2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧
高山の上三之町にある、大のや醸造は、お味噌屋さんで、 赤味噌と麹味噌を売っていました。 流石に観光地高山のおかみさんは英会話が上手でした。 香舗能登屋は、お香のお店で、白檀、沈香から色々な和の香り が品揃えされていました。 凸凹堂は、天然石アク…
名古屋の緑区にある有松は、 旧東海道に古い町並みが残っています。 今は名鉄が走り、都会になっていますが、 開村当時は、一面の松林でした。 ここを領地としていた、尾張徳川藩は、御触れを出して、移住を勧めました。 初めは、人口も少なく桶狭間村の一部…
岐阜県飛騨市にある古川町には、 片側が、白壁土蔵が続く通りがありました。 白壁の横には、瀬戸川が流れていました。 流れに色とりどりの鯉が泳いでいました。 白壁土蔵の通り 高山から長いトンネルを抜け、 バイパスを行くと、30分で古川に着きました。 …
飯塚幸袋にある旧伊藤伝右衛門邸は、筑豊の炭鉱王で、 大正昭和と巨万の富を築いた、伊藤伝右衛門の邸宅でした。 敷地面積2300坪、延べ床面積300坪 3棟に分かれた家屋を繋棟で繋いでいます。 裏には壮大な庭園があります。 伊藤伝右衛門邸の長屋門 …
長崎市の南山手にある、大浦天主堂は、 1865年に建てられた現存する日本最古の教会で、 国宝に指定されています。 正式には、日本二十六聖殉教者堂です。 慶長元年、信仰を捨てず処刑された、26人が殉教者として 聖人に列せられて、26聖人に捧げられ…
古い港町、博多は、大宰府の港として使われ、 近く(旧平和台球場)に鴻臚館が建てられていました。 中世は、商人達による自治都市として治められていました。 博多駅から大博通りを少し海に向かって行くと、地下鉄の祇園駅 に、東長寺があります。 南岳山、…
白川郷の村中に入りましたが、 駐車場を探して、車を走らせると どうも通り過ぎた様で、慌てて、戻りました。 そこには、大きな合掌の家屋がありました。 看板にはお食事、忠兵衛と書いてありました。 忠兵衛 この道(白川街道)から庄川に降りる道があり、 …
岐阜の高山にある古い町並み、さんまち通りは、 その日も、観光客で溢れていました。 次の日の早朝、ホテルを飛び出して、見に行くと、 きのう賑わっていたこの通りは、 まだ日も屋根の上の方を照らしていました。 ひと通りのない通りは、きのうとは、また違…
長野県塩尻市に今も残る旧中仙道の宿場町、 奈良井宿は、木曽路11宿の中で、最も標高が高く、 この街道の難所の鳥居峠を前に、 わらじを脱ぎ、旅の疲れを癒す所でした。 またここは、奈良井千軒と呼ばれ、大きな宿場町でした。 今も、旅の思い出に土産を手に…
今は名古屋の街中にある有松ですが、 江戸初期は、東海道にはあるものの、 人家も耕作地ない松林でした。 そこで、尾張徳川藩が移住を進め、 新たに、池鯉鮒宿と鳴海宿の間に茶屋集落が出来ました。 そのうち、絞り染めの技術が伝わり、この地で広まり発展し…
飛騨市の造り酒屋のある通りを道なりに進むと、 和ろうそくの三嶋和ろうそく店がありました。 ここは、今は少なくなった和ろうそくを手造りしているところです。 ここのろうそくは生掛け和ろうそくと呼ばれ、 天然素材で、すべて手造りしているのは、ここだ…
成田山新勝寺の門前町は、観光客でごった返す所ですが、 当日は、梅まつりとの事で、人波が出来ていました。 参道にはうなぎ屋さん、漬物やさん、羊羹屋さん、蜂蜜やさん 雑貨屋さんなど色々な品物を売っていました。 梅まつりで賑わう新勝寺参道
愛媛県松山市にある松山城は太閤の家来、 加藤嘉明公によって造られました。 関ヶ原の功で、伊予で20万石で封じられ、 築城に着手し完成しました。 その後会津に転封になりました。 その後、蒲生家、松平家と続き明治に至りました。 幕末は、藩主が松平家…
熊本県小国町は、阿蘇山の外輪山より北方の北阿蘇にあります。 小国町の町役場から車で少し離れた所に、鉾納社がありました。 近くには坂本善三美術館や滝裏に立入れる鍋ケ滝があります。 夫婦杉と山門 高さ30メートル、樹齢七百年の夫婦杉の間を抜け、山…
今は南九州市になっている知覧は、鹿児島市の南にあります。 ここは、島津薩摩藩の外城で、武家屋敷が残っています。 外城とは、本拠の城の周りに支城を造り守りを固めていました。しかし江戸幕府は 一国一城制を布告し、本城以外の城を取り壊させました。薩…
