2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

京町家

京都の花屋町通りから南にはいる新町通りに、 町屋がありました。 ここの通りからは入り口がないのですが、 東本願寺の裏側にあります。

五個荘金堂~東近江市

近江商人の中でも、ここの近江商人の活躍は新しく、 江戸の後期からで、初め行商から始め、 京大坂江戸に進出する商人も現れ 近代化が進むにつれ、大陸へ進出するようになりました。 花筏通りとあきんど通りが交差するところには 大きな蔵が建つ一角がありま…

白川郷荻町

岐阜県の北部の庄川流域にある白川郷は、 合掌造りの民家の里として知られています。 ここにある合掌造りの民家は、ほとんど農家です。

八坂の塔

八坂の塔で知られる法観寺は、 聖徳太子が建てた寺とされます。 清水寺から三年坂を下るとすぐに見えてきて、 このあたりのランドマークになっています。

白川郷~合掌造りの民家

白山の山々に抱かれた白川郷は 庄川のほとりにありました。 ここは、合掌造りの民家で知られた 農村でした。 2層3層よりも大きな合掌造りの民家もあれば、 それよりずっと小さな物もありました。

妻籠宿~旧中山道 

中山道42番目の宿場町妻籠は、 木曾郡南木曽町にあります。 ここは、飯田街道が分岐する宿場でもあります。

倉敷

倉敷の蔵の立ち並ぶ白壁の路地には、 重い荷車の車輪で、わだちが深く掘れないように 石の舗装がしてありました。

今井家住宅~美濃市

長良川が南北に流れる美濃市の町中に、 うだつの上がる町並みがありました。 江戸時代、金森長近の城下町で 美濃和紙の商家を中心に栄えて うだつの上がる町並みが残りました。 今は美濃史料館になっている旧今井家は, 美濃和紙の問屋で、庄屋を兼ねていま…

足助宿~豊田市

足助宿は三州街道の宿場町で、 三河湾で採れた塩を、矢作川の水運で運び ここ足助で馬の背に乗せ換えて、 信州塩尻まで運んでいました。 ここは、うなぎ屋さんではありませんでした。

脇町~吉野川北岸

藍に沸き、繭に栄えた脇町は、吉野川北岸の 阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 吉野川の水運と撫養街道と讃岐街道の交差する 交通の要衝で、阿波藍の集積地として栄えました。 今でも白壁にうだつの上がる 商家の佇まいが残っています。

おかげ横丁~おはらい町

三重県伊勢市にある、おかげ横丁は 伊勢神宮内宮前のおはらい町にあります。 ここは、おかげ参りがはやった 江戸末から明治にかけての伊勢路の建物を移築して 当時の雰囲気を再現しています。

崇福寺~長崎

長崎三福寺の一つに数えられる 崇福寺は、黄檗宗の唐寺です。 寛永6年の創建で、第一峰門と大雄宝殿が 国宝に指定されています。

鞆の浦~瀬戸内海

潮待ちの港で知られる広島県の東部の 瀬戸内海沿いの港、鞆の浦は、瀬戸内海の中間にあり ここから東西に潮の流れが生まれ、 潮の流れに乗って船を動かす事ができました。 港から続く路地には、七卿落ちの時 身を寄せていた太田家住宅がありました。

陶山神社~有田

焼き物里有田の陶山神社は、 町を見下ろす丘の上にあります。 神社の鳥居の下にはJR佐世保線の線路が通っており、 窯の煙突が建つ有田の町が広がっています。

岐阜高山

岐阜県の北部の飛騨地方にある高山は、 江戸の初めは、城下町で古い商家の町並みが残ります。

三州街道足助宿

三州街道は、三河岡崎から信州塩尻を結ぶ道で、 塩の道と呼ばれていました。 三河湾で採れた塩は、矢作川を舟で運ばれ、 足助宿では、その荷を馬の背に乗せ換えて 塩尻まで運んでいました。 宋恩寺に続く参道は、白壁の家と家の間をすり抜ける 路地にありま…

