2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
兵庫県姫路市にある姫路城は、世界遺産で国宝になっています。 この姫山に初めて城が建てられたのは、14世紀、赤松氏の時代で 、その後小寺氏、その家来の黒田氏と続き、 中国進出を目論む織田の羽柴秀吉が、 小城程度の規模であった城を近代城郭に改めま…
山口県の日本海沿いの旧藩都の萩には、静かで落ち着いた、 武家屋敷が残っていました。 幕末の京を騒がせ、仕舞には藩その物を破滅の危機に叩き込んだ 長州武士の武家屋敷にしては、静かな佇まいでした。 ここに住んでいた、武士は石取りの高級武士で、あま…
広島県福山市にある福山城は、 西国大名への抑えとして、江戸時代初期に建てられた城です。 伏見城から移された遺材も多く使われています。 この城は、江戸幕府を守る目的に造らため、幕末には、 新政府軍から攻められたりしました。 維新後の廃城令で売却、…
岐阜県中津川市にある旧中仙道の宿場町、 馬籠宿は、登坂の途中にある宿場でした。 この坂道を登り、馬籠峠越えると、道は杉林の中に消えて行き、 長野県の南木曽町の妻籠宿へ下っていきます。 馬籠宿
鞆の浦、阿弥陀寺を過ぎると、 道は狭くなります。 多分昔からある道の幅で、 阿弥陀寺の前の道は、後から広げた道ではないでしょうか。 阿弥陀寺は、浄土宗のお寺です。山門が素敵でした。
鞆の浦には、文久3年(1863年)の政変で、失脚した 長州系の公卿が滞在した、太田家住宅が残っています。 当時は中村家で、福山藩御用名酒屋を務めた、保命酒の蔵元でした。 七卿落ち遺跡の太田家住宅 保命酒の蔵元ですから庇の上に、杉玉が吊るされて…
蔵造りの街並みにある大沢家住宅と金笛の笛木醤油の間に細い 路地がありました。 路地に入ると、食事処が立ち並んでいて 「稲荷小路」とかいてあったのに お稲荷さんはどこにあったのかなと 地図で調べると、稲荷井戸が途中にありました。 稲荷小路
下諏訪の諏訪大社の下社秋宮をでると、美術館や資料館が立ち並ぶ 横に、路地があり、周りは古い蔵が壁になっていました。 この路地は鍵の形に曲がっていました。 下諏訪町は、中山道と甲州街道の合流点であり、諏訪大社の下車の 門前町、宿場としてにぎわい…
鞆の浦は広島県福山市の瀬戸内海に面する、 沼隈半島の南端にあります。 古くからの湊で、潮待ちの湊として、 古代から知られていました。 潮の満ち引きの関係で、東西に潮の流れが生じ、 それに載って、船を動かしていました。 だから鞆の浦で潮待ちをして…
山鹿の中心は再開発されたのか、 広々とした中に、元御前湯のさくら湯がありました。 ただ旧豊前街道沿いは、 家屋がたてこんでいるので、 昔の街道の狭さのままになって いる所もあります。 山鹿灯籠民芸館 元安田銀行の建物を再利用した灯籠民芸館は、ここ…
広島県福山市にある福山城は、街中、山陽新幹線の福山駅と道路を挟んで 石垣があります。もともと駅がある所は、堀ではなかっのかと思います。 ですから、新幹線でお城に行けば、すぐにお城に入れます。 福島正則の改易の後、慶長20年、一国一城令の発布後…
17世紀後半に佐賀県伊万里の山の中に 鍋島藩の藩営の磁器工場が造られました。 ここでは将軍、大名への贈答用や藩主用の高級品 が焼かれていました。 その後、明治を迎え藩の保護を離れ、鍋島焼の技法は いったん途絶えましたが、近代工芸として、復活し …
福山市の鞆の浦には、狭い路地と古い町並みが 未だに残っていました。 鞆七卿落ちの太田家住宅から,まっすぐ西に進むと 保命酒の看板のある,古い蔵に行きつきました。 ここから道が,狭くなるようです。 保命酒はここ鞆の名産で、お酒と生薬と合わせた薬味酒…
熊本県山鹿市にある金剛乗寺は、空海が開いた古いお寺です。 石門を潜って参道を進むと、大きな銀杏の木があります。 それを右に曲がると、古い山門がありました。 金剛乗寺山門 金剛乗寺は天長年間(824~834年)に空海によって開かれましたが、 一時…
高山の三町筋を県道462号で東に進むと、 北は飛騨高山まちの博物館に出る、四つ角に出ました。 直進すると、登り坂になるようです。 この坂が海老坂というところでした。 上一之町、平瀬酒造前 坂の途中に大きな店構えの蔵元がありました。さすがに高山は…
