有松~旧東海道(11)

 ここが、最初に知られるようになったのは、
永禄3年(1560年)今川義元が、
駿河遠江三河の4万の兵を擁して上洛の為、
尾張を侵攻した事に始まります。

当時清洲城主であった若き日の織田信長は、
兵力5千で、衆寡敵せずで、清州城籠城の方針でした。

ところが、信長は、一変、桶狭間の奇襲に切り替え、
雷雨の中、義元の本陣を突き、東海の勢力図を塗り替えました。

その桶狭間は、旧東海道が整備された後、
織田から徳川の領土となり、
鳴海と池鯉鮒の間に茶屋が出来ました。

当時は、耕作地もなく、丘陵が起伏する松林でした。

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有松 竹田邸

その後、染め物の技術が流入して、
有松絞りとして産業化して、有松は豊かな町になりました。

竹田邸は有松絞りの開祖竹田庄九郎の
300年の伝統のある家系です。