2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧
京都の清水寺から続く松原通りを下ると、 お土産屋さんの中に来迎院というお寺の先の右側に、 下り坂があります。 その道が三年坂(産寧坂)で、漬物屋や 京菓子などのお店が続きます。
明治の大火の際に、蔵造りの大沢家住宅が 焼けずに残った事から、蔵造の街並みが広がりました。 時の鐘入り口の信号前には、フカゼン、まちかん やまわの屋号の付いた家屋がありました。
長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃和紙で知られる和紙の町です。 そんな美濃市の市役所の近所に、 うだつの上がる町並みがありました。 今はうだつが上がるとかいいませんが、 うだつとは屋根に上にある防火用壁のことで、 これを造るのにかなりのお金が…
平城遷都の下京として、寺社が置かれた奈良町は、 中世以降、廃寺になった元興寺の境内に 様々な手工業者が住み着き、産業都市となりました。 また、先の大戦で、奈良は、空襲を受けなかったので 狭い路地に古い商家の町並みが残りました。
千葉県の北東部の利根川に接する佐原は、 小野川の流域に古い商家の町並みを残します。 この小野川流域にある商家が、 江戸に東北から利根川経由で、物資が入る場合、 中継をしていました。 正上醤油の邸宅と店舗がありました。
江戸時代天領で、倉敷川の両岸に古い蔵や 商家の町並みを残す倉敷は、岡山県南部にあります。 江戸時代天領で、年貢米の集散地として、 倉敷川の両岸に、コメの蔵が立ち並びました。
長野県の千曲川が流れる岸辺に、 小諸城はありました。 この城は、別名穴城ともいわれ、 城内の方が周りの地面より低い城です。 城の中心より離れた場所に、大手門がありました。 この大手門の建物は、明治以降、学習塾 や料亭として使われたそうです。
北国街道は、追分で中山道を分かれて、 小諸、海野、上田と進み、長野の善光寺 を通り、中津江で北陸道と合流していました。 この北国街道は、大名の参勤交代、役人の赴任や善光寺参り 佐渡の金の江戸への輸送などに使われました。 明治になると、鉄道網の発…
広島県の東部で、今は福山市に 属している鞆の浦は、潮待の港として知られます。 港には、狭い路地が巡っています。 ここのお店は昔は、帆船の帆をを扱っていましたが キャンパス布を使ったカバンを売っていました。
福知山市の寺町からお城のある方に、南下すると 4車線の大きな道路に出ました。 寺町の道端に、京街道(山陰道)と書いてあったので この4車線の道路も京街道だろうと思います。 この4車線の道路の途中に、白い暖簾の町家がありました。 看板もないので何の…
伊勢神宮内宮前の宇治橋から五十鈴川沿いに続く 石畳の通りがおはらい町で、その途中から入り込んだところが おかげ横丁でした。 おかげ参りで賑わった江戸末から明治の初めにかけての 伊勢路の建物を移築して。当時の雰囲気を再現しています。 伊勢うどんに…
旧東海道の34番目の宿場町、奈良井宿は、 長野県塩尻市にありました。 ここは、難所の鳥居峠を控え、宿泊客の多い宿場で、 奈良井千軒と謳われた宿場でした。 軒を並べる商店は、昔も今も、 ここの名産の木曾の木材を使った 木工品、漆器、櫛などを扱ってい…
今は名古屋市緑区にある旧東海道の町 有松は、織田信長の桶狭間の古戦場 でした。もちろん戦いがあった時は、ただの野原でした。 有松の町は、その後東海道が整備された頃よりも後で 尾張藩の地域振興策で、移住が進みましたが、まだ人が住み始めた という段…
四国の吉野川の東部にある脇町は、 阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 また、撫養街道と讃岐街道の交差する交通の要衝でした。 阿波藍の集散地で、江戸の中頃より、 藍の沸き繭に栄えたこの町には、 当時を忍ばせる、うだつの上がる 商家が軒を並べていま…
長野県南木曽町にある妻籠宿は、 旧中山道の42番目の宿場町で 飯田街道の追分があります。 妻籠宿寺下地区
倉敷の美観地区は、倉敷川の流域だけかと思っていたら、 倉敷川から離れた中に入った 阿智神社の南の参道の周辺も美観地区でした。 美観地区では、最古の建物と言われる 井上家住宅が本町通りにありました。 ここは享保6年(1721年)上棟の母屋で 江戸時代、…
京都府の北部にある美山は、南丹市にあります。 ここは、山々に囲まれた山間地にあり、 由良川の源流が流れ 鯖街道の一つと言われる道が、集落を通ります。 ここにあるかぶき屋根の家屋は、 ほとんどが林業に携わる農家でした。
郡上市は岐阜県のほぼ中央に位置し、 郡上踊りや清流で知られる町です。 この町は長良川の支流の吉田川と小駄良川に挟まれた 山城の八幡城の城下町でした。 この城は、木造で再建された一番古い城と言われます。 明治の廃城令で、石垣を残すのみなりましたが…
古代京都の風葬地として知られ、 愛宕神社の鳥居前町で賑わった鳥居本は、 明治以降は愛宕街道沿いに、茶屋や町家が立ち並びました。
千葉県の北部の利根川に接する佐原は、 小野川の流域に古い町家の町並みを残します。 川沿いには、伊能忠敬の旧宅や記念館が建っています。
阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩の丘に、 二王座の街並みはありました。 ここは、大分県の東部にある海に面した臼杵で 摩崖仏の石仏で名が知れた所です。 また、大友宗麟が、ここの城(丹生島城)に籠り、 島津軍の猛攻を凌いだ所です。 二王座には、寺院や武家…
戦国時代に寺内町として成立し、 他の勢力の介入を拒否して、堀を深くし、 武力を蓄えた今井町は、奈良県の橿原市にあります。 石山本願寺の大坂退去後は、自治権を認められた自治都市として 繁栄して、「大和の金は今井に七分」と謳われました。 南尊坊通り…
西本願寺の正面から東には、堀川通りがありますが、 この道を渡った先に本願寺の総門があります。 ここのあたりの土地は本願寺の敷地で、 後から堀川通りを広げた為に、こうなったと 思います。 総門から東に延びる正面通りには、仏具屋さんの店が並び、 そ…
岐阜県の北部にある高山は、飛騨山脈や 白山山地の高い山々に囲まれた盆地にあります。 江戸時代以来の城下町で、古い商家の町並みを残します。 冬は厳しく、降雪は新潟東北地方の都市に匹敵する雪国です。
広島県の呉にある御手洗は、瀬戸内海に 浮かぶ大島下島にありました。 今でこそ、橋が出来、車で行けますが、 船以外の交通手段はありませんでした。 御手洗は、時の権力者や有名人が多数訪れています。 御手洗の名の由来は、神功皇后が三韓侵攻のおり、 手…
長崎の寺町を歩いていると、石段を上った所に、 お寺の山門がありました。 額には、海雲山と書いてある様です。 ここは、曹洞宗の晧台寺という禅寺で 奥に見えるのは大仏殿でした。 晧台寺は、明正天皇より山号寺号を下賜された 海雲山を使っています。
信州諏訪湖は、昔より干拓が進んでいました。 諏訪湖に接する高島城という城がありました。 ここは、現在では諏訪湖の水面から かなり離れた場所にあります。 文禄元年(1596年)日根野高吉が、 諏訪湖に接する城を造りました。 明治になって、城は廃城令で…