2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

本丸御殿~高知城

埼玉の川越に行った時、 川越は城下町で、 お城というか御殿が残っているとの事で 本丸御殿を見に行きました。 その時の説明で、 本丸御殿が、壊されずに残っているのは、 川越と高知だけだと聞きました。 そういえば、御殿は数々見てきたけれど、 再建だっ…

5連のアーチ橋~岩国錦帯橋

山口県東部にある岩国は、江戸時代、 毛利氏の支藩、吉川家が治めていました。 江戸時代の(1678年)3代藩主が、度々流される錦川の橋を 橋げたの無いアーチ橋で建設することを考えました。 しかし、錦川は川幅200メートルで、そんな大きなアーチ橋は造…

二見~五條市

奈良県五條市の二見には、島原の乱で改易になった、 松倉重政のお城がありました。 島原に転封になる前は、ここの領主でした。 もう一つ、戦前に、和歌山の新宮とここ五條とを結ぶ, 五新鉄道が計画されて、この紀州街道を跨ぐ高架が建設されましたが 戦中の…

鞆の浦~古い家屋

鞆の浦の湊から七卿落ちの 太田家住宅の前の狭い路地を進むと、 杉玉を掲げた保命酒の店舗に出ます。 その先は県道47号線に出ます。 その道の両側が、松右衛門帆と澤村舩具店です。 この辺りの家屋は、古い家屋ばっかりで、昔の面影を残しています。 松右…

佐原街歩き(6)

千葉の北東部にある香取市佐原は、 小野川の流域に古い町並みを残しています。 この小野川を船で、小江戸の情緒を楽しめるどんこ舟があります。 忠敬橋の近くの蔵が、どんこ舟の倉庫らしく、舟の出航の準備中でした。 小野川に架かる忠敬橋のそばの蔵

和歌山城(虎伏城)3

和歌山城のある虎伏山の頂上に天守があります。 それを追廻門から、新裏坂を登って、 本丸の天守曲輪の入り口の楠門をに着きました。 しかし朝早いので、門はまだ閉まっていました。 仕方ないので、天守曲輪を外から眺めて見ようと 迂回してみると石垣の周り…

西本願寺

西本願寺の北小路門から塀に囲まれた 小道を進むとを、南から来た道と遭いますが、 そこに大きな門がありました。その手前には装飾された小ぶりの 門(唐門)がありました。 西本願寺大玄関門 本願寺の歴史は、語れば長くなるし、正確性に欠ける可能性がある…

心地覚心(無本覚心)

しんち、かくしん(心地覚心)は鎌倉時代の臨済宗のお坊さんです。 長野県松本の生まれで、29歳で東大寺で受戒を受け、これで立派な 僧侶なのですけど、高野山で真言密教を学び、その後曹洞禅を学び、 その後も修行の日々が続き、中国に留学し、中国の五大禅…

岐阜~高山市

岐阜県の北部にある高山市は、 古い町並みを残す飛騨の小京都です。 もう一つ、高山は日本で一番広い市です。 香川県、大阪府よりも広い面積を持っています。 これは市町村合併の為ですが、面積的には東京都に匹敵する 広さをもっています。 上三之町 上三之…

おかげ横丁の朝

お伊勢さんのおかげ横丁に着いたのは、 9時ごろでそう早くはないと思っていました。 ですが、お店は多分10時からで、まだ準備中でした。 伊勢醤油本舗 開いていれば、醤油味のソフトクリームや 焼うどんを味わえるお店でした。

京都~産寧坂

清水寺にお参りに行きましたが、 五条坂から間違えて、鳥辺山のお墓ばかりある小道 を通りました。 昔の京は風葬で、死体累々とした荒地が清水寺の舞台の下 まで続いていたと聞いていました。 今は、墓石が谷一杯に広がる墓地になっていました。 歩いて行く…

路地(9)~二見

五條本町から二見に行く途中、 建物は純和風の家屋ですが、 中は、フレンチレストラン という所がありました。 そのお店と工事中の家屋との横に路地がありました。 路地は、曲がりながら続いていましたが、 もう日も暮れて,五條を去らねばなりません。

南禅寺

京都の左京区にある南禅寺は、臨済宗の大本山で、 日本初の勅願禅寺です。 場所は三条通りから仁王門通りに曲がってすぐです。 境内には、高さ22メートルの三門があり日本3大門に数えられています。 話しは変わりますが、あの大泥棒の石川五右衛門がこの三…

街道をゆく~旧紀州街道

奈良県五條市の五條本町には、紀州和歌山とを 結ぶ紀州街道が通っていました。 正面が造り酒屋の山本本家で、この道を反対に行くと 和歌山に行き着きます。この橋の下の流れが すぐ近くの吉野川に注ぎます。

伏見桃山城

平安時代、鎌倉時代、江戸時代と名の付く時代は、 その時の政権があった地名が付いています。 では、安土桃山時代は、どうでしょうか、 安土は織田信長公が岐阜から安土に居城を移したことから 解りますが、桃山は、どこで、誰の政権と疑問を持たれた方に、 …

