2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧
京都府の北部にある美山町は、山々を 縫って流れる由良川の源流が流れています。 冬場は豪雪地帯で、茅葺屋根の農家が 250軒ほど残っています。
旧中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 木曽路11宿の中で南から2番目の宿場で、 難所の鳥居峠を控える所で、栄えた宿場でした。 宿場町には、本陣脇本陣各1軒づつ、 旅籠5軒、宿場内家数409軒ありました
大分市にある府内城は、大友宗麟が 建てた城ではありません。 大分市は、古くは豊後国の国府が置かれ、 中世には大友氏の城下町で発展しました。 ここは府内と呼ばれ、大友氏が城館を建てていました。 府内城は安土桃山後期に福原直高が城の造営に着手して、…
川越の蔵造りの街並みは、最盛期には 百軒以上の蔵造りの家屋が立ち並んでいました。 明治26年の川越大火で、焼け残っているのは 蔵造りの家屋だったことから、江戸の耐火建築であった 土蔵つくりの蔵造りの建物が増えていきました。 本瓦の大屋根に、部厚…
大分県の東部の海沿いの地に 臼杵がありますが、ここは、大友宗麟が 島津の攻勢を丹生島城(臼杵城)に籠り、 何とか凌いだところです。 臼杵の城下町は、阿蘇の噴火で出来た 凝灰岩の丘を削ってできていて、 狭い路地が武家地や寺社仏閣を巡っています。
千葉県の北部の利根川に接する 香取市に水郷の佐原がありました。 ここは江戸時代、東北の物資が 利根川経由で、江戸に入る場合、 小野川沿いの商人が中継していました。 そんな訳で、小野川沿いに、 古い商家の街並みを残します。
平城遷都の下京として寺社が 置かれた奈良町は、 中世以降は、元興寺の境内に 様々な手工業者が住み着き、 工業都市となりました。 先の大戦で、空襲を受けなかった奈良町は、 狭い路地に、古い町屋が残りました。
旧中山道の42番目の宿場町妻籠宿は、 木曽郡南木曽町の蘭川東岸にありました。 ここには、飯田街道の追分があり、栄えた宿場で、 本陣脇本陣一軒と旅籠31軒ありました。
岐阜県の北部にある高山は、飛騨山脈と白山山地に 囲まれた盆地にあり、冬場はかなりの積雪があります。 そんな高山は江戸時代、城下町で、 古い商家の街並みが残ります。
琵琶湖の東岸には、近江八幡城や安土城、 彦根城、長浜城と名だたる城が林立していました。 その中で、現存する天守が国宝に指定された彦根城は 琵琶湖を北西に見ます。 そんな天守は、木々に囲まれているので、 内堀からよりも、その外の中堀からの方がよく…
奈良県の南西部にある五條市の五條新町は、 松倉重政が城下の二見と五条村の間に開いた新町でした。 その新町2丁目に、民家の軒先に郵便ポストがある 町屋がありました。ここだと郵便を出すのに便利だなと思います。 その先の道を跨いでいる高架は、五新鉄…
宗像三女神を祀る阿智神社の 南の参道を降りると、 大型の町屋があり、 今は居酒屋として使われているようでした。 この道筋から南に下ると、倉敷川の蔵屋敷の通りに出ます。
京都の北西にある鳥居本は、過っては 京都の三大風葬地でした。 そんな鳥居本は、愛宕神社の一の鳥居の 観光地となっています。 一の鳥居の前後には茅葺の茶屋が 二軒建っていました。
四国香川県の琴平町にある金比羅さんの 参道に2軒のうどん屋さんがありました。 香川県はうどん県で、珍しくはありませんが、 石段に近い方のうどん屋さんが、四百年の伝統のある 元虎屋旅館の帳場の建物を使った凝った造りです。 二階の高欄は凝った彫刻が…
岡山県の倉敷は江戸時代天領で、 倉敷川の両岸に、年貢米を保管する 米蔵が立ち並んでいました。 この米蔵は現在も、博物館や記念館として使われています。
