2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧
富山県の南西部にある南砺市に、城端があり、 ここは中世お城があった場所で、 室町時代に加賀国井家庄で創建された、善徳寺が 永禄年間に城端に移りました。 今は、善徳寺は、浄土真宗大谷派に属する寺院です。 奥にあるのは、本堂ではなく、山門で、 本堂…
岐阜県の南東部に恵那市があり、 そこに日本大正村という古き大正時代の 街並みを保存した所がありました。 その大正村の高台に、大正ロマン館があり 町ぐるみ、いや村ぐるみ、大正時代の物で溢れた 博物館があります。 前庭には、バラが植えられ、建物は白…
今年の1月20日に、川越の大正ロマン夢通りにある、 ウッドベイカーズ川越店の蔵造りの建物が焼失しました。 この建物を再建するには億単位の金が掛かるそうで、 再建は諦めるそうです。
岐阜県の北部にある白川郷は、庄川の流域にあり 冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 そんな厳しい環境に耐えて、茅葺の屋根の2層3層部分では かっては、養蚕が、冬場の農作業として行われていました。
広島県の東部の瀬戸内海沿いの港町の竹原は、 古くからの港町で知られ、江戸後期からは塩田の塩の生産が盛んになり 遠く江戸大坂まで船で運ばれていました。 そんな竹原は、酒の醸造も盛んで、 今も三軒程酒造りを続けています。 その一軒が竹鶴酒造で、テレ…
旧中山道の34番目の宿場町の奈良井宿は、 今は塩尻市に属しています。 昔ながらの、旅籠が並ぶ街道沿いには、 ゑちごや旅館や生薬の 日野百草本舗の店舗が並びます。
肱川が南北に流れる大洲は、愛媛県 中央部の南予にあります。 ここは江戸時代、加藤家六万石の城下町で 地蔵ヶ岳にお城がありました。 城は明治後解体され、平成16年に復元されたもので 今は、一日城主として、宿泊することが出来ます。
壬生屯所から西本願寺に、新選組が慶応元年に移転して 新撰組本陣の看板を掲げました。 その時使用したのが、太鼓楼と北会所でした。 西本願寺は長州藩と繋がりが深く、迷惑したでしょう。
福知山盆地の中央に張り出した丘陵の先端に、 天正7年明智光秀によって築城された城がありました。 昭和61年福知山公園として整備されて、 天守は三重三階の大天守と二重二階の 小天守が復元されています。
兵庫県の北部の豊岡にある、城崎温泉は、 有馬温泉や湯村温泉と並んで兵庫県を代表す 温泉地です。 大渓川沿いに、七つの外湯があり、 三階建ての温泉旅館が立ち並んでいます。 江戸時代「海内第一泉」と呼ばれていて、 大渓川の王橋の前の一乃湯には、外湯…
阿波の国の吉野川中流の北岸に、 阿波九城の一つ脇城の城下町の脇町がありました。 ここは、撫養街道と讃岐街道が交差し、 吉野川の水運を利用できる交通の要衝で 阿波藍の集散地として、繭に沸き、藍に栄えた町でした。 当時、各種の商人が競って、白壁うだ…
播州龍野は、江戸時代脇坂家の城下町でした。 この脇坂家は江戸幕府で老中や寺社奉行を務めた家で、 江戸幕府では譜代大名でした。 祖の、脇阪安治は、賤ヶ岳の七本槍で知られる 豊臣秀吉の家来で、関ヶ原では、西軍に属していました。 揖斐川が南北に流れる…
女城主で知られる岩村城は、山城で、 緑豊かな山の中にあります。 女城主の「おつやの方」が処刑された後 城のある山の麓に、藩主邸が建てられ、 明治後も存在しましたが、明治14年に火事で焼失しました。 上は平成になってから、復元されたものです。
宮城県の仙南地方にある村田町は、 江戸時代、水運を生かして、この地方の 紅花の集散地として栄えました。 そんな村田町のメインストリートには、なまこ壁を 多く使った、タナグラと呼ばれる店舗と壮大な表門が セットで建っていました。
由良川の源流が、山々を縫って流れる 茅葺の里美山は、南丹市にあります。 のどかな田園風景と茅葺屋根の民家のある里は、 鯖街道が走っていました。