国東半島

大分県国東半島(くにさきはんとう)は、 周防灘に張り出した山の中にありますが、 ここには、古いお寺があります。 国宝で九州で一番古い大堂がある富貴寺や 両子寺、文殊仙寺があります。 いずれも天台宗のお寺ですが、 古くは、宇佐八幡の影響下で、 神仏…

おはらい町~伊勢神宮参道4

伊勢神宮の参道にあるおはらい町は 切妻、入母屋の家屋が続く人気の観光地です。 この通りにお店を出しているのは、お土産屋さんや 赤福などの飲食店、酒屋さんなどです。 お店の前は、人だかりが出来て、いつも賑わっています。 伊勢萬前 伊勢萬内宮前酒造…

見星寺~臼杵市

大分県臼杵市の二王座歴史の道を訪ねた時、 見付けたお寺、正式には成道山見星禅寺 は、臨済宗妙心寺派のお寺です。 12月に京都を訪ねた時、最後に仁和寺に 行こうとしましたが、惜しくも 日が暮れて拝観時間に間に合わず、 引き返した所が妙心寺でした。 見…

旧長崎街道~塩田宿

長崎街道上の宿場町塩田は、温泉で賑わっていた 嬉野の隣町で、今は嬉野市になっています。 ここは、有明海に注ぐ塩田川の川港で、 物資の集積地でした。天草の陶土を有田、伊万里に運び、 帰りは、やきものやお米を、大川を経て、大阪に運ばれました。 川港…

姫路城~いの門

兵庫県姫路市の姫路城は、菱の門を抜けると、 「いの門」、次が「ろの門」と続きます。 「い」から始まり、「ち」がなく、 「る」まであるようです。 姫路城いの門 いの門の右横に三国堀があります。 門を抜けると二の丸に入ります。

和歌山城(虎伏城)2

紀の川の河口にある、和歌山市は、県庁所在地です。 県全体から見ると、北に行くとすぐ大阪府で、 あまりにも北の端に寄っています。 観光で何度か訪れましたが、白浜の方に行き、 和歌山市は、大阪の堺に住んでいた時、車で 訪れたのですが、山の上にお城を…

おはらい町~伊勢神宮参道3

おはらい町を宇治橋の方に進むと、 柵で囲まれた、門がありました。 塀越しに中を見ると 入母屋造りの立派な御殿が建っていました。 地図で確かめると、神宮祭主職舎と出ていました。 ここは祭主の為の建物で、 明治に廃寺になった旧慶光院の客殿でした。 神…

路地(8)~二見~五條本町

奈良の五條に着いたのは、 もう夕暮れの頃でした。 旧紀伊街道(五條新町通り)を歩いて、 二見(過ってお城がありました) からの帰り道、 脇道を見ると、風情のある路地が ありました。

湯浅~醤油発祥の地

和歌山県湯浅町の北町通りにある角長は、 創業天保12年の看板を掲げる 醤油の醸造元です。 過って湯浅は、紀州和歌山藩の保護のもと 92軒の醤油蔵がありましたが、 戦後の混乱や醤油大手との競争で、 数軒までに減りました。 角長の看板を掲げる醤油屋さ…

松本城

長野県松本市にある松本城は、 天守が国宝に指定されている (姫路、犬山、松江、彦根、松本)の一つです。 もともと永正年間に深志城が建てられ、 天正18年に石川数正公が 松本に入り天守を初め城下の整備を行い、 松本城と呼ばれました。 松本城 この城…

鞆の浦~太田家住宅2

広島県福山市にある鞆の浦、太田家住宅は、 保命酒の蔵元の旧中村家を 明治になってから引き継いだものです。 この住宅は、文久3年の政変によって、 尊王攘夷派の三条実美を初めとする 公家7人が、追放され、長州落ちをした時、 一時身を寄せた住宅です。 …

五條新町~旧紀州街道3

五條本町の、餅商一ツ橋の前の写真に 惹かれて五條に行こうと思いました。 餅屋さんは、もう営業していない みたいで、餅を食べることは出来ませんでした。 餅商一ツ橋前 一期一会、もう少し早く思い立てばと思いました。

妻籠宿~旧中仙道

長野県の南木曽にある妻籠宿は、 旧中山道の宿場町です。 馬籠の宿から山道を進むと、途中元の 旧街道が顔を見せます。 峠茶屋の近くの杉林の中に、石畳の中山道 が消えて行き、後は下り道となり、妻籠宿にたどり着きました。 妻籠宿 もう妻籠では、冬の準備…

高山~古い町並み(17)

高山市上二之町にある平田記念館は、 高山の豪商で、屋号は打保屋です。 10代続く鬢付け油やロウソクを 商っていた商家の歴史を什器や備品、美術品 で紹介しています。 今はもう言われない、 昔の女性の修身を説いた展示がありました。 平田記念館

おはらい町~伊勢神宮参道2

伊勢神宮参道にあるおはらい町には、 赤福などの飲食店や酒屋さん、お土産屋さん が特有の切妻・入母屋・妻入り様式の 家屋が軒を並べていました。 日頃大勢の観光客で賑わうこの通りですが、この時間この瞬間、人通りが 途絶えました。