郡上八幡は、長良川と支流の吉田川 にはさまれた、水の街です。 市内には、やなか水のこみちなど憩いの場があり 、水の郷百選に認定されています。 郡上八幡城 街を見下ろす高台に、天守がありました。 また、およそ四百年の伝統を持つ郡上踊りは、 7月中旬…
岐阜市の北東にある、美濃市は、 美濃和紙で知られ、市内を長良川が流れています。 その一角に、江戸時代そのままに、古い家屋が残っている、 うだつのあがる街並みがあります。 小坂家住宅 小坂家住宅は、安永2年(1773年)頃建設の造り酒屋です。 屋…
桜島を正面に見る県庁所在地の鹿児島市は、 明治維新の原動力、島津薩摩藩の本拠地でした。 城山の麓に築かれた鶴丸城の石垣は、 当時の武の国、薩摩の威風を残していますが、 明治初年の古写真を見ると、大手門の石垣と石垣の間には、 壮大な御楼門が建って…
白川郷にある民家は、茅葺の急こう配の 手のひらを合わせた様な屋根をしています。 ここは、冬場豪雪地帯なので、 少しでも屋根から雪を落としたいという意図なのでしょう。 民家も大小色々あり、小さな民家は、屋根の勾配は緩やかでした。 頂上に雪の残る白…
昨年の10月に、妻籠を訪ねる旅をしました。 馬籠から車で、ここに着きました。 昔の旅人は、自分の足で、 峠を一つ一つ越えて行ったのかと思えば、 雨風を凌いで呉れ、旅の疲れを癒して呉れる 宿場の有難さが、解るような気がします。 上嵯峨屋前 上嵯峨屋は…
今は佐賀県唐津市に編入された、 呼子は東松浦半島の北部の漁師町です。 昔(江戸から明治)は、捕鯨で栄え、 鯨組主の中尾家の屋敷が当時の隆盛を留めています。 現在は烏賊のお料理店が立ち並ぶ、街としては、寂びれた漁師町 です。 ここから、そう遠くな…
藤井美術工芸館を過ぎて、上三之町を下ると 県道462号線にぶつかりました。 角は白壁の蔵の様な造りの家屋です。 ここは、藍花珈琲店でした。 どこも古い建物で、そばまで行かないと何のお店かわかりません。 藍花珈琲店前 道を渡った正面はおもちゃのか…
宇和島は、豊後水道を隔てて、九州大分と対峙しています。 といっても、対立している訳もなく、南予の温かい気候でミカンが栽培されています。宇和海では、魚や真珠の養殖されています。 宇和島は小さくても城下町で、高台に天守があります。 文禄4年(18…
福岡市中央区城内大手門口の西側に 福岡城の下ノ橋門と潮見門があります。 この周辺には、母里太兵衛長屋門、 名島門などが移築され、鴻臚館跡、 黒田如水屋敷跡、もちろん福岡城址などあります。
下関は、赤間関と呼ばれ、江戸時代、北前船の寄港地で、 山陽道と山陰道の終点で九州への入り口として、交通の要衝でした。 ここを守る為に、明治時代から要塞が造られ、その遺構が残っています。 町中には、旧英国領事館があり、そこから歩いて行くと、古い…
馬籠宿は岐阜県中津川市に属しています。 尾根道の途中に造られた宿場町なので、中山道も坂道になっています。 木造の家屋の密集した宿場の怖い所は、やはり火事です。ここも、何度も 火事に見舞われています。坂道の下の家屋から失火したら、次々に上の 家…
山口県も東部に位置する柳井は、 瀬戸内海に面する港町です。 江戸時代岩国吉川家の領地として、 商業が盛んになり、白壁の商家が数多く残っています。 醤油の醸造蔵 甘露醤油佐川醤油の醤油蔵がず~と続いていました。 この地の名産甘露醤油は、その昔、お…
岐阜高山に残る古い町並み、さんまち通りは、 上三之町、上二之町、上一之町、片原町、神明町4丁目に跨っています。 天正13年(1585年)金森長近公により 高山城が築城され、ここはその城下町 として整備されました。 その後、元禄8年(1695年)…
大分県杵築市は、室町時代木付氏によって城が築かれました。 戦国時代、島津氏に攻められましたが守り抜きました。 その後太閤の𠮟責で主君の大友氏のともに木付氏も滅び、 その後領主は、度々替わり、3万石の能見氏が明治まで続きました。 杵築は岡と坂道の…
この城は、前領主の長宗我部氏の大高坂城の跡に、 関ヶ原の合戦後の領主、山内一豊公が築いた城です。 本丸御殿の現存する城は、川越とここ高知だけだそうです。 山内一豊公は、織田信長公の家臣で、太閤秀吉の家来となり、大名となりました。 関ケ原の前は…