2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧
名鉄の名古屋本線の有松駅にほど近くの場所に 旧東海道の有松がありました。 ここは東海道が整備された江戸初期には、 松林の点在する丘陵でしたが、藩の振興策で 移住が進みましたが、まだ桶狭間村の一部でした。 云い忘れましたが、織田信長の桶狭間の合戦…
奈良県の南西部に五條はありました。 ここは、和歌山に向かう紀州街道や 伊勢に向かう伊勢街道が通っていました。 吉野川に注ぐ支流の橋の前には、造り酒屋さんと餅屋さん がありました。この餅屋さんはもうやっていないようでした。
岐阜県の北部にある高山は、 江戸の初めは城下町で 古い城下町の面影を残します。 そんな高山の宮川から少し中に入った 場所に、古い町並みが残っていました。
兵庫県の北部にある城崎温泉は、有馬温泉、 湯村温泉と並んで兵庫県を代表する温泉です。 大谿川沿いに3階建ての温泉宿が立ち並んでいます。 また七つの外湯があり、外湯めぐりが楽しめます。 ここは、海内第一泉と呼ばれる外湯の一の湯で 大谿川沿いにあり…
京都の清水寺の清水坂を北に降りると、 お土産屋さんや陶器店の並ぶ石畳の通りに出ました。 様々なお店が並ぶ道沿いに、お香を扱うお店がありました。 その先は三年坂美術館がありました
飛騨高山から北西に進むと、 飛騨の奥座敷として知られる 古川の古い町並みがありました。 ここは瀬戸川沿いに土蔵の白壁やお寺が、 500メートルにわたり 続いています。 この川には色とりどりの鯉が泳いでいました。
旧中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 長野県塩尻市にありました。 ここは、木曽路11宿の中でも最も標高の高い宿場で 難所の鳥居峠を控える宿場で「奈良井千軒」いわれ 栄えた宿場でした。 およそ一キロの宿場を歩くと、木曽の木材を使った、 漆器や木工…
金刀比羅宮の参道のコンピラ表参道に、 2軒のうどん屋さんが並んで建っていました。 場所は金比羅さんの石段が始まる前で、 石段に近い方の店は、もとは虎屋旅館といって 皇室御用達の旅館で、その帳場をうどん屋にしています。 本家とらやの看板を上げ、2…
岐阜県の北部にある高山は、白山山地と 飛騨山脈に囲まれた盆地にあります。 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で、 古い商家の街並みが続きます。
出石は兵庫県の北部にある豊岡市、 昔の国名でいうと但馬の国で、 その盆地にある出石城の城下町でした。 出石は、信州から入った仙石家が続きましたが 江戸の後期に、仙石騒動というお家騒動が起こり ました。 ここは、その渦中の家老であった仙石左京の屋…
北國街道は追分で中山道から別れ、 小諸、海野、上田と進み、善光寺を経由して 中津江で北陸道と合流していました。 この街道を使っていたのは、北陸の大名の参勤交代や 役人の交代、善光寺参りの参拝客、佐渡の金の江戸への輸送 などに使われました。 明治…
赤穂城から菩提寺の花岳寺までの道は、 お成道と呼ばれていました。 その途中に古い商家の町屋がありました。 四つ角に、白壁の土蔵のある商家は、 今は商いをしていないようでした。
倉敷の倉敷川沿いから北側に進むと、 大型の建物が建っていました。 場所は阿智神社を南の参道で降りて 西に進んだ所です。 建物には、居酒屋が入っているみたいでした。
京都の高台寺から丸山公園にかけての道は、 豊臣秀吉の妻ねねが創建した高台寺があることから 高台寺道「ねねの道」と呼ばれます。 京料理店や甘味処、喫茶店が並びます。
