2018-01-06 松山城 日記 #愛媛県 愛媛県松山市は、市町村合併で市域が拡大していますが、 もともとは、太閤の家来であった加藤嘉明が築いた、 松山城の城下町でした。 太閤の家来で加藤というと加藤清正を思い出す方が 多いと思いますが、 嘉明は、賤ケ岳の7本槍の武功を上げ三千石なり、 関ケ原合戦前には10万石の大名となっていました。 関ケ原では、東軍に付き、20万石の大名として 松山城を築きました。 松山城二の丸多聞口 その後、加藤家は蒲生家と入れ替え43万石で会津に転封になり、 2代目明成の代で改易になりました。 松山城は、蒲生家が入り、その後親藩の松平家が明治まで続きました。