2018-03-02 豊後佐伯城 日記 #大分県 天正10年信長公が本能寺で、最期を遂げた時、 備中高松城では水攻めの真最中で、 織田軍と毛利軍が対峙していました。 主君の死の報を知った秀吉は、死を隠し、 講和を急ぎ、全軍を京都に返し、 光秀を討ちました。 これが中国大返しですが、備中高松城を 受け取り、残された家来もいたのです。 それが、豊後佐伯城主になった、毛利高政です。 毛利と言っても、秀吉の家来で、もともとは森姓でした。 佐伯城