2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧
19年8月28日の佐賀水害は、 西部の武雄、大町が土地が低いせいか、被害の中心で 県庁のある佐賀市は、河川の氾濫で、 床下浸水はあるものの、それほどひどい被害を受けずに済みました。
香川県の瀬戸内海沿いに高松城はあります。 この城は日本三大水城の一つで、それは、ここと 今治城、中津城です。 水城とは、海から直接出入りができる城で、 高松城、今治城とも、今は海から少し離れていますが 昔は、海と接していました。
京都の伏見の丘陵には、過って豊臣秀吉の 隠居城の伏見城がありました。 この城は初め、指月に築城されましたが、慶長伏見地震 で崩壊し、木幡山に再建されました。 然しこの城も、秀吉の死後、関ヶ原の前哨戦で落城して 家康の手で築き直されました。 その…
奈良井宿は旧中山道の木曽路11宿の一つで、 難所の鳥居峠を控える宿場として 奈良井千軒と呼ばれ栄えた宿場でした。 そんな宿場で今も行燈の灯を消さない ゑひごや旅館は安政年間から唯一の旅籠として 今も営業しています。
真田一族の城として知られる上田城は、 天守や御殿はありません。 と言うか、関ケ原の合戦前で、秀忠を引き留めた 上田城は関ヶ原後、徹底的に破壊されて、今あるのは その後に入った、仙石家が造った城です。
南大和の五條は,紀伊大和伊勢の街道が交差し、 吉野川の水運も利用できる場所で 古くからの交通の要衝でした。 大和の戦国大名筒井家の家臣であった松倉重政が 一万石で入り、二見に城を築きました。 その二見と五條を結ぶ、五條新町を振興させました。 松…
外観から見て、全然古く見えない建物ですが、 昭和7年建設の特定郵便局として使われたものです。 今は風の港館と名付けられ、カフエヌーベルポストと言う カフエになっています。 所在地 東かがわ市引田
東照宮は、徳川家康(東証大権現)を祀る神社で、 日光東照宮、久能山東照宮を初め全国各地にあります。 愛知県豊田市の松平郷は、家康を出す前の歴代の 松平家の先祖が暮らした故郷でした。 松平東照宮は、はじめ八幡宮と称して松平家の屋敷神 でしたが、元…
江戸時代天領だった倉敷では、倉敷川の両岸に、 米を貯蔵する、蔵や商う商家が立ち並びました。 倉敷川に架かる中橋の周辺には落ち着いた 白壁海鼠塀の蔵や屋敷が立ち並んでいました。 ここは料理旅館鶴形と看板が出ていました。
川越の県道39号線の仲町交差点から北に少し行くと、 2階建てのビルと3階建てのビルのが隣同士で立っている 所に出ました。 ここはもう蔵造りの街並みに入っていると思うのですが コンクリートのビルがありました。 2階建ての方は珈琲店になっているよう…
愛媛県の南予にある大洲は、 加藤家5万石の城下町でした。 肱川の流域に城下が広がり、伊予の小京都 ともよばれます。 大洲神社入り口の大灯籠から北に入ると 料亭があり、その先に古いお屋敷がありました。 白壁の土蔵造りの建物ですが、もう人が住んでい…
京都の堀川通りを堀川正面で、東に向かうと、 西本願寺の総門があり、その先の通りは、 仏具関係のお店が並んでいました。 この道はまっすぐ進むと、東本願寺の境内に行き着きますが 東本願寺は西側には入り口が無いらしく 新町通りを北に行くと、角に町屋が…
桜島は鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ島でした。 東西12キロ南北10キロの島でしたが大正時代の 噴火で大隅半島と陸続きとなり、島と言えないのかもしれません。 鹿児島市の正面に、圧倒的な存在感で見えますし 錦江湾奥の霧島市からも見えます。 活火山ですか…