広島県の東の端、もう少し行けば、倉敷という位置に 古代から近世にかけて、潮待ちの湊として知られた、 鞆の浦に行きました。 故郷からは、広島の福山市まで、車でも遠いのですが、 ナビの設定を普通道優先にしていたので、関門トンネルを 通り、ひたすら地…
佐賀県有田町は、日本で初めて磁器が焼かれた産地です。 積出港の名を取り、伊万里焼とか肥前焼と呼ばれていました。 そもそもの歴史は、1600年の初め、朝鮮人陶工の李参平らが、 有田泉山に陶石を見つけ、磁器を焼き始めた事に始まります。 その後40…
旧豊前街道の山鹿は、菊池川の水運と相まって、 コメの集積地として、酒造場や米麴を使った味噌蔵が建ちました。 その名残を残している、豊前街道と菊池川が結ばれ地点に、 過っては惣門がありました。もう今は惣門は残っていませんが、 酒蔵とお味噌屋が残…
平戸は、長崎県北部に位置する島で、 鎖国が始まる前までは、中国、 ポルトガル、オランダなどとの、貿易港でした。 現在は、九州本土と平戸大橋でつながり、車で行けます。 平戸の港に向かう途中に石橋がありました。 この橋が幸橋で、オランダ橋とも言われ…
川越市にある蔵造り街並みから鐘つき通りに入ると 角が酒屋さんで、その何軒か先に、時の鐘がありました。 当時としては、高い塔だったのでしょう。 今でも日に4回、蔵造りの街に、時を知らせます。 鐘つき通り
高山上二之町にある二木酒造は、 創業元禄8年、玉の井の大暖簾を 掲げています。屋号は加賀屋です。 ここは、飛騨高山の蔵元で、 氷室、玉ノ井他日本酒の販売をしています。 」 二木酒造 気になるのは、庇の上にガラス張りの神棚がありました。 間違ってい…
香取市の佐原には、昔ながらの佇まいを見せる 家屋が残っていました。 小野川沿いの一本西側の通りには、板塀に囲まれたお庭のある 邸宅がありました。 道の反対側は、北川商店の土蔵になっていました。 北川商店はこの道を左に曲がって進むと、 店舗工場で…
長野県塩尻市にある、奈良井宿を 去年の今頃、訪ねました。 空は、もう秋の雲が浮かんでいました。 もう一度、画の中の旅人になり、奈良井宿を歩きたいです。
熊本と豊前小倉を結んでいた旧豊前街道上の 山鹿市も都市化の影響で、街道沿いも、 古い町並みは、消えつつあります。 旧豊前街道 この通りの反対側は、近代的なビルやマンションに変っています。 この坂を上ると、八千代座、その先は豊前小倉に行きます。 …
九州北部の門司は山口県下関市と 関門海峡を隔て対峙しています。 古くからの港町門司の建物を 整備した、門司港レトロ地区 があります。 おしゃれな煉瓦積みの建物は、中華料理店だった記憶がありますが、 長く行っていないので、替わっているかもしれませ…
大分県中津市にお寺の壁が赤く塗られた お寺があります。浄土宗の合元寺です。 この寺は、黒田官兵衛公が豊前16万石で、 太閤から封じられて中津に城を造った時、 姫路から付いてきた開山空誉上人が 天正15年(1587)開基した寺といわれています。 合…
旧中仙道にあった妻籠宿は、 長野県南木曾町にあります。 広重の木曾街道六十九次でも、 妻籠宿は山中の登り道として 描かれています。 上嵯峨屋前 昔は、山道の峠を、足だけを頼りに、 ひとつひとつ 越えて 次の宿場まで辿り着いのでしょう。
千葉県も北部、利根川の近くの香取市佐原を 県道55号線沿いに、歩いて古い町並みを 眺めています。 佐原 左から油茂製油店、隣の蔵造りの家屋が癒しの雑貨ラパン、次が 中寅商店です。右端に見えるのが、佐原三菱館で、大正3年に建てられた 旧三菱銀行の…
滋賀県東近江市にある五個荘金堂は、 近江商人のもう一つの故郷です。 金堂の近江商人は、江戸後期から昭和期にかけて、 京都大阪東京北海道、朝鮮と販路を開拓し、呉服 から綿絹製品を販売し、中には百貨店経営に乗り出し 海外に二十数店の支店を抱える所も…
高山の古い町並みの上三之町を歩いています。 緑の木は藤で、招き猫の石像があるのが、郷土料理久田屋です。 ここは朴葉味噌や飛騨牛などの郷土料理店です。 その先は、凸凹堂で自然石のアクセサリーのお店です。 その先がお向かいどうしで、酒屋さんの原田…