2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

佐原街歩き(8)

小野川沿いに古い町並みを残す、千葉の香取市の佐原は、 江戸時代の直前は、徳川家康の家来、 鳥居彦右衛門元忠の矢作4万石の領地でした。 その彦右衛門は、関ケ原の合戦の前に、 京都伏見城の主将として奮戦して討ち死にしました。 その後は、分割され直轄…

湯浅~伝統的建造物保存地区

醤油発祥の地、和歌山県湯浅の北町通り 醤油工場角長の先に 金山寺味噌のお店を見つけました。 覚心和尚が、金山寺味噌のもとを 中国の径山寺で修行中に習得して、 湯浅の近くの由良に西方寺を開きました。 習い覚えた製法で、麹に野菜を漬け込み、 今の金山…

石門~金剛乗寺

熊本県山鹿市にある、金剛乗寺は、 天長年間に空海によって開かれたお寺です。 過っては、建物も大きくて、西の高野山とも言われましたが、 一時期途絶え、宝徳年間(1449~1452)に再興されました。 金剛乗寺石門 石門は、文化元年(1804年)に…

蔵造りの街並み~川越

蔵造りの街並みから少し離れた場所に、 ポツンと一軒だけ蔵造りの家屋がありました。 場所は、大正浪漫通りを北上して、山崎美術館がある通りで、 西に進むと、先に佐久間旅館がありました。 この家屋の裏には、立派な蔵がありました。 案内図には何も乗って…

二条城

京都の中京区二条通堀川にある二条城は、 今のものは、徳川家の物です。 奇しくも、徳川家康の征夷大将軍の宣下の祝賀と 15代将軍徳川慶喜による大政奉還がここでおこなわれました。 つまり、京都の二条城のこの地で、徳川幕府が始まり、終わりました。 二…

北国街道~海野宿(3)

長野県東御市(とうみし)にある旧北国街道は、 中山道の脇街道で中山道と追分で分かれ、 善光寺を通り、直江津で北陸道に合流します。 北国街道の宿場町、海野宿(うんのじゅく)は、千曲川の流れが 街道沿いに流れています。 街道沿いに、うだつの上がる古…

東福寺

京都東山にある東福寺は、臨済宗東福寺派の大本山で、 紅葉の名所としても知られます。 山号は慧日山(えにちさん)で、 創建は1236年、京都五山の第四位の禅寺です。 東福寺本堂 本尊の釈迦像は1319年の火災で焼け、再興されましたが明治の火災で 再び…

路地(8)~鞆の浦

岡山県の県境に近い、広島県福山市の鞆の浦は、 古くは、潮待ちの湊として栄えました。 瀬戸内海航路の真ん中にあり、栄えた港町は、 航海技術の発達に伴い、沖乗り主流になり 衰退し、漁港として存続しました。 鞆の浦の街は、古くからの路地が多く、車が通…

和歌山城(虎伏城)4

和歌山城に上ったのは朝早い時間だったので、 天守曲輪の入り口の楠門は、まだ開いていませんでした。 和歌山城天守と楠門 開門を待つには、時間が掛かるので、天守をぐるっと回って 諦めて大手門の方に降りて行きました。

八坂の塔~法観寺

清水寺から参道の松原通りを三年坂で降りて、 三年坂美術館の先の曲道を、二年坂に曲がらずに歩くと、 五重の塔が町屋の屋根の上に見え隠れします。 八坂の塔と呼ばれる、法観寺は、臨済宗建仁寺派のお寺です。 このお寺の境内は、狭く、本堂や庫裏は見当た…

赤福

伊勢神宮に参拝した時、車を止めた駐車場の近くに、 赤福の大きな店がありました。 参拝の後、宇治橋の近くの赤福で、 当地の名物という事で、お茶と赤福を戴きました。 帰り道、おかげ横丁の入り口に、赤福本店がありました。 ネットで調べると、3軒とも赤…

東寺

京都の九条にある東寺は、平安京鎮護のために建てられた官寺でしたが、 嵯峨天皇から弘法大師(空海)に下賜されて、真言宗の根本道場であり、 教王護国寺と呼ばれます。 戦乱や天災によって、何度も、焼失しましたが、その度に、時の権力者 によって再建さ…

湯浅~伝統的建造物保存地区

11月に和歌山の湯浅を訪ねる旅をしましたが、 湯浅は、古びた漁師町で、醤油の発祥の地ということで 小さな醬油工場がありました。、 それと、昭和の匂いというか、私が幼少期を過ごした、福岡の渡辺通りの昔からの 狭い路地と、それでいて、何でも揃って…

伊勢内宮前~おかげ横丁

伊勢神宮の参道にある、おはらい町から 横丁に入り込むと、そこは、過って、 伊勢参りで賑わっていた、江戸末から明治初の街並みでした。 おかげ横丁は、当時の建物を移築し、その賑わいを再現しています。 おかげ横丁 ただし開店前なので、人通りはありませ…

旧紀州街道~五條本町

奈良県五條市にある旧紀州街道は、 ここ五條と紀州和歌山を結んでいました。 江戸時代より前に成立していた、五條村と 関ケ原の合戦の功で、二見(1万石)に城下を建設した 松倉重政は、五條村と二見の間に新町の整備を行いました。 紀州街道沿いに古い町並…