京都の八坂神社を四条通りの方に歩いて行くと、 南北の通りの花見小路にぶつかります。 四条通り以北は、居酒屋が入るビル街で、 南側は茶屋や料理屋が軒を並べます。 花見小路をこのまま南に下ると、建仁寺に行き着きます。
有松は東海道の池鯉鮒宿と 鳴海宿の間に出来た町でした。 東海道が出来たころは、鬱蒼とした松林が 生い茂る丘陵でした。 尾張藩の振興策で移住が進み、 また絞り染めの技術が流入定着して 有松は豊かな商人の邸宅や蔵が 立ち並ぶ街になりました。
伊勢神宮内宮前のおはらい町には 伊勢特有な入母屋、切妻、妻入り様式の 街並みが続きます。 飲食店、お土産やさん、酒屋、お菓子の老舗などが並びます。 ここは民家のお宅でしょうか。
長良川が南北に流れる美濃市は 和紙の里として知られています。 そんな美濃市の市役所から程近くに うだつの上がる街並みがありました。 うだつとは昔の延焼防止装置で、屋根の上に上げた防火壁 と言えばよいでしょうか。 今井家住宅は江戸中期の建物で、紙…
臼杵市の二王座には、山門のある白壁の寺院や、 立派な門構えの武家屋敷がありました。 それらを結ぶ細い路地が縦横に走っていました。
車がすれ違えないような狭さの 三町筋が高山にあります。 お味噌の大のや醸造や料理屋の久田屋、香舗能登屋 酒屋の原田酒造所、舩坂酒造店が並ぶ通りです。 他の場所でも見かける凸凹堂がありました。 長浜や松本で見かけた気がしますが 何を商っているの知…
南予にある内子町は、木蝋の生産が盛んで、 最盛期全国生産の30パーセントを占めました。 豪商本芳我家は木蝋生産で財を成しました。 明治22年に建てられ本芳我家住宅は 漆喰彫刻が施された土蔵や主屋、庭園 が残っていました。
元はアーケイドのある古い商店街でしたが、 今はアーケイドはなくなって明るい商店街なっています。 シマコーヒー大正館といせやは石造りの古いビルディングでした。
広島県東部の瀬戸内海に面する港町、 竹原は江戸時代後期に、 塩田からの塩の生産で栄えました。 また酒の醸造業も盛んになりました。 塩は北前船に乗り、江戸、大坂に運ばれました。 そんな竹原には古い町並みが残っていました。
北国街道海野宿は千曲川が近くに流れる 東御市海野にあります。 北国街道は、追分で中山道から分かれ海野、上田から 善行寺を経て、直江津で北陸道と合流しました。 この道は、善光寺参りや、北陸道の大名の参勤交代、 佐渡の金の輸送に使われました。 近く…
愛媛県の南予にある大洲市は、 大洲城の城下町でした。 肱川と矢落川が合流する所が盆地になっており 肱川あらしと称される霧が発生します。 大洲神社に向かう路地には、大灯籠がありました。
雷門は浅草、浅草寺の山門ですが、東京の顔ともいえる存在です。 寺院の山門は、阿形と吽形の仁王像が一般的ですが ここは、風神雷神門つまり雷門です。 向かって右側が風神、左側が雷神です。 門の真ん中にある提灯には、雷門と大書きされた反対側に 風雷神…
岐阜県の飛騨地方に古い城下町の面影を残す高山は 金森長近の城下町でした。 その後、元禄8年には、幕府の代官所が置かれ 城は廃棄されました。 そんな高山の三町筋の細い通りに造り酒屋さんが お向かい同志で向かい合う場所がありました。
旧中山道の宿場町、奈良井宿で御櫛所の看板を掲げる中村邸は 櫛問屋で、漆櫛の商いをしていました。 中村屋利兵衛と墨書されていて、今は民家造りの家として 資料館となっています
香川県の高松にある高松城は、 大分の中津城、愛媛の今治城とで、 日本三大水城として知られています。 北の丸にある月見櫓と水手御門と渡櫓は 瀬戸内海に面していました。
岡崎城から八丁(870m)離れた矢作川の近くに 八丁蔵通りはありました。 ここは、八丁味噌で知られるカクキュウの八丁味噌 の味噌蔵の裏通りです。 八丁味噌は大豆と塩を原料に、2年の長期熟成で 味噌樽の上に矢作川の丸石を山ほど積み上げて 造られます…