#岐阜県
長良川が南北に流れる美濃市は 和紙の里として知られています。 そんな美濃市の市役所から程近くに うだつの上がる街並みがありました。 うだつとは昔の延焼防止装置で、屋根の上に上げた防火壁 と言えばよいでしょうか。 今井家住宅は江戸中期の建物で、紙…
車がすれ違えないような狭さの 三町筋が高山にあります。 お味噌の大のや醸造や料理屋の久田屋、香舗能登屋 酒屋の原田酒造所、舩坂酒造店が並ぶ通りです。 他の場所でも見かける凸凹堂がありました。 長浜や松本で見かけた気がしますが 何を商っているの知…
岐阜県の飛騨地方に古い城下町の面影を残す高山は 金森長近の城下町でした。 その後、元禄8年には、幕府の代官所が置かれ 城は廃棄されました。 そんな高山の三町筋の細い通りに造り酒屋さんが お向かい同志で向かい合う場所がありました。
白川郷の荻町の集落から少し離れた場所には 民宿やお食事処のお店がありました。 この家屋も大きな合掌造りでした。
江戸初期からの城下町の商家の趣を残す高山は、 日本海気候の影響を受け、 冬場は雪に覆われることがあります。 三町筋のお味噌の大のやさん前から、 さんまち通りの藍花珈琲店を見ています。
岐阜県の北部、庄川の流域に、高い茅葺屋根の 合掌造りの農家があります。 ここは、冬場豪雪地帯で雪に閉ざされます。 屋根は風の流れに沿って建てられています。 一階が居住スペースで、その上部は、 昔は養蚕、物置として利用されました。
飛騨市は岐阜県の最北端の街です。 面積的にはほとんどが山林が占めます。 また冬場は豪雪地帯です。 そんな飛騨市には、古川祭り気多若宮神社の例祭 があります。 白壁土蔵の街並み 瀬戸川沿いに白壁土蔵の街並みが続きます。
創建1748年の明善寺は、鐘楼門と本堂、 庫裏(郷土資料館になっています)が残っていました。 この3つの建物が茅葺の屋根になっています。 本堂 本堂前の田んぼでは、田植えが始まりました。
白川郷は岐阜の庄川流域にあります。 今も合掌造りの集落が残っていました。 冬場豪雪地帯の白川郷では、 急こう配の茅葺の大屋根で、雪を落とし 雪下ろしの手間の軽減を図り、 二層三層で、養蚕などの農作業をしていました。
岐阜県の庄川流域にある、白川郷は 茅葺の合掌造りの家屋の集落で知られています。 雪に閉ざされる冬場から、春が来て、田にイネが育ち 秋の収穫と一年が過ぎて行きます。
岐阜県の北部にある飛騨地方の高山は 日本で一番面積の広い自治体です。 という事は、周りがすべて森林です。 その郷の街中は、金森長近の城下町でした。 元禄8年(1695年)幕府の陣屋が置かれ、幕府領となりました。
長良川が南北に流れる美濃市に、 うだつの上がる街並みがあります。 美濃市は美濃紙で知られる和紙の産地で 紙問屋や、造り酒屋などが立ち並ぶ 街並みがあります。 江戸から明治の初期までのうだつの上がる街並みがあります。 ここは、金森長近の城下町でも…
旧中山道の43番目の宿場町で、 今は岐阜県の中津川市に属する馬籠宿は 木曽十一宿の中で南の端にありました。 宿場内には本陣1軒、脇本陣1軒と旅籠が 18軒ほどありました。 本陣跡には、本陣の息子であった 島崎藤村の記念館が建っていました。
白川郷は、庄川の流域の豪雪地帯に建つ、 急こう配の茅葺屋根の合掌造りの住居で知られています。 ここでは、農村の豊かな自然を味わえます。 合掌造りの家屋は、お土産屋さんや飲食店の店舗としても 利用されています。
JRの高山線飛騨古川駅から南下すると荒城川に行き着いました。 その傍に、弁天堂があり琵琶を弾いている 木像造りの弁天さんが見えました。 荒城川に注ぐ瀬戸川沿いの道を進むと 白壁土蔵の通りに出ました。 瀬戸川には色取り取りの鯉が泳いでいました。
