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臼杵市の二王座には、山門のある白壁の寺院や、 立派な門構えの武家屋敷がありました。 それらを結ぶ細い路地が縦横に走っていました。
杵築は大分県の国東半島南部の 別府湾に面しています。 江戸時代は3万2千石の城下町でした。 城下町は起伏に富んでおり、岡の上に 武家屋敷があり、平地に商人の町があり それを坂道が結んでいました。 坂道を登ると、土塀の武家屋敷がありました。
大分の国東半島の山の中に、 養老2年仁聞が開基したと伝えられる 両子寺がありました。 ここは宇佐八幡と天台系山岳修験が 融合した六郷満山の地です。 山門を潜ると、石段の両脇に、苔むした仁王像が迎えます。 木立の中の暗い石段は、すり減っていて時の…
臼杵市は、大友宗麟が、海に浮かぶ臼杵城に籠って、 島津軍の猛攻を凌いで城を守り抜いた地です。 しかし、大友家はその後、改易になり、 岐阜から稲葉氏が入りました。 そんな城下は、地形に沿った狭い路地が 上り下りして町内を巡っています。
大分県臼杵市は、大友宗麟が、 九州を席巻しようとした島津軍の攻撃を 海に浮かぶ臼杵城に籠って、守り切った所です。 その後、この地は、岐阜から移ってきた 稲葉氏の城下町となりました。 城下町は、起伏に富む地形に沿って、 狭い路地が街中を巡っていま…
大分県の国東半島に養老2年(718年) 仁聞の開基と伝えられる富貴寺があります。 国東半島には、宇佐八幡との神仏習合の六郷満山のお寺が 多数存在します。 富貴寺仁王門 小ぶりで、素朴な仁王様が迎えます。 大堂は国宝に指定されています。
大分の山國川の支流中津川の河口に築かれた、 中津城は黒田如水が豊前で16郡を拝領して、築城して その後入った、細川忠興が完成させました。
臼杵の八町大路に創業慶長5年(1600年) と言う味噌、醤油屋を見つけました。 臼杵は水のきれいなところで、味噌、醤油、 酒の醸造の街として、醸造所が20軒もひしめいています。
大分県臼杵市は豊後水道に面する城下町でした。 戦国時代大友宗麟が、ここの城で、薩摩軍の猛攻 を凌ぎました。 大友家の改易後は岐阜から稲葉氏が入り、明治まで続きました。 そんな城下町には、武家屋敷やお寺が、 起伏のある狭い地にあり、細い路地で結ば…
大分県臼杵市は、石仏で知られる地ですが、 戦国時代は大友宗麟の城がありました。 その街中に、武家の門で、その中に家来を住まわせた 長家門がありました。ここは現在お住いの為、一切 案内板、説明文もありません。 前に見た中島家の長屋門が200石上士…
大分県中津市に赤い壁が印象的なお寺が在ります。 浄土宗西山派の合元寺です。 ここは、黒田孝高に従って姫路から空誉上人が開基 したと伝えられます。
大分県中津市にある中津城は、 豊臣秀吉の家来であった黒田如水が 豊前6郡12万石を与えられた後、 山國川の河口に城を築いた事に始まります。 日本三大水城の一つに数えられます。 黒田家は関ヶ原の功で、筑前52万石で、福岡に移動し、 変って、細川忠…
臼杵は豊後水道に面する町です。 戦国時代、大友宗麟が海に浮かぶ臼杵城に籠って、 薩軍の猛攻を凌ぎ、守り抜きました。 大友氏の改易後は、岐阜から稲葉氏が入り 明治まで続きました。 その城下町にある二王座は、寺院や武家屋敷が細い路地 で繋がっていま…
江戸から明治の初め、日本最大の私塾は、 九州の筑後川を遡った天領の日田にありました。 文化2年(1805年)広瀬淡窓は、日田の地で 全寮制の咸宜園を開きました。 束脩(入学金)を納め入門帳に必要事項を記入すると 身分にかかわらず入門することが出…
大分県豊後高田市に富貴寺と言う 天台宗のお寺があります。 富貴寺のある国東半島は、 神仏習合の仏教文化のある土地です。 養老2年(718年)伝聞の開創と伝えられます。 大堂は国宝に指定されています 富貴寺仁王門 入り口の仁王門には、小ぶりの仁王様…
大分県臼杵市は、大友宗麟が臼杵城に 籠って、島津軍の猛攻を凌いだ所です。 その後臼杵は、美濃から稲葉氏が入り 明治まで治めました。 長屋門 そんな臼杵の街中に、長屋門を見つけました。 門の中は、現在お住まいでしたので、外から 見させていただきまし…
