2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

五條新町~南大和

奈良県の南西部にある五條は、江戸時代の初めは、 二見に城のある城下町で、もともとあった五條村と二見を結ぶ 間に新町を企画して造られた新しい町でした。 その新しい町も、四百年の月日が経過しています。

青石畳通り~美保関

島根半島の最東端の美保関には、 江戸時代北前船寄港地で賑わっていました。 ここには、回船問屋が数多く立ち並んでいました。 そんなわけで、美保神社の境内から仏谷寺までの参道は 青石畳通りと呼ばれ、両側に北前船相手の旅籠が立ち並んでいました。

成田山新勝寺門前町~表参道

成田駅から、新勝寺に向かう表参道は、 総門に向かって下っています。 表参道の両側には、様々な店が並びます。 この辺りは、うなぎ屋が建っていて、 ウナギを焼く臭いで満ちていました。

岡山城

岡山市の旭川西岸に天守のある岡山城は、 57万4千石の大名の宇喜多秀家が建てた城で、 関ケ原の合戦後に、秀家が八丈島に流刑になり 領地は没収になりました。 その後は、小早川秀秋がはいりましたが、秀秋死後廃絶になり そのあとは、池田家は入り、明治…

中馬街道

中馬街道は、三河湾で採れた塩を、 信州飯田まで運んでいました。 古鼠(現豊田市)まで、矢作川の川舟で 運ばれた塩は、足助の塩問屋で、馬の背に積み替えて 運ばれました。 ということで塩の道と呼ばれています。 ここは、恵那市明智町で中馬街道と 南北街…

大洲城~伊予の国

愛媛県の南予にある、肱川が 市内を蛇行して流れる大洲は、 江戸時代6万石の城下町でした。 大洲街道と宇和島街道が南北をつなぐ形で走る 大洲は、肱川の流域の小高い山に お城がありました。 お城は、明治時代に取り壊された後、 天守が平成16年に復元さ…

亀山宿~旧東海道

旧東海道の46番目の宿場町亀山宿は、 小高い岡の上に城のある、 六万石の城下町でもありました。 街道の通る街角には、古い商家が建っていました。

美保館~島根半島最東端

島根半島の最東端の美保関は、古くからの交通の要衝で、 風待ちの港として栄えた町で、朝鮮貿易の拠点であった美保関は、 たたら製鉄の積出港として栄えました。 そんな美保関は、江戸時代は、北前船交易の拠点として繁栄し 多くの回船問屋がありました。 そ…

石見銀山鉱山町大森

江戸時代の前期に最盛期を迎えた石見銀山、 当時日本は、世界の三分の一を産出していたと推定されます。 そんな石見銀山の鉱山町の大森の町が、姿を変えずに 残っていました。 岩山の上には、観世音寺が建っていました。

河崎~伊勢市

河崎は伊勢湾を渡って来た伊勢参りの参拝客が、 初めて伊勢に足を下ろす、勢田川の河岸で、室町時代から 江戸時代にかけ発展した町です。 日本各地から集まる物資を売りさばく、 問屋や土蔵が勢田川沿いに立ち並び 活況を呈していました。

眼鏡橋~長崎

長崎市内を流れる、中島川はひとたび雨が降ると 形相を一変して暴れ川となり、橋を流してきました。 寛永11年興福寺の住職黙子如定は、たびたび流される 中島川の橋を案じ、中国から職人を呼び寄せ、 2連の石造りのアーチ橋造りました。 この橋が水面に映…

高山三町筋

三町筋にある尚古堂の隣に、 普段は柵で入れない高い倉庫がありました。 ここは恵比須臺(えびす台)と呼ばれる 高山祭りの山車が収納された所でした。 土産屋の尚古堂と呉服太物の小鳥屋に挟まれて 目立たないので見落とす方が多いと思われますが、 高山祭…

中津川宿~旧中山道

旧中山道で江戸から45番目の宿町の中津川宿は、 美濃国恵那郡中津川村にありました。 街道は町の中で二回曲がっていました。 中津川宿は、木曽の入り口にある宿場でした。

白壁土蔵の街並み~飛騨古川

高山の町から車で30分離れた、 宮川が東西に流れる飛騨古川には、 白壁土蔵の街並みがあり、その町並みに沿って 色とりどりの鯉が泳ぐ瀬戸川がありました。 この白壁土蔵の通りは、本当は裏通りで、 表通りは、造り酒屋や料亭の立ち並んでいました。 この…