今は、名鉄名古屋本線の有松駅の 南側にある有松は、東海道が整備された頃は、 松林が点在する荒涼とした丘陵でした。 絞り染めの技術が流入して、有松は豊かな商人の 蔵や店舗が並ぶ街に変わっていきました。
城の北を流れる紀ノ川を自然の外堀 とする和歌山城は、 徳川御三家の一つ、紀州徳川家の居城です。 この城は、豊臣秀吉の弟秀長が、 紀州平定の恩賞として紀州和泉の2か国を加増され 虎伏山に築城しました。 その後治める大名は桑山、浅野と代わり 徳川家康…
潮待ちの港として知られる鞆の浦は、 瀬戸内海の中間地点の広島県東部の福山市にあります。 江戸の昔、いやもっと昔から、瀬戸内海を航行する船は 潮の満ち引きによる、潮流を利用して船を動かしていました。 というわけで鞆の浦で、潮待ちをする 必要があり…
三州街道は、三河の岡崎から信州塩尻を 結んでいました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の舟で、足助まで運び ここからは馬の背に乗せ換えて信州塩尻まで運んでいました。 マリン書店の横に狭い路地があり、蔵の壁に囲まれた 石畳を登って行くと 宗恩寺という…
安土桃山時代後期から江戸初期に建てられた松本城は、 天守が国宝に指定されています。 天守を北西から見ています、赤い橋は埋橋です。
大分県の東海岸にある臼杵は、 臼杵摩崖仏で知られます。 平安時代後期から鎌倉時代かけて 彫刻されたと伝えられます。 石仏群は4群に分けられ、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、 ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけられています
愛媛県の南予にある内子町は、江戸後期から 明治にかけて、木蝋と和紙の生産が盛んで、 最盛期、木蝋の生産全国シェアの 30パーセントを占めていました。 木蝋業者最大の本芳我邸前を過ぎた道は 鍵の手に曲が曲がって続いていました。
中山道の42番目の宿場町の妻籠には、 2軒の木賃宿の嵯峨屋があります。 下嵯峨屋と上嵯峨屋で両方とも木賃宿でした。 こちらは上嵯峨屋で、木賃宿は、 庶民の宿で、食料を持参して 煮炊きをした薪代を支払います。 基本、大部屋での雑魚寝でした。
岐阜県の北部にある白川郷は庄川の流域にあり、 冬場は豪雪地帯で知られます。 茅葺屋根の合掌造りの民家が残っています。 ここの産業は、観光業を除けほとんどが農家で、 昔は、雪に閉ざされる冬場の農作業として、合掌造りの2層3層で、 養蚕をしていまし…
北國街道は中山道を追分で別れ、 小諸、海野と進み、 上田、善光寺を通り中津江で 北陸道に合流していました。 道の真ん中に水路が、柳が風に戦いでいました。 袖うだつのある町屋には、木の格子が施されていました。
兵庫県の北東にある出石は、五万八千石の(お家騒動で三万石に) 小さな藩で、仙石家が信州から持ってきた 蕎麦が名物になっています。 お城は明治の廃城令で取り壊されましたが、 堀や石垣葉そのままで、隅櫓や登城橋、登城門は再建され 登城橋河川公園とし…
千葉成田の新勝寺に進む表参道は、総門に向かって、 曲がりながらに緩やかに下っています。 いつもは参拝客で賑わうこの通りも、朝の早い時間で、 人通りはなく、寂しい感じでした。
長崎の三福寺の一つ崇福寺は長崎の 唐寺です。宗派は黄檗宗です。 朱塗の山門を潜ると高台の第一峯門に向かいます。 ここの第一峯門と大雄殿は国宝になっています。
長良川に注ぐ吉田川と小駄良川の間に 山城の郡上八幡城がありました。 この城は、1559年に建てられた城です。 昭和8年に再建された城ですが、 日本で最古の城といわれています。 昭和8年に木造で再建された模擬天守を頂いています。
奈良県の南西部にある五條は、松倉重政が開いた 古い町並みがあります。 新町通りには吉野川に注ぐ川の橋のそばに 山本本家という造り酒屋があり、柿の葉寿司ならぬ 柿ワインを作っていました。