貴寺があります。 国東半島には、宇佐八幡との神仏習合の六郷満山のお寺が 多数存在します。 富貴寺仁王門 小ぶりで、素朴な仁王様が迎えます。 大堂は国宝に指定されています。
山口県下関市は、本州の最西端で、 関門海峡により九州と隔てられています。 古くは赤間関と呼ばれた、港湾都市です。 また、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、馬関戦争では、 長州藩と四国艦隊との戦いの舞台になりました。 今は明治に建てられた郵便局と大正に…