2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
伏見城は、京都の南にある伏見に建てられた城で 4度に渡って建てられました。 現代に近い方から、今現存する城(見る事ができる城)は 1.1964年、遊園地が営業目的で作った城で、この遊園地は解散して、公園になっています。 2.1601年、徳川家…
瀬戸内海の中間地点の港町、鞆の浦は 潮待ちの港として知られています。 潮待ちをすることで、鞆の浦の沖の 東西の潮に乗って、船を動かしていました。 その鞆の浦には、江戸時代後期に造られた呉服店で、 のちに船具屋となった商家が残っていました。 裏に…
京都府のほぼ中央に位置する南丹市の美山町は、 山々に囲まれた山間の郷でした。 ここは由良川の源流が流れ、 冬場は豪雪地帯で知られる所です。 町中を鯖街道が通っていました。 ここで暮らす人々は、林業に携わっています。
竹原は古くから瀬戸内海の要衝 として発展しました。 江戸後期からは塩田の塩の生産が盛んとなり 遠く江戸大坂まで北前船で運ばれていました。 そんな竹原の街並み保存地区に 浜旦那(塩田経営者)のお屋敷がありました。 旧笠井邸は明治5年に建てられた浜…
四国吉野川の北岸に脇町はありました。 脇町は、阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 そしてここは、撫養街道と讃岐街道が 交差する交通の要衝でした。 そんな脇町は、阿波藍の集散地として発展し 藍に沸き、繭に栄えた、商いの町で 各種の商人が、白壁うだ…
橿原市の今井町は、戦国時代寺内町で、 武力を保持して外からの介入を拒んだ自由都市で 江戸時代も発展は続き、「大和の金は、今井に七分」 と云われていました。 上田家は、今井町で惣年寄りを務めた家柄で 江戸初期には酒造業を営み、他の商家と今井札を …
福井県の越前大野市は江戸時代城下町で、 その城下に、美濃表に行く街道に通じる七間通りは メインストリートで、大店の商家が店を出していました。 お味噌屋さん、酒屋さん、米屋さん、 和菓子の店など様々な店がありました。
香川県の東の端のもう少し行くと、 徳島県という場所に東かがわ市があり そこに播磨灘に面する旧引田町がありました。 今でこそ、寂れた漁港という感じですが、 世界で初めてハマチの養殖に成功した町です。 引田は、安土桃山時代に始まった醤油の醸造で栄え…
近江の守護として湖国の中心に位置する、 日牟禮八幡宮は、近江八幡市にあります。 近江八幡市の八幡は、ここに由来します。 日牟禮八幡宮は、古くから近江商人の信仰を集めました。 日牟禮八幡宮楼門
京都の中京区の御池通りから 少し中に入った所に赤レンガの建物があります。 ここは、京都文化博物館別館で、 日本銀行京都支店だった建物を利用しています。 京都文化博物館は、京都の文化と歴史を紹介を目的とした所で 平安建都千百年の記念事業で創立され…
東大寺の大仏殿の北西に大仏池という池があります。 その池から大仏殿の裏を通って二月堂への、裏街道沿いに 古い瓦を使った瓦塀の中性院があります。 ここは、華厳宗東大寺の塔頭で、本尊は弥勒菩薩像です。
三重県の伊勢市、伊勢神宮内宮前のおはらい町 にあるおかげ横丁は、おかげ参りがブームになった 江戸末から明治の初めまでの当時の雰囲気を再現するために 伊勢路の建物を移築しています。 伊勢うどんに手捏ね寿司、貝時雨に赤福餅、 伊勢路の名物に溢れるお…
信州小諸城は、武田信玄の家来の山本勘助が縄張りし、 豊臣秀吉の天下統一で、家来の仙石秀久が完成させた城です。 この城の他の城と違う点は、城下より城内が土地が低く 穴城と呼ばれていました。 大手門を潜り、しばらく歩くと、しなの鉄道小諸駅があり、 …
岐阜県の北部にある高山は、観光地で知られていますが、 市内には七軒の造り酒屋のある酒処です。 古い町並みのさんまち筋を歩いていくと、 三軒の酒蔵を見ました。
1571年に開港した長崎港は、 ポルトガル船が寄港し その後オランダや中国との交易で栄えました。
