2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

桂浜~高知市浦戸

桂浜に寄ったのは、高知城でさんざん時間を潰してしまったので、 太平洋を染める夕日もかなり傾いていました。 そばにある、坂本龍馬の銅像の顔は、顔の凹凸も判らないぐらいの、 シルエットの中にありました。

柳井~岩国吉川家の御納戸

白壁の街で知られる、山口県柳井市は、県の南東部にあり、 瀬戸内海に面しています。 もと、岩国の吉川家の領地で、商業都市として発展し、 昔ながらの街並みが残っています。

伊予今治城

三大水城と称えられる今治城は、藤堂高虎公が、関ヶ原後の慶長9年(1604年)に完成させた城です。 水面に映る城壁の白さが際立つ城ですが、残念なことに、この城は、明治以降に取り壊されて、昭和55年に天守が鉄筋コンクリートで再建されました。

下諏訪~士武の郷

下諏訪は、御柱祭で知られる、諏訪大社の門前町であり、 甲州街道と中山道の分岐点の宿場町でもあります。 そばには、下諏訪温泉もあります。 塩羊羹の銘店「新鶴本店」では、釜を煮る薪をトラックから降ろしていました。

二王座の歴史の道~臼杵市

臼杵は、稲葉氏六万石の城下町です。 その中でも、ここ二王座は、古い武家屋敷やお寺が立ち並んでいます。 稲葉氏は、関ヶ原後、転封となり、岐阜からここ臼杵に移りました。

旧福岡県公会堂貴賓館

福岡市を流れる、那珂川に架かる福博であい橋のそばに、 洋館があります。 明治42.3年頃に出来た建物です。 当初はフレンチ・ルネッサンス様式の来賓接待所として建てられました。

馬籠宿(中山道)

昨年の10月に行った馬籠の情景が頭に浮かび、今度は、高山の方まで足を延ばしたいなと思っています。あとは体力次第ですが、 この宿場を中山道が通っています。この坂を下ると京都方面、登ると妻籠宿、お江戸日本橋へとたどり着きます。

近江八幡~新町通り

近江八幡は、主のいなくなった安土城下を、豊臣秀次公がここに移したことにはじまります。八幡堀や新町の通りは当時の繁栄を偲ばせてくれます。 昔の雰囲気を残した、商家の街並みが甍を並べています。 近江商人発祥の地として知られるこの地ですが、 今なお…

有田ポーセリンパーク

陶器市の季節が近づいてきましたが、有田の陶器市の会場から車でそう遠くない位置に、ドイツのツヴィンガー宮殿を模した建物があります。

岩国~錦帯橋

岩国、錦川に架かる錦帯橋です。岩国領主吉川広嘉公が1673年、完成させた、全長193.3m幅5mの木造のアーチ橋です。 向こうのお山に、初代吉川広家公が1608年に、造ったお城がありましたが、一国一城制で取り壊しになりました。今あるのは昭和…

川越~蔵造りの街並み(3)

時の鐘入口の信号を渡ると、鐘つき通りの先に、時の鐘の鐘楼があります。 近くから見上げると、かなり高いところに鐘がありました。 フカゼン、まちかん、やまわと店舗が並んでいます。

成田山新勝寺総門

京成の成田駅から参道を歩いて着いたのが、真言宗智山派の寺である新勝寺です。本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多いそうです。 総門 鳥よけの網は見にくいので取り除…

福岡市赤煉瓦文化会館

福岡市にある昭和通りが、那珂川を渡る、少し先に、ひときわ目に留まる、赤レンガの建物があります。 ここの住所は中央区天神で、橋を渡ると、中洲になります。 1909年、日本生命九州支社として、辰巳金吾博士が設計しました。

成田山新勝寺 門前町(3)

昼間あれだけ人で溢れて、賑やかだった門前町も、これだけ朝早くだと、誰もいないだろうと、思っていました。 どっこい、通勤の人達は、もっと早く出ていました。 また、この界隈、鰻を焼く匂いが漂っていました。 働いている方、ご苦労様です。

有田~トンバイ塀のある風景

焼物を焼く窯の廃材(煉瓦)を塀に利用しています。 長年焼かれたレンガは、様々な色に窯変しています。

小江戸~佐原 五

水郷佐原には、船旅をする旅人が、ありました。 明治年間創業の木ノ下旅館は、船宿です。 舟を利用してやって来る、商人、旅人が泊まりました。

川越~蔵造りの街並み(2)

