伏見桃山城

 平安時代鎌倉時代、江戸時代と名の付く時代は、
その時の政権があった地名が付いています。

では、安土桃山時代は、どうでしょうか、
安土は織田信長公が岐阜から安土に居城を移したことから
解りますが、桃山は、どこで、誰の政権と疑問を持たれた方に、

桃山は今の京都伏見にあった、豊臣秀吉公の築いた伏見城です。

この桃山という地名は、秀吉公は、何処という筈です。
太閤が生きている頃にはなかったからです。

伏見城が廃城となった後、一帯は開墾されて、一面の桃畑になりました。
そこから付けられています。

太閤の伏見城跡は、今は明治天皇の御廟となり、立ち入り出来ません。

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伏見桃山城大手門

伏見には昭和39年に遊園地が、造った城があります。
6億円の巨費を使い、五重の天守と三重の
天守を持つ鉄筋コンクリート造ですが、堂々と聳えています。
その後映画の撮影で1億円で改修されていて、きれいな外観です。
慶長の城ではありませんが、見応えのある城です。