四国の香川県の東かがわ市は、徳島県の県境に近い 播磨灘に開けた港町で、ハマチの養殖に初めて成功した地です。 引田は、江戸時代醤油の生産地で、 江戸大坂に運ばれていました。 江戸後期には、豪商や回船問屋が現れるほどに 隆盛しました。 その讃州醤油…
鞆の浦は、広島県の東部の 瀬戸内海沿いにあり、今は福山市になっています。 瀬戸内海の中央部にあり、潮の流れが、ここの沖 から、東西に分かれながれます。 昔の船は、潮の流れを利用して動かしていましたので 鞆の浦の港で潮目の変わるのを待ちました。 …
諏訪大社下社秋宮をお参りして、甲州街道と中山道が 交わる宿場であった、下諏訪温泉を見に行く途中 トラックから盛んに薪を下ろして運び込んでいる お店がありました。 今でも、薪で窯を焚いているかと 驚いて見ていると、ここは製菓店でした。 新鶴本店と…
西本願寺の総門のある正面通りを 東本願寺の方に向け歩いていくと、 突当りの新町通りに出ました。 この通りからは東本願寺への入り口がなさそうなので 花屋町通りに迂回すると、途中に町屋がありました。
旧中山道の42番目の宿場町妻籠は, 蘭川東岸の木曽郡南木曽町にありました。 ここは、飯田街道への追分のある宿場町で、 旅籠が立ち並んでいました。
愛宕神社の一の鳥居が建つ、鳥居本は、 古くは京都の風葬の地でした。 一の鳥居から、愛宕街道を下ると、 茅葺きの茶屋の先は、農家があり 少し下ると町屋が軒を連ねていました。
兵庫県の北部の盆地に、但馬の国の 城下町の出石がありました。 ここは、信濃から移ってきた、 仙石家の城下町で、街並みが残っていました。 お城から続く大手前通りと交わる八木通りには 出石蕎麦などの店が軒を並べていました。
京都の五条坂を下っていくと 左手に大きな墓地が続きます。 ここは、平安時代、京都の三大風葬地で知られた 鳥辺野で、当時庶民は死んだら、ここに運ばれ、野ざらしにされ 鳥葬にされました。 今は、この道の右側はすぐ谷になっていて 墓地が限りなく広がっ…
今は下関市になっていますが、江戸時代 毛利家の支藩で長府藩がありました。 その城下に、古江小路という高級武士が住んでいた 一角に、菅家がありました。 この家は代々藩医を務める家で、藩主への侍講を務めていました。
南砺市の市役所のある福光の町を過ぎ, JRの城端線に沿いながら進むと、 城端別院善徳寺の大きな門り その隣は、善徳寺会館がありました。 その先に回廊風の土蔵がありました。 ここは、明治時代、呉服商で銀行も手掛けた野村家の土蔵です。
岐阜県の北部にある高山は、飛騨山脈と白山山地に 囲まれた盆地にあり、冬場はかなりの積雪があります。 そんな高山は江戸時代城下町で、古い商家の街並みを残します。 この筋には2軒の造り酒屋がありました。
旧中山道の34番目の宿場、 奈良井宿は、木曽路11宿の中でも 一番標高が高く、難所の鳥居峠を控える 宿場で奈良井千軒と讃えられたところです。 今も南北一キロにわたり街並みが続き、木曽の特産品の 漆器や木工品や、信州そば、おやきの飲食店が軒を並べ…
岐阜県の北部にある白川郷は、庄川の流域にある 合掌造り集落で知られています。 ここは冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 そんな荻町では、昔の冬場は合掌造りの屋根の2層3層で、 養蚕の農作業をしていました。
長崎の寺町に行く途中に、石橋を渡りました。 ここは、港から寺町に行く途中にある中島川を渡る所で 二重のアーチ橋の石橋です。 寛永11年(1634年)興福寺の住職の黙子如定は、 中島川の氾濫の度に流される橋を見かね、中国から石工を呼び寄せ 二連の…
長野県の木曽郡南木曽町に、 旧中山道の妻籠宿が残っていました。 ここは、飯田街道に抜ける追分のある 栄えた宿場でした。 木曽路11宿の一つの宿場でした。