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竹原~安芸の小京都

広島県東部の瀬戸内海に面する港町、 竹原は江戸時代後期に、 塩田からの塩の生産で栄えました。 また酒の醸造業も盛んになりました。 塩は北前船に乗り、江戸、大坂に運ばれました。 そんな竹原には古い町並みが残っていました。

松坂邸~竹原

広島県東部の瀬戸内海の港町竹原は、 江戸の後期に製塩業が盛んになり 北前船によって全国各地に運ばれました。 松坂邸 そんな竹原の古い町並みには、松坂邸がありました。 ここは、製塩業から醸造業まで手広く商っていた商人の邸宅です。

鞆の浦

鞆の浦は、広島県東部の瀬戸内海に面する港です。 瀬戸内海航路の要衝として古くから知られ、ここで潮待ち をしました。 そんな鞆の浦の街中には、船具関係の商家や旅館、また 保命酒を商うお店が多く見受けられました。 狭い路地を抜けると港に出ました。

竹原~安芸の小京都

広島県東部の瀬戸内海に面する港町竹原は、 瀬戸内の要衝として知られ、 江戸の終わり頃には頃、塩田の製塩で栄えました。 そんな竹原には町並み保存地区があり 往時の町並みを残します。 今コマーシャルにも出ています。

竹原~瀬戸内の港町

広島県の中央部の瀬戸内海沿いにある竹原は、 古くからの港町として、瀬戸内海交通の要衝の地でした。 江戸後期には、塩田の塩、酒の醸造業が発展し 北前船で全国に運ばれました。 そんな竹原には、古い町並み保存された地区がありました。

鞆の浦~

鞆の浦と言ったら、保命酒と言っていいぐらい 保命酒を扱っているお店がたくさんありました。 昔からの道ですから路地は細くて入り組んでいます。

竹原~安芸の小京都

広島県の東南部の湊町で、 江戸後期に塩田の塩を、北前船で、 全国に流通させた竹原がありました。 そんな竹原は、酒の醸造も盛んでした。 竹原の一角に古い町並みが残っていました。

竹原~瀬戸内海の要衝

瀬戸内海の港町で、交通の要衝として知れた竹原は、 江戸後期からは塩田で出来る塩で栄えました。 また酒の醸造も盛んでした。 竹原の古い町並みは、落ち着いた、木の格子の 民家が立ち並んでいました。

竹原町並み保存地区

広島の古い港町、竹原は江戸時代、 塩の生産が進み、北前船で全国に運ばれました。 また酒の生産も盛んになりました。 この街並みの西方寺から降りてくると 右側に古い郵便局がありました。 突き当りに堀川醤油醸造所の家屋があり その隣はお好み焼きのほり川…

広島城

最近は、高速道路を使い、通過することが多くなりましたが、 一昔前は、広島の電車道のある道を走っていました。 だけど、広島のお城や原爆ドームは 見なかったような記憶があります。 背の高いビルに囲まれているので、見えなかったですが、 お堀の近くまで…

竹原~安芸の小京都

広島の東にある瀬戸内海に面する竹原は、 古くからの湊町として知られていました。 江戸以降、製塩と酒造で栄えました。 そんな竹原には古い商家の集まった通りがありました。

竹原~瀬戸内海の港町

広島市から車で2号線を使い一時間半で、 竹原の街中に着きました。 ここは室町時代から知られた港町で、江戸時代 塩の生産で栄え、酒造業も発展しました。 街並み保存地区には、昔ながらの街並みが残っていました。

尾道

尾道は広島県東部の瀬戸内海沿いの 尾道水道に面しています。 小説や映画に登場します。 平地が少ないので市街地は 北側の斜面に密集して坂の街と言われています。 尾道 行った日は冬の寒い日で、鉛色の空が広がっていました。 向島には造船所が見え、尾道水…

尾道

尾道は広島県南東部の瀬戸内海に面しています。 古くからの海運の集散地として栄えました。 また、文学、映画の舞台として取り上げられています。 そんな尾道は、平地が少なく、山に向かって、住宅地が伸びています。 坂の街として知られる尾道は、日が当た…

竹原

広島県の東部の瀬戸内海沿いに、竹原があります。 毛利家が中国を席巻していた頃は、小早川家の領地でした。 江戸の後期には塩田による塩の生産が盛んになって、 北前船の交易で栄えました。 そんな竹原の古い町中に細い路地がありました。

広島城(鯉城)

広島城は天正年間に毛利輝元が築いた城です。 その後、福島正則が増築し、浅野家に受け継がれ、明治を迎えます。 戦前の国宝になりましたが、昭和20年の原爆で、 倒壊しました。今の城はコンクリート造で再建されたものです。 広島城

