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広島県福山市にある鞆の浦、太田家住宅は、 保命酒の蔵元の旧中村家を 明治になってから引き継いだものです。 この住宅は、文久3年の政変によって、 尊王攘夷派の三条実美を初めとする 公家7人が、追放され、長州落ちをした時、 一時身を寄せた住宅です。 …
鞆の津の商家の横を狭い路地に入ると、 登坂になり、このまま進むと福禅寺の 対潮楼の裏に出るみたいです。
路地に入り込んでゆっくりと進むと、 大きな家屋に行き着きました。 横から見ると土蔵で、 正面から見ると立派な店構えの商家です。 車を止め、家屋に近づくと、 木戸が降りていて本日休館日でした。 鞆の津の商家 ここは、江戸の末期呉服店として建てられ、…
鞆の浦には、幕末の坂本龍馬が、 紀州藩と海難事故の交渉をした時、 滞在した桝屋清右衛門宅が残っていました。 事の起こりは、龍馬の海援隊借用のいろは丸が、 六島の沖で、紀州藩の明光丸と衝突沈没しました。 交渉の結果、龍馬は83、526両の賠償金を…
福山藩の家老の内藤家の長屋門が 外堀の西端よりお城の中に 移されてありました。 内藤家長屋門 千五百石の家老職を務めた内藤家です。
鞆の浦は、とにかく保命酒のお店が目立ちます。 ここの保命酒の方は、「ほうめいしゅ」と言っているみたいです。 お店の前を通るとアルコールの鼻に突く香りと、 その後薬草の匂いがしました。 軒先に杉玉を吊るした保名酒のお店です。その隣は七卿落ちの旧…
鞆七卿落ちの太田家住宅の通りは、 昔からの通りの幅なのでしょうが、 車社会の今では、狭く感じます。 軽自動車がやっと通れるかどうかの幅です。 この太田家住宅の通りの裏の路地が、 打って変わって、白壁の蔵が立ち並ぶ 白壁の通りでした。 港まで続てい…
広島県福山市にある福山城は、 西国大名への抑えとして、江戸時代初期に建てられた城です。 伏見城から移された遺材も多く使われています。 この城は、江戸幕府を守る目的に造らため、幕末には、 新政府軍から攻められたりしました。 維新後の廃城令で売却、…
鞆の浦、阿弥陀寺を過ぎると、 道は狭くなります。 多分昔からある道の幅で、 阿弥陀寺の前の道は、後から広げた道ではないでしょうか。 阿弥陀寺は、浄土宗のお寺です。山門が素敵でした。
鞆の浦には、文久3年(1863年)の政変で、失脚した 長州系の公卿が滞在した、太田家住宅が残っています。 当時は中村家で、福山藩御用名酒屋を務めた、保命酒の蔵元でした。 七卿落ち遺跡の太田家住宅 保命酒の蔵元ですから庇の上に、杉玉が吊るされて…
鞆の浦は広島県福山市の瀬戸内海に面する、 沼隈半島の南端にあります。 古くからの湊で、潮待ちの湊として、 古代から知られていました。 潮の満ち引きの関係で、東西に潮の流れが生じ、 それに載って、船を動かしていました。 だから鞆の浦で潮待ちをして…
広島県福山市にある福山城は、街中、山陽新幹線の福山駅と道路を挟んで 石垣があります。もともと駅がある所は、堀ではなかっのかと思います。 ですから、新幹線でお城に行けば、すぐにお城に入れます。 福島正則の改易の後、慶長20年、一国一城令の発布後…
福山市の鞆の浦には、狭い路地と古い町並みが 未だに残っていました。 鞆七卿落ちの太田家住宅から,まっすぐ西に進むと 保命酒の看板のある,古い蔵に行きつきました。 ここから道が,狭くなるようです。 保命酒はここ鞆の名産で、お酒と生薬と合わせた薬味酒…
広島県の東の端、もう少し行けば、倉敷という位置に 古代から近世にかけて、潮待ちの湊として知られた、 鞆の浦に行きました。 故郷からは、広島の福山市まで、車でも遠いのですが、 ナビの設定を普通道優先にしていたので、関門トンネルを 通り、ひたすら地…
尾道は、広島県東部の瀬戸内海に面しています。 尾道水道が対岸の向島との間にあり、 古くから海運の要衝として栄えてきました。 街は、平地が少なく、傾斜地に住宅や寺が立て込んでいます。 天寧寺三重の塔 冬の日に行ったので、雲が垂れ込めていました。 …
竹原は、室町時代から港町で知られ、 戦国期には、小早川家の領地でした。 江戸時代後期には、製塩で栄えました。 人口2万5千人の小さな町ですが、 風情のある街並みが残っています。
広島市の中区に、毛利輝元公が1589年に築いた城です。 別称鯉城で、広島で鯉が名前に使われるのはこれから来ているみたいです。 戦前の国宝にもなった城ですが、原爆ドームの近くなので、昭和20年の原爆で倒壊しました。 今あるのは、1958年以降に…
もう一度行きたいと、思いながら、なかなか近くまでは行くのですが、寄れない地 竹原、最初に行ったのは、NHKのテレビ小説「マッサン」でニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とその妻リタが世間に広く知られる前で、私もニッカウヰスキーの創業者の家とは解…