佐原街歩き(7)

千葉県香取市の佐原には小野川の流域に古い町並み を残します。 テレビのCMでも見かける、小野川領域の古い商家に また出かけて行って、あの風景の中に入りたいです。 植田荒物店 植田荒物店は小野川に架かる忠敬橋の東岸にあり、 県道55号線が前を通っ…

京都文化博物館

京都三条通りを、歩いて行くと、 2階建てのレンガ造りの建物が姿を現します。 ここは、旧日本銀行京都支店の建物で 明治39年竣工したものです。 元は平安博物館という私立の博物館でしたが、 京都文化博物館が創設に伴い寄付されて、 博物館の別館として利…

旧紀州街道~二見

五條本町のまちや館に車を止めて、 旧紀州街道を、元お城があったという二見 (松倉重政が城主)まで歩いてみました。 途中は、江戸時代に成立した街並みですが、新しい 建物も混在しています。 外観は町屋ですが、中はフレンチレストランになっていました。

知恩院

知恩院は、浄土宗の総本山です。 開基は法然で、江戸幕府の保護を受けました。 京都東山に江戸時代より大伽藍が建設されました。 知恩院三門 三門の正面の額には華頂山の山号が掲げられていました。 12月に行った時は、本堂は改修工事の最中で見ることは出来…

藤井美術工芸館~高山

岐阜県高山は上三之町の古い町並みには、 楼門の様な、建物があります。 藤井美術工芸館 元あった高山城の二の丸の登城門がモデルの総欅の門です。 ここでは、古美術や民芸品が展示されています。

青蓮院門跡

東山の粟田口三条坊町にある青蓮院は、 天台宗の三門跡の寺院です。 門跡寺院とは皇室、摂関家 の人々が仏門に入った寺院です。 三門跡寺院は、三千院、妙法院とここ青蓮院です。 青蓮院長屋門 平安神宮を南に下り、神宮通りを行くと、 緑が濃ゆくなる一角に…

崇福寺三門

長崎市は、未だ路面電車の走る、港町です。 この路面電車を思案橋で降り、 近代的なビルの立ち並ぶ、観光道路を 左に曲がると、緑の石垣に囲まれた一角があります。 黄檗宗崇福寺です。 赤い三門が印象的なお寺です。 国宝の峰門には、崇福禅寺と書いてあり…

銅閣寺~大雲院

皆さん、銅閣寺を御存じでしょうか 京都で金閣寺、銀閣寺は、有名で知らない人は いません。 銅閣寺というと、作ってんじゃないの 御疑いの方に、 大雲院(通称 銅閣寺)は、浄土宗の単立寺院で、 東山の祇園町にあります。 本能寺の変で討たれた、織田信長…

熊本城(銀杏城)

九州北部の佐賀に住んでいますが、地震は少ないと思っていました。 福岡県西方沖地震の時は、車に乗っていたので、揺れてるのではないか と思うぐらいで済みました。 しかし2016年の熊本地震、14日の前震は、かなり揺れ、肝を冷やしましたが、 2日後の…

名護屋城跡

佐賀県松浦半島の北の端に、豊臣秀吉の朝鮮討ち入りの 前線基地であった名護屋城跡があります。 今は市町村合併で唐津市になっていますが、 周りは山の中に埋もれています。 太閤の死後、この城は、城割がされ、 建物もすべて取り壊され、唐津の城に転用され…

松山城

愛媛県松山市は、市町村合併で市域が拡大していますが、 もともとは、太閤の家来であった加藤嘉明が築いた、 松山城の城下町でした。 太閤の家来で加藤というと加藤清正を思い出す方が 多いと思いますが、 嘉明は、賤ケ岳の7本槍の武功を上げ三千石なり、 関…

本願寺伝道院

京都の西本願寺から堀川通りを渡り、 正面通りを東本願寺の方に進むと、 京都風の家屋とは場違いな、 煉瓦造りの建物が目に入りました。 周りは仏事関係のお店です。 地図を見ると、本願寺伝道院と載っていました。 本願寺伝道院 ここは明治45年、門徒の生…

産寧坂~京都

清水寺から参道の松原通りを右に曲がり、 産寧坂を下って、二年坂の方へ行くと、 京都のお店が建ち並んだ所に出ました。 京漬物のお店や八つ橋のお店です。 香老舗松栄堂前 松栄堂の先は清水三年坂美術館がありました。 三年坂美術館は幕末明治の金工、七宝…

旧紀州街道~五條本町

伊勢から奈良の五條までかなり時間が掛かるのですが、 途中で室生寺に寄り道したので益々、時間が無くなり、 五條の紀州街道に着いたのは、日が暮れかかる頃でした。 五條でのもう一つの目的地の五條代官所跡は、無理のようです。 もう、日は五條の落ち着い…

おかげ横丁

伊勢市の伊勢神宮内宮にあるおかげ横丁は おはらい町の一部なのか、 よそ者の私には、 解りずらいので、調べてみました。 それによると、赤福の社長が造った、 伊勢独特の妻入り造りの家屋や蔵を おかげ参りで賑わった頃の街並みに再現した、 いわばテーマパ…