鞆の浦~潮待ちの湊

広島県東部の瀬戸内海に面した鞆の浦は、 古代より潮待ちの湊として知られていました。 瀬戸内海の中央部にある鞆の浦の沖で 干潮時に東西に潮の流れを生じるので ここで潮待ちをしました。 鞆の浦 狭い路地と古い港町の家屋が残っていました。 今は保命酒を…

竹原~安芸の小京都(4)

広島県東部の瀬戸内海の湊町で 江戸後期から塩田の開発で 塩の生産が拡大し、北前船で、 遠く大坂や江戸まで運んでいました。 また米を原料とした酒造業が発展しました。 竹原 町並み保存地区には、往事の繁栄を物語る、 古い商家の屋敷が軒を並べています。…

竹原~安芸の小京都(4)

室町時代より瀬戸内海の要衝で 港町として栄えた竹原は、 江戸後期には製塩業が盛んになり、 北前船で大坂や江戸まで運ばれました。 竹原 昔ながらの路地は狭く、両側には古い町屋が続き、 道の先に西方寺が見えました。

対仙酔楼~豪商大坂屋跡

瀬戸内海の湊町鞆の浦には、 「浜の真砂が尽きるとも、大坂屋の財産は尽きぬ」 と唄われた豪商大坂屋がありました。 屋号の大坂屋で、問屋、酒造業で栄えた 上杉家の邸宅の門が残っていました。 対仙酔楼 対仙酔楼は大坂屋の邸宅の楼門でした。 大阪屋を頼山…

竹原~安芸の小京都(3)

瀬戸内海の交通の要衝として 室町時代より栄えていた竹原は 戦国時代、毛利家の三男小早川隆景の領地でした。 塩田で出来た塩や酒を北前船で、 大坂江戸に運んでいました。 竹原 古い商家の街並みを残す竹原の特産品はタケノコです。

竹原~安芸の小京都(2)

竹原の町並み保存地区の 石畳の通りを歩いて行くと 旧郵便局の古い商家の様な家屋の先に、 現在の郵便局がありました。 その先に古い商家がありました。 現在お住いの住居らしく、案内図には 何の記載もありませんでした。 2時間ぐらいの滞在でしたが、竹原…

竹原~安芸の小京都

竹原は広島県の中西部にあり、瀬戸内海に面しています。 瀬戸内海の港町でしたが、 江戸時代、製塩が盛んになり、 塩を運ぶ海運業も発展しました。 千石船で塩を運び、帰りに北陸のコメを大坂に運びました。 大量にあるコメを利用して、酒造業が芽吹きました…

鞆の浦

広島県福山市にある鞆の浦は、 瀬戸内海航路の古くからの港町です。 昔の船は、人力、風力で動かしていましたが、 潮の満ち引きの流れを利用して動かしていました。 その為、潮待ちをしました。 瀬戸内海の中間地点の鞆の浦は 潮待ちの湊として栄えました。 …

竹原~安芸の小京都

広島市と尾道市の中間にある瀬戸内の港町、 竹原は、江戸後期には製塩で栄えました。 そんな古い竹原の町並みは 安芸の小京都と称えられています。 竹原 特産物はタケノコ、日本酒などです。 また、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝(マッサン)の生家の 竹…

路地~鞆の浦(9)

広島県も倉敷に近い、瀬戸内海の港町、鞆の浦は、 古くから潮待ちの湊として知られていました。 瀬戸内航路の中間地にあるここで、一日2回の潮の満ち引きを利用して 船を動かすため、潮待ちをする必要がありました。 しかし、航海術の発達と大型化により、…

鞆の浦~古い家屋(3)

古くから知られる、鞆の浦は、潮待ちの湊でした。 今の船の様なエンジンがなかった時代ですから、 潮の満ち引きや、風で、船を動かしていました。 帆で風を受けて進む船の発達で、鞆の浦はあまり使われなくなりました。 今は、古くからの保命酒のお店が立ち…

鞆の浦~古い家屋(2)

広島県福山市の鞆の浦は、潮待ちの湊として栄えた港町です。 この街中のしまなみ信用金庫の前の路地を北に向かうをと、 大きな邸宅のある一角に出ました。私の持っている地図には、 何も書いてありませんでしたが、歴史のありそうな古い建物でした。 鞆の浦

路地(8)~鞆の浦

岡山県の県境に近い、広島県福山市の鞆の浦は、 古くは、潮待ちの湊として栄えました。 瀬戸内海航路の真ん中にあり、栄えた港町は、 航海技術の発達に伴い、沖乗り主流になり 衰退し、漁港として存続しました。 鞆の浦の街は、古くからの路地が多く、車が通…

鞆の浦~古い家屋

鞆の浦の湊から七卿落ちの 太田家住宅の前の狭い路地を進むと、 杉玉を掲げた保命酒の店舗に出ます。 その先は県道47号線に出ます。 その道の両側が、松右衛門帆と澤村舩具店です。 この辺りの家屋は、古い家屋ばっかりで、昔の面影を残しています。 松右…