川越の蔵造りの街並みの南側に 仲町交差点があります。 藏造りの街並みの玄関口にあたる この交差点の角地に立つ、明治の入母屋造り の蔵造りの町屋があります。 今はスポーツ用品店になっていますが、 明治34年頃に建てられた蔵造りの店舗は 屋号は松崎屋…
木曾郡南木曾町にある妻籠宿は、 旧中山道の42番目の宿場で、 飯田街道への追分がありました。 街道は、馬籠峠までは登りで、 そのあと馬籠宿へと下って行きました。
愛媛県の中央に位置する内子町は、 江戸時代から明治にかけ木蝋の生産で、 日本全体の生産量の三分の一を占めました。 木蝋とは、ハゼの実から採れたロウソクの原料で 江戸時代は明かりのほとんどがロウソクや行灯でした。 かって木蠟の生産で賑わった八日市…
木曽の入り口に位置する美濃中津川村は、 中山道45番目の宿場で、尾張藩の重臣山村甚兵衛の 知行地でもありました。 この宿場の本陣や脇本陣が立ち並ぶ街道沿いに 享保3年から江戸時代の半分を、 庄屋職を務めた肥田家の邸宅がありました。 肥田家は「田…
琵琶湖の北東岸にある長浜は、北近江平定の恩賞として 織田信長が羽柴秀吉に、旧浅井の旧領を与え、琵琶湖に接する 今浜に城を築きました。 墨俣城はありますが、あれは砦で、本格的な城としては、 この長浜城が初めてで、秀吉も愛着があったと思われます。 …
大正3年開業した東京駅は、 首都東京の中央駅として機能しました。 昭和20年の東京大空襲で被災し 屋根と内装を焼失しました。 2012年に5年の月日をかけ、修復工事が終了しました。
千葉県の北部にある利根川に接する香取市の佐原は、 江戸時代東北の物資が、利根川経由で江戸に入る場合 小野川の流域の商人が仲立ちをしました。 そんなわけで、小野川沿いに 古い商家の街並みを残します。 この川沿いには、船着き場のある商家がありました…
京都の花見小路は北の三条通から、 南の安井北門通までのおよそ一キロの 南北の通りです。 四条通を挟んで、北はビルが建ち並ぶ、 居酒屋やバー、スナックなどの飲食街で 南は古くからの茶屋や料理屋が立ち並びます。 この先に建仁寺があるのですが、 この辺…
三州街道は、三河の岡崎から伊那を経て、 信州塩尻を結んでいました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の川船に乗せ 足助宿で、馬の背に乗せ換えていたので、 中馬街道とも呼ばれました。 足助宿には、塩の問屋があり、信州まで運ぶ馬の手配から事務作業まで 手…
栗子連峰のふもとにある飯坂温泉は、 福島の奥座敷との異名を持つ温泉地で 日本武尊が東征のおり立ち寄ったという 伝説のある古い温泉です。 飯坂温泉は奥羽地方有数の古湯で、古くは鯖湖の湯と呼ばれ 西行法師も訪れた折に「あかずして 別れし人のすむ里は …
東山の清水寺から参道の清水坂を下り、 北にある石段を下りると三年坂で、 土産物屋や京銘菓、漬物のお店が並びます。 蔵造りの建物は、手打ちそばのお店でした。
江戸時代、北前船の寄港地だった、 瀬戸内海に浮かぶ大崎下島に御手洗はありました。 ここは、古代から交通の道として、船が使われ 神功皇后や菅原道真、平清盛、加藤清正など の知名人が訪れています。 島の外周道路から中に入ると、 昔からある路地は、ど…
旧中山道の42番目の宿場町妻籠は、 蘭川東岸の木曽郡南木曽町にありました。 ここは、飯田街道への追分のある交通の要衝で 本陣脇本陣各一軒と旅籠三十一軒がありました。
戦国時代の寺内町が原型の今井町は、 奈良県橿原市にありました。 安土桃山時代、堀を深くし武力を蓄えて、 今井町は他の介入を拒みました。 その今井町は、一向宗の大坂退去をきっかけに 武装解除して、その後は、自治都市として発展して 「大和の金は今井…
伊勢神宮内宮前のおはらい町は、宇治橋から 五十鈴川沿いにおよそ八百メートル続く石畳の通りで、 地図には伊勢街道と書いてありました。 伊勢路独特な切り妻、妻入り様式の飲食店や土産物屋、 赤福、造り酒屋などが軒を並べます