長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃紙で知られる和紙の街です。 その市役所から程近くの場所に うだつの上がる街並みがありました。 この町並みは江戸から明治の街並みで、和紙の紙問屋や造り酒屋と言った 商家が立ち並んでいました。 屋根の上には、うだ…
長良川が南北に流れる美濃市には、 うだつの上がる町並みがありました。 美濃市は美濃紙で知られる和紙の街です。 うだつの上がる街並みは、江戸から明治にかけての街並みで 和紙の問屋、造り酒屋、町医者の家屋が残っていました。
岐阜県の飛騨地方にある高山は、市町村合併の為 日本一面積の広い自治体です。 大阪府や香川県よりも面積が広く ただその92パーセントを山林が占めます。 高山のさんまち筋には、古い城下町の街並みが残っていました。
郡上八幡城は、戦国時代に築かれた城です。 明治の廃城令で石垣を除いて取り壊されましたが、 昭和8年に木造で再建されました。 朝霧に浮かんで見られることから、天空の城とも呼ばれています。
飛騨の古川町を瀬戸川沿いに歩くと、 白壁土蔵の家屋が連なった通りがありました。 瀬戸川には、色とりどりの鯉が泳いでいました。
岐阜の高山の街中を、朝早くホテルを抜けだして、 てくてく歩いてゆくと、大きな蔵がありました。 蔵の前の看板に味噌と書いてあるので、 お味噌やさんかと店舗を見ましたが、 まだ開店前でした。
美濃市のうだつの上がる街並みには、 旧今井家の江戸中期に建てられた住宅があります。 庄屋さんで和紙問屋を営んでいた、今井家には 水琴窟があり、澄んだ音色を楽しめます。 今井家住宅
旧中仙道の宿場町馬籠は 今は岐阜県の中津川市になっています。 と言うのは平成17年の越県合併で、 長野県木曽郡山口村から、 岐阜県中津川市に編入されました。 島崎藤村の実家があり、本陣跡に藤村記念館が建っています。
岐阜県の県北にある飛騨市は、 豪雪地帯で知られています。 そんな街中を歩いて行くと、 鯉の泳ぐ清流と、蔵の白壁が続く通りがありました。 白壁土蔵の街 ここは古川町の白壁土蔵の街で、瀬戸川が流れています。 ちなみに、この瀬戸川は冬場は、雪の捨て場…
美濃和紙で有名な美濃市の市役所からほど近くに、 江戸から明治にかけて建てられた、 うだつの上がる街並みが残されていました。 大きな商家の建物は、美濃和紙を使った美濃あかり館になっていました。
岐阜の高山の陣屋の近くに、 一刀彫の看板を上げたお店を見つけました。 ここは、一位一刀彫のお店で、中に入ると 翁、お福、般若などのお面、十二支、高砂、 フクロウ、招き猫などの置物、 茶道具、根付けなどが飾ってありました。 津田彫刻店 ここは、江戸…
高山の古い町並みを周っていると、 いなか味噌の暖簾の架かる 大きな店舗がありました。 お味噌文化の残る町だなと思いながら 宮川の朝市にも行って見ると、また別の お店を見つけました。 後で調べると、3軒とも麹屋柴田春治商店のお店でした。 町には、麹…
岐阜の美濃市のうだつの上がる街並みから路地に入ると 昔懐かしい昭和の情景が広がっていました。 南北に長良川が流れる美濃市は 美濃和紙の産地として知られています。
泊まったホテルから宮川を渡ると、 朝市の準備中でした。 まだ早いとは思いましたが、 昨日行った古い町並みに足を運びました。 古い町並み 昼間は観光客で溢れた通りは、 まだ静けさの中にありました。
旧中山道の宿場町馬籠宿は、 山の尾根道に造られているので、 宿場町の街道も 結構急な坂道になっています。 馬籠宿 こういう地形の場所で怖いのは、火事です。 水の利が少なく、下の家屋から出火すると 次々と延焼してしまいます。 馬籠宿も何度も火事に逢…