大分市にある府内城は、鎌倉時代から この地を治めた大友氏の城ではなく 大友氏改易後に、福原直高が築城した城です。 12万石の城としては、大きな城です。 府内城 堀に門や櫓がある為、堂々としていますが、地震や、火事、空襲で、 4層の天守もありました…
大分県国東半島の山の中に、 「三人寄れば文殊の知恵」で知られる 峨眉山文殊仙寺があります。 この寺は、国東六郷満山の天台宗のお寺です。 境内を登っていくと、一番奥の岩壁に 羅漢さんがひな壇に並んでいました。
荒城の月は、土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の中学唱歌ですが、 モデルになった城は、違うみたいです。 土井晩翠は故郷の仙台青葉城で、滝は、大分県竹田市の 岡城址かもしれません。 戦国の昔、島津の九州制覇の猛攻を耐え、落城しませんでした。 しかし、岡城…
大分県の豊後水道に面した臼杵市には 平安後期から鎌倉時代にかけて造られた 磨崖仏が点在します。 磨崖仏とは、岩壁に直接彫られた仏像です。 古園石仏大日如来像 今は4つの石仏群に分類されています。 ホキ石仏第一群・第二群、山王山石仏、 古園石仏で、…
臼杵城は大友宗麟が島津の攻撃を凌いで、守り切りました。 大友氏の後,美濃の大名、稲葉氏が6万石で転封されて入りました。 その城下町に、武家屋敷や大きなお寺が、密集した 所があります。道は起伏に富んだ地形に沿って、そう広く ない街中を巡っていま…
大分県中津にある中津城は、 黒田孝高が豊前12万石で封じられて、 山國川の河口に造った城です。 日本3大水城の一つに数えられています。 黒田家は関ヶ原の功で、筑前に52万石で国替えになり、 代わって、細川忠興が豊前豊後で39万石で入りました。 …
名曲「荒城の月」は土井晩翠作詞、 滝廉太郎作曲ですが、それぞれ思い描いていた城は別でした。 土井晩翠は、故郷の青葉城を想い、 滝廉太郎は幼い日を過ごした大分の 岡城址で、廃城令ですべて取り払われて、 石垣だけを残し荒れ果た姿を曲にしています。 …
幕府の譜代大名奥平氏の居城のあった中津は、 大分県の周防灘を望む山国川の河口の城下町です。 お城は、黒田如水が造り、細川忠興が手を入れました。 その城下町に、のちに慶応義塾を創業した、 教育者の福沢諭吉先生の旧宅が城の東側にあります。 大坂の蔵…
大分県の国東半島の山の中にある、 両子寺(ふたごじ)は両子山の 中腹にある天台宗のお寺です。 奈良、平安、鎌倉の昔より宇佐八幡の庇護 と影響下に、神仏習合の独特の信仰と寺院が形成され、 国東半島一円に185の寺院と800の仏塔石仏が点在する、 …
大分県西部にある日田市は、 四方山に囲まれた盆地です。 有明海に注ぐ九州一の筑後川の上流に位置します。 川と山に囲まているので、春から秋にかけて朝夕、 深い霧に包まれることがあります。 江戸時代以降幕府の支配する天領となりました。 この地では、…
大分県佐伯市の佐伯城三の丸楼門から、 国木田独歩館に続く山際通りは、 お城近くの重臣たちの邸宅が立ち並んで居た、 閑静な武家屋敷街という感じで、 先に進むと、大きなお寺に出ました。 ここは、毛利藩(萩の毛利ではありません。豊臣秀吉の家臣) の菩…
豊前中津城は、黒田如水が、豊前で12万石の 大名に封じられた事に始まります。 山國川の河口に築城した城で、日本三大水城に数えられます。 その後、黒田家は筑前52万石の大名として転出し、 細川忠興が、豊前、豊後の39万石の大名として転入し、 大改…
天正10年信長公が本能寺で、最期を遂げた時、 備中高松城では水攻めの真最中で、 織田軍と毛利軍が対峙していました。 主君の死の報を知った秀吉は、死を隠し、 講和を急ぎ、全軍を京都に返し、 光秀を討ちました。 これが中国大返しですが、備中高松城を …
大分県国東半島(くにさきはんとう)は、 周防灘に張り出した山の中にありますが、 ここには、古いお寺があります。 国宝で九州で一番古い大堂がある富貴寺や 両子寺、文殊仙寺があります。 いずれも天台宗のお寺ですが、 古くは、宇佐八幡の影響下で、 神仏…