月見櫓~高松城城

四国高松城の月見櫓は、瀬戸内海に突き出て、 出入りする船を監視していました。 この櫓は延宝4年(1674年)に建てられました。 今は海が埋め立てられていて、 海の方からの眺望です。

佐原の小野川沿い

千葉県の北部の北房総に 水郷の佐原がありました。 ここは、小野川沿いに古い商家 の町並みが残ります。 橋のたもとに伊能忠敬の旧宅が残っていました。

日田

九州を代表する大河の筑後川を遡ると、 大分県の日田に行き着きます。 日田は幾筋かの川が合流する盆地にあり 春から秋にかけて朝夕に発生する底霧に覆われます。 江戸時代は天領で、豆田町に当時の雰囲気を残します。

平戸

平戸は、九州本島の北西に位置する島で、 今では平戸大橋で九州と結ばれています。 今でこそ、何でもない島ですが、鎖国前は 中国、オランダ、ポルトガル、イギリスの船が 出入りする国際貿易港でした。 当時は、南蛮貿易に沸いた港でしたが、 その後の鎖国…

伏見城

伏見城は、豊臣秀吉の隠居城として造られました。 場所は京都の東山の丘陵が南に続く南端で、 最初に造られたのは指月山でしたが、慶長伏見大地震により 崩壊して、木幡山に再建されました。 その後、秀吉は亡くなり、関ヶ原の前哨戦で、この城は落城しまし…

安藤家住宅~長浜

長浜の城下を通る北国街道に、 古い屋敷が残っていました。 ここは安藤家住宅と言って、豊臣秀吉が城主であった頃 長浜町の十人衆筆頭の三年寄りを務めた安藤家は、 幕末から東北に進出して、百貨店中合の創業家となりました。

新勝寺門前町

成田山新勝寺の門前町は、 千葉県の成田にあります。 この辺りはうなぎ屋さんがたくさんありました。

佐原~北房総

千葉県の茨城との県境に利根川が 流れていますが、そのあたりに 佐原という町がありました。 江戸時代東北の物資が利根川経由で江戸に入る場合、 この川沿いの商人が中継しました。 という訳で、小野川沿いに古い商家の佇まいを見ます。 小野川にかかる忠敬…

飛騨高山

岐阜県の北部の飛騨地方にある高山は、 周りを白山山地や飛騨山脈に 囲まれた盆地にあります。 江戸の初めは城下町で、 その後は幕府の陣屋が置かれました。

今井町~橿原市

戦国時代の寺内町が原型の今井町は、 奈良県の中部橿原市にあります。 江戸以降「大和の金は今井に七分」 と賞せられるほどに繫栄しました。

海野宿~北国街道

今は長野県東御市にある海野宿は、 追分から中山道を離れ、善光寺を通り、 中津江で北陸道に合流する北国街道にありました。 江戸時代、北陸の大名の江戸への参勤交代、 佐渡の金の輸送、善光寺参りに使われました。 しかし明治以降は鉄道網の発達によって、…

近江八幡

琵琶湖の東岸にある近江八幡は、秀吉の甥の豊臣秀次が 築いた城下町で、琵琶湖と城下をつなぐ八幡堀は お城の堀と運河の役割がありました。 この八幡堀が、商業の発達を促し、 近江商人を生みました。

鞆の浦~太田家住宅

瀬戸内海の潮待ちの港鞆の浦に、 太田家住宅という建物があります。 ここは、元は中村家と言って、保命酒の蔵元でした。 ここは文久3年の政変で都を追われた 七卿落ちの宿泊先になりました。

御手洗、旧芝屋住宅

文化三年(1806年)伊能忠敬は、 2月30日から3月2日にかけて 大崎下島の海岸線を測量して、 御手洗柴屋種次宅に宿泊しました。