愛媛県の南西部にある内子町は、江戸後期に、木蝋の生産が 全国生産の30パーセントを占める一大生産地で栄えました。 本芳我家は江戸後期から木蝋の生産を始めた本家で、 旭鶴の商標で海外に輸出するほど栄えました。
東本願寺にある菊の門は、勅使門で、 天皇の使者である勅使が寺院に参向した時に 出入りする門で、普段は閉じられています。 この門は明治44年、宗祖650年遠忌事業で、 再建されたものです。 宗祖とは、親鸞聖人で、当時人生五十年とは言わないまでも 九十…
兵庫県の北部にある豊岡市に 城崎温泉はありました。 ここは七つの外湯がある温泉街で、 有馬温泉、湯村温泉と並んで 兵庫県を代表する温泉地です。 大谿川沿いに3階建ての温泉宿が立ち 4つの源泉から84軒の温泉施設に供給されています。
小江戸川越一番街商店街の蔵造りの街並みを 北に歩いていくと、三差路の信号があり それを右に入ると、鐘つき通りで、先の高い位置に 時の鐘がありました。 鐘つき通りの入り口には、蔵造りの商家がありました。 ここは酒屋さんでした。
大友宗麟が島津の大軍の攻撃を何とか凌いだ臼杵は、 大分県の東海岸にあります 臼杵は、江戸時代、美濃から来た稲葉家の 城下町となりました。 その城下町のお寺や武家屋敷を巡っているのが 二王座の歴史の道と呼ばれる、 阿蘇の噴火で出来た凝灰岩の丘を削…
讃岐の国高松に、瀬戸内海に面して 建てられた城の高松城があります。 日本三大水城で知られる高松城は 天正18年生駒親正によって建てられました。 この城は、瀬戸内海から直接出入りができ、 船の出入りを監視する櫓が月見櫓(船の着見櫓)でした。
京都の京阪国道の通る、九条通りに 東寺の南大門があります。 東寺は平安京鎮護の官寺として建てられ、 嵯峨天皇から空海に下賜され、 真言密教の根本道場として栄えました。 南大門から金堂が見えます。 この金堂は国宝で、本尊の薬師如来坐像が安置されま…
中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 木曽路十一宿の中でも標高が一番高く、 難所の鳥居峠を控え、宿泊客の多い、 「奈良井千軒」と讃えられた宿場でした。 宿場内には、水場6か所あり 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒ありました。 今も宿場内には、地場…
琵琶湖の北東にある長浜は、織田信長の浅井攻めの恩賞として、 家来の豊臣秀吉に対し浅井の旧領を与えたものものです。 秀吉は、琵琶湖に接する城を建て、初めで城主となりました。 関ケ原の合戦後の元和元年に長浜城は廃城となり、 その資材は、彦根城や大…
岐阜県の北部にある高山は、飛騨山脈と 白山山地に囲まれた盆地にあり 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸の初めは城下町で その後幕府の陣屋が置かれました。
京都の右京区の西部にある鳥居本は、 古くは、化野と呼ばれ、京都の風葬地でした。 そんな、鳥居本は、愛宕神社の一の鳥居の 下にあり、観光地化されています。 愛宕神社の街道沿いに、お土産屋さんが並びます。
JRの近江八幡駅から北側に行くと、 新町通りという通りがあります。 この通りは江戸の末から明治にかけて 建てられた商人の邸宅が整然と並びます。 八幡商人はほかの近江商人の中で、 いち早く活躍し、海外進出もここの商人でした。 また江戸進出も、最も早…
富山県の南西部にある南砺市の 山の中のにある五箇山に、庄川の流域の 合掌造りの郷の菅沼地区がありました。 ここは、冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 雪囲いに追われる、短い晩秋に訪れました。
信濃の国の一之宮で諏訪湖周辺に 四つの境内を持つ諏訪大社は 古くから風・水の守護神で 五穀豊穣を祈る神として、 また武勇の神として広く信仰され、 現在は生命の根源・生活の源を 守る神と崇められています。 下社春宮
長崎の中島川に架かる眼鏡橋は、寛永11年(1634年) に架けられた石造りの2連アーチ橋です。 当時中島川が増水するたびに流される橋を見かねた 興福寺の住職黙子如定が中国から 職人を呼び寄せ建造しました。