津和野~石見

島根県の最西の山の中に、4万3千石の城下町 津和野がありました。 ここは山に囲まれた盆地にあり、石州瓦の街並みが 続きます。 町の中心の本町通りには、大店の大きな商家が並びます。 この通りには、造り酒屋の商家が三軒もあり 他にも規模の大きな商家…

木綿街道平田~出雲

雲州平田は、古から宍道湖に注ぐ平田船川の 水路を使った市場街で、江戸時代以降は 出雲平野で採れた木綿の集散地として賑わいました。 そんな当時の賑わいを感じられる街並みが 木綿街道で、土蔵、白壁の商家が並びます。

美山~茅葺の里

京都府の北部にある美山は、 丹波の国に属していました。 由良川の源流が山を縫いながら流れる山里に 茅葺屋根の民家が残ります。 ここで暮らす人々は、ほとんどが林業に従事します。

三町筋~高山上三之町

高山の上三之町の三町筋の狭い路地には、 向かい合って造り酒屋さんが2軒建ち、 醬油屋さん、お味噌屋さんやお香屋さん、料理店 版画屋さんなど様々なお店が並びます。

晧台寺~長崎寺町

長崎の港の東側にある寺町は、 通りに面してお寺が並んでいます。 そんな寺町に、曹洞宗のお寺の晧台寺(こうだいじ) があります。 この寺の南側の路地を上って行くと、 シーボルトの娘の楠本イネのお墓があります。 イネは日本初の女医となった人です

七日町通り

江戸時代は、日光街道や越後街道、米沢街道などの 主要街道が通っていた会津若松の七日町通りには、 どこか他の国に来たような建物が建っていました。 右側の銀行風の建物は、昭和二年建設されたもので 昭和恐慌で第四銀行の手に渡り、今は建設会社が入って…

成田山表参道~旧成田山街道

成田駅前からおよそ八百メートル続く表参道に 成田山新勝寺の門前町で、土産屋やうなぎ屋など 様々な約百五十軒の店が並びます。 ここから総門までずっと下り坂で、下って行きました。

大森~石見銀山鉱山町

山陰の島根県の山の中に、石見銀山の鉱山町の 大森の街並みがありました。 江戸時代幕府の支配下で、銀の採掘していた頃の 大森の街並みが残っています。 幕府の代官所や豪商の屋敷そして様々な職人の住居が 今に残っていました。

津和野本町通り

江戸時代家老や重臣の邸宅が 立ち並んでいた殿町通りに続く 本町通りは、大店の商家が建ち並ぶ通りで 造り酒屋さんが三軒もありました。 両脇に蔵のある商家は、銘酒華泉の看板を掲げる 造り酒屋さんでした。

川越城本丸御殿

川越は、蔵造りの街並みが有名ですが、 川越は城下町で、お城がありました。 そのお城は蔵造りの街並み一番街を北に行き 札の辻交差点を東に行くと、市営球場の手前に 本丸御殿が建っています。 十七万石の威容を誇った川越城で、今に残る建物は本丸御殿です…

竹原の古い町並み

広島県の東部の瀬戸内海沿いに 竹原はありました。 ここは古くからの港町で、江戸の後期からは 塩田の塩の生産が盛んになり、船で遠く江戸大坂まで 運ばれていました。 街を巡る路地は狭く、曲がっていました。

福知山城

福知山盆地の中央に突き出た丘の 突端にある福知山城は、天正7年に明智光秀に よって建てられました。 東西に流れる由良川が天然の堀になり、 天守のある標高40メートルの丘の上からは 福知山市内が見渡せます。

長浜御坊~大通寺

琵琶湖の北東にある長浜市は、太閤秀吉の故地です。 その市内に、浄土真宗大谷派の寺院で別院大通寺があります。 この御坊は、慶長7年に廃城なっていた長浜城で創建され 今の位置に移りました。

白川郷荻町地区

岐阜県の北西部にある白川郷は、 庄川の流域にあります。 ここは冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 そんな白川郷は、合掌造りの郷として知られます。 昔は、この合掌造りの2層3層部分で養蚕をしていました。

木綿街道~出雲

宍道湖に注ぐ平田船川の水路を使った物流で、 古くから市場町として栄えた平田は、 江戸時代から、木綿の栽培が盛んとなり その集散地として賑わいました。 その面影を残している所が木綿街道で、 白壁土蔵の商家が並びます。 右の商家は醤油の醸造元です。 …

美保神社~美保関

島根半島の最東端に、美保関があり、 今はただの漁師町になっていますが、 ここは、古くからの海上交通の要衝で、潮待ちの港として栄え、 環日本海航路の拠点で、たたら製鉄の積出港として繁栄しました。 そんな美保関は、江戸時代は北前船交易の要所で、 回…