蔵造りの街並みを代表する建物は、(私の独断ですが)やはりこの三軒ではないかと思います。右からフカゼン、まちかん、やまわ、です。フカゼンは、額縁、絵画用品、半分は、お菓子屋さん。まちかんは、宮岡刃物店。やまわは、陶舗です。

小江戸~佐原 四

小野川に架かる忠敬橋のたもとに中村屋と中村屋酒店があります。 三階建ての蔵の様な建物が中村屋酒店です。

川越~本丸御殿

川越は、江戸時代、17万石の城下町でした。当時を偲ぶ、建物として、本丸御殿が残っているので、行って見ました。蔵造りの街並みから北上して、札の辻で東に進み、市役所を過ぎ、延々と歩いて、川越城中の門跡という、堀と石垣の跡を見て、その先に、本丸御…

成田山新勝寺 門前町(2)

京成の成田駅で降りて、参道を歩いて行くと、下り坂になり、様々なお土産屋さんがありました。雑貨屋、漬物や羊羹屋、蜂蜜屋、特にうなぎ屋が目立ちました。それに、変わった外観の、3階建てに展望台がある旅館に引き付けられました。

川越~蔵造りの街並み

ここに来る前に、ストリートビューで何度も、この通りを流して来たので、 車で来ても迷わないと思うぐらい、何度も横道に入り込んできました。 やまわ前

皇居外苑~二重橋

巽櫓を見て、広い公園の中を、堀に沿って行くと、桔梗門がありました。 その先は、入れないようなので堀に沿って進むと、橋の手前にゲートがあり、 これ以上は、進めないみたいです。橋の先に門がありました。地図を見ると、皇居 正門と書いてありました。こ…

川越~菓子屋横丁

蔵造りの街並みから札ノ辻で左折して、通りを行くと、中学生や高校生の子供たちが目立ってきました。横丁に入ると、バットのような麩菓子を抱えた子供たちで溢れていました。とても多くて歩けないと、退散して、もう一度5時ごろ訪ねてみると、あれだけいた子…

小江戸~佐原(さわら) 三

利根川の水利を利用して栄えた佐原は、小野川の両岸に古い商家が立ち並んでいます。ここ、正上は、江戸時代から醤油の醸造を手掛けました。 船着き場には、木の箱がありました。その中には、お雛様が、舟から見えるように、 飾ってありました。

川越~時の鐘

蔵造りの街並みのやまわ、まちかん、フカゼンと見て行き、信号を右に渡ると、高い建物がありました。櫓の上を見ると、鐘と突く棒が見えました。残念ながら、一日4回鳴るという鐘の音は、聴いておりません。 寛永4年川越城主酒井忠勝が建てたのが最初で,明…

東京駅丸の内中央口 その2

むかし、昔、まだ寝台特急「さくら」という列車が走っていた頃、行か帰りか、 忘れてしまいましたが、始発か終着か、東京駅に来た覚えがあります。それも、記憶 の中が抜け落ちており、寄宿先の小田急の梅が丘駅までの記憶がありません。

小江戸~佐原 二

佐原に2月に行ったのは、対岸から見る時、柳の枝が伸びていると、 見通しが効かないなと思い、芽が芽吹かない、寒い時期にしました。 しかし、柳と柳の間隔はかなり離れており、杞憂でした。 ところで、家康公の江戸入府時、ここ佐原の領主は、家臣の鳥居彦…

国会議事堂

桜田門を出て、警視庁の前を通ると、警視庁のすべての出口は警官で固められていました。 故郷の県警本部とは、緊張感が少し違うなと思いました。 ここから国会議事堂まで、お堀には警備の舟、道には、機動隊の警備車と物々しい警備でした。 もちろん議事堂の…

浅草寺~宝蔵門

千葉県の佐原から成田で、京成に乗り換えて、もう一度青砥で乗り換えて、浅草に着きました。 当日は平日でしたが、歩道は溢れんばかりの人出で、とても前に進めません。 というわけで、雷門も仲見世も無理と思い、仲見世通りの外側の細い道から、宝蔵門に出…

桜田門と警視庁

二重橋堀から堀に沿って進むと、桜田門(内門)とその向こうに、警視庁がありました。 桜田門は二重門で内門(渡櫓門)出ると、桝形があり、堀の前に、外門(高麗門)があります。 単に桜田門という場合は、外門(高麗門)を指すそうです。 内門(渡櫓門)の…