2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧
京都の東山にある東福寺は 臨済宗東福寺派の大本山ですが、 秋の紅葉や春の桜が美しい名所です。 昨年の12月に行った時には、境内は一面に紅葉していました。 もう一つ、三門前の池に、枯れ果てた、蓮の葉や茎が 池を覆い、仏画の様に死の世界が広がっていま…
千葉県は、北東部の、もう少し行くと茨城県という、 利根川沿いの香取市佐原は、小野川沿いに昔ながらの 古い町並みを残します。 東北地方からの物資が利根川経由で、江戸に入りますが、 その水運の拠点のとしてここ佐原は、市が開かれ、 醤油の醸造や酒の醸…
東照宮と言えば、日光の東照宮を思い浮かべられる方が多いと思います。 家康公の遺志で葬られた久能山の東照宮は別として、 日本には、かなりの数の東照宮と名の付くお宮があります。 それは、3代目の家光が諸大名に造営を勧めたからです。 それとは別に、…
滋賀県長浜市は、豊臣秀吉が、最初に領地を信長公から 拝領し城を築城した地として知られています。 この長浜城下を、北国街道が通っていました。 琵琶湖の北東岸を北上して余呉湖の柳瀬を経て 北ノ庄(福井市)まで続いていました。 長浜市朝日町、北国街道…
清水寺から松原通、三年坂、二寧坂と 下ってくると、二井三と看板を上げた 京風の店舗に行き着きました。 多分「にいみ」と読むんだろうなとは思いましたが、 その時は何のお店か和解りませんでした。 帰ってからネットで調べると、香りの専門店でした。 時…
大分県西部にある日田市は、 四方山に囲まれた盆地です。 有明海に注ぐ九州一の筑後川の上流に位置します。 川と山に囲まているので、春から秋にかけて朝夕、 深い霧に包まれることがあります。 江戸時代以降幕府の支配する天領となりました。 この地では、…
四国、愛媛県の今治市は家計学園の問題で 焦点が当たっていますが、 今治城のお話です。 この城は、藤堂高虎が、関ヶ原後の1604年に 完成させた城で、海から船で入れる事から 、日本三大水城の一つに数えられます。 藤堂家の後は、久松家が入り、明治を迎え…
長崎県の北の端に、鎖国前の一時期、南蛮貿易で、 隆盛を誇った平戸島は、平戸大橋によって 昭和52年九州本土とつながりました。 その平戸市は、島だけでなく、対岸の九州北部も市域に入ります。 平戸島を見渡せる対岸の小高い丘陵に、田平カトリック教会…
倉敷は、江戸幕府が江戸初期に 天領として治めた土地です。 白壁なまこ塀の屋敷や蔵が 天領時代のまま残っています。 美観地区の北側に、 小高い山(鶴形山)があり、 倉敷の総鎮守阿智神社が鎮座します。 ここは、海上交通の守護神です。 倉敷阿智神社参道…
岐阜県中津川市の馬籠宿から、 長野県南木曽町の妻籠宿までは、 人の足で、9キロ3時間の距離です。 馬籠宿から馬籠峠までかなりの上り坂ですが、 馬籠峠からは下り坂で 旧中山道の石畳が残って居ました。 妻籠宿 お宿辰巳屋
京都九条にある東寺は、 平安京鎮護のお寺として建立された官寺でした。 その後、嵯峨天皇により空海に下賜さ れて、 真言密教の根本道場となりました。 東寺南大門と五重の塔 今はお大師さんの寺として信仰を集めています。
合掌造りの郷として知られる岐阜県白川郷は、 まだ雪に閉ざされているのかと、 ネットのライブカメラで見ると、地面に雪が積もっているものの、 合掌造りの屋根には、雪はないようです。 朝10時現在2度Cで雨が降っているみたいで、 靄っているようです。 5…
関門トンネルや関門橋がない時代は、 今の門司港(当時は門司)が、九州の玄関口でした。 また、門司の港は、国内のみならず、海外に開かれた港でした。 貿易で栄えた当時の建物を、保存整備した、門司港レトロ地区は、 多くの観光客を集めています。 門司港…
大きな瓦ぶき屋根と防火扉の付いた蔵造りの町並みから 北に歩いて行くと、大きなバット状の麩菓子を抱えた、 修学旅行と思しき子供達が、通りから出てきました。 路地が狭すぎて歩けないと、一時退避して、 時間をずらして、行って見ると、もう 子供達は、帰…
江戸幕府を開いた徳川家康は、松平姓でした。 その松平氏発祥の地として知られる 愛知県豊田市の松平郷は山の中にありました。 最近旅をしてトヨタ自動車の本社がある豊田市の周辺を訪れましたが その途中松平郷という看板を見ました。 そういえば、徳川家の…
京都東山の高台寺は、天下人秀吉の菩提を弔うために、 妻の寧々が建てた寺です。 今は、お寺の前の道が、ねねの道として、観光客も多く 訪れます。 寧々の道から路地に入ると、旅館や料理屋さんが立ち並ぶ、 石塀小路がありました。 石塀小路
古くから知られる、鞆の浦は、潮待ちの湊でした。 今の船の様なエンジンがなかった時代ですから、 潮の満ち引きや、風で、船を動かしていました。 帆で風を受けて進む船の発達で、鞆の浦はあまり使われなくなりました。 今は、古くからの保命酒のお店が立ち…
旧東海道の有松は、名古屋の緑区の都会になっていますが、 江戸時代初期には、丘陵が広がる松林に茶屋が出来た、 桶狭間村の一部でした。 絞り染めの技術がこの地に定着して、産業化して、有松は豊かな 街となりました。 有松 右から2軒目は、岡家住宅です…
大分県佐伯市の佐伯城三の丸楼門から、 国木田独歩館に続く山際通りは、 お城近くの重臣たちの邸宅が立ち並んで居た、 閑静な武家屋敷街という感じで、 先に進むと、大きなお寺に出ました。 ここは、毛利藩(萩の毛利ではありません。豊臣秀吉の家臣) の菩…
三年坂を下り、三年坂美術館を過ぎると、 道は、緩やかに左に曲がりますが、 そこには、湯豆腐のお店がありました。 その先は、右側に二年坂の降り口があり、 道のはるか向こうには、八坂の塔が目に入ってきます。
豊前街道の山鹿、明治10年の西南戦争時は、 官軍と薩軍との間で、激しい戦闘がありました。 加藤清正が築いた熊本城は、もともと北上してくる 薩軍を想定して堅固に築かれた城でした。 城内には熊本鎮台の兵4千が籠城し、1万4千の薩軍が 攻めましたが、…
醤油発祥の地で知られる、和歌山の湯浅伝統的 建造物保存地区から南に下るとすぐに、 この建物がありました。 昔は何に使われたかは解りませんが、 かなり古いものであることは 壁の崩れ方からも判ります。 湯浅 湯浅には、まだこのような昭和(もっと古いも…
京都西本願寺から堀川通りを渡ると 入り口に西本願寺の総門があります。 その通り(正面通り)を東に進むと、 周りは、仏事、仏具のお店が並んでいました。 正面通り 丸いドームは、西本願寺の伝道院で、 このまま東に進むと、東本願寺ですが、 かなり迂回し…
岐阜高山の古い町並みには、 江戸時代の城下町を保存した 古民家が立ち並ぶ通りがあります。 さんまち通り お向かいどうしで、酒屋さんが建っていました。 さすがに高山は酒どころで、造り酒屋が何軒もありました。
ここが、最初に知られるようになったのは、 永禄3年(1560年)今川義元が、 駿河、遠江、三河の4万の兵を擁して上洛の為、 尾張を侵攻した事に始まります。 当時清洲城主であった若き日の織田信長は、 兵力5千で、衆寡敵せずで、清州城籠城の方針でし…
長野県塩尻市にある奈良井宿には、 旧中山道の宿場が残っていました。 もちろん宿場ですので、泊まるための施設 旅籠や木賃宿は言うに及ばず、信州そば、おやきの飲食店 お土産屋さん、木曽の木を使った、木工細工や、器やお椀 漆器を商う店が軒を並べていま…
清水寺から松原通りを三年坂で降りて行くと、 京菓子の八つ橋や京漬物のお店が 立ち並ぶ通りの先に、清水三年坂美術館がありました。 ここは、幕末、明治の金工、七宝、蒔絵、薩摩焼を常設展示する美術館ですが、 残念ながら、休館日でした。 清水三年坂美術…
京都清水寺に行く途中、道を間違えて、 鳥辺山の方に行った時、壮麗な寺がありました。 大谷本廟は、浄土真宗本願寺派のお寺で、 開祖親鸞聖人の廟所です。 歴代の宗主の廟所で、門徒衆も合歓ています。 大谷本廟
豊前中津城は、黒田如水が、豊前で12万石の 大名に封じられた事に始まります。 山國川の河口に築城した城で、日本三大水城に数えられます。 その後、黒田家は筑前52万石の大名として転出し、 細川忠興が、豊前、豊後の39万石の大名として転入し、 大改…
天正10年信長公が本能寺で、最期を遂げた時、 備中高松城では水攻めの真最中で、 織田軍と毛利軍が対峙していました。 主君の死の報を知った秀吉は、死を隠し、 講和を急ぎ、全軍を京都に返し、 光秀を討ちました。 これが中国大返しですが、備中高松城を …