2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧
島根県のほぼ中央部に、石見銀山がありました。 石見銀山の最盛期には、銀の世界産出の 三分の一を占めたと言われています。 そんな石見銀山を支えた大森の町が残っていました。 大森には様々な職人が住む鉱山町で、 石見銀山を支えていました。
大分県の東部にある臼杵は、江戸時代 美濃から入った稲葉家の城下町でした。 臼杵は阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩の丘を削って 町が出来ていて、お寺や武家屋敷を巡るには 狭い路地を通ります。
播州龍野は、五百年前に赤松氏によって山城が築かれ 江戸時代は、城下町として栄えました。 南北に流れる揖保川の流域は、手延べそうめんや 薄口しょうゆで栄えました。 山城から山麓の平山城に代わり、数回の城主交代があり 脇坂家が明治の初めまで続きまし…
播州龍野は、五百年前に赤松氏によって山城が築かれ 江戸時代は、城下町として栄えました。 南北に流れる揖保川の流域は、手延べそうめんや 薄口しょうゆで栄えました。 山城から山麓の平山城に代わり、数回の城主交代があり 脇阪家が明治の初めまで続きまし…
東山の清水寺の参道の清水坂を北に降りる石段の坂が、 産寧坂で、三年坂とも呼ばれます。 この三年坂は、二年坂までの道を含むそうで、 その間、京漬物や京菓子などの土産物店が 軒を並べています。 2階建ての蔵は、手打ちそばの店で、 隣は松栄堂でお香屋…
広島県の東部瀬戸内海にある港町鞆の浦は 潮待ちの港として知られる港で、古い港町の中には 狭く曲がりくねった路地が巡っていました。 この町並みでよく見かけるものは、 保命酒の醸造所と店舗でした。
讃岐のこんぴらさんは、古くから海の神様、 五穀豊穣、大量祈願、商売繁盛の神様として 信仰を集めてきました。 参道には、785段の石段があります。 参道口には、金陵の郷という大きな造り酒屋がありました。
三重県の伊勢市にある伊勢神宮内宮前の 鳥居前町のおはらい町は、伊勢街道沿いに 八百メートル続く石畳の通りで、伊勢独特の 切妻、妻入り様式の街並みが続きます。 この地の名物伊勢うどんに手捏ね寿司、貝時雨に、赤福餅 伊勢の名物名産が盛りだくさんです…
下野街道(会津西街道)は、 日光の今市と会津若松を結んでいました。 その街道上の宿場町が、南会津の下郷の山の中に 残っていました。 大内宿は下郷でも山手にある宿場で、 半農半宿の宿場でした。 茅葺屋根の宿は。窓は障子一枚で 冬は囲炉裏があっても、…
明治26年の川越大火後、焼け残っているのが 蔵造りの店舗であることから、江戸の日本橋の商家を 参考に、再建が始められました。 今は休館中になっている川越蔵造り資料館は、 当時煙草商を営んでいた小山文造が建てた蔵造りの店舗です。
岡山県は古くは吉備の国で、その後備前と備中、 美作の国になりました。 そんな美作国の国府は、津山にあり 江戸時代は城のある城下町でした。 お城の西側の出雲街道に古い商家が建っていました。 この通りを西に進むと、寺町に出て、 お寺さんが集中してい…
大分県の東部の臼杵は、豊後水道に面する町で 江戸時代は城下町で、今は石仏と醤油の町として知られます。 城下町は阿蘇の噴火で出来た凝灰岩の丘を削って 細いい路地が、武家屋敷やお寺を巡っています。 その路地上に、お寺があり、角を挟んで 鐘楼門が2つ…
北近江平定の恩賞として、浅井氏の旧領を 与えられた羽柴秀吉が、最初の城を建てたのが 長浜で、当時は今浜と呼ばれていました。 そんな長浜城は,天正大地震で崩壊し、 関ヶ原後の天正15年に廃城になり、 城の部材は、彦根城他に転用されました。 今ある…
岐阜県の北部の飛騨地方にある高山は 飛騨山脈と白山山地に囲まれた盆地にあり 冬場はかなり雪が降ります。 そんな高山のさんまち筋には古い城下町の 面影を残す、商家の街並みが残ります。 ここで商売をして180年、呉服太物の小鳥屋(おどりや)は 反物…
七日町通りを散策の途中、古い蔵造りの 店舗がありました。 店の中を覗くと、植物が青々と茂り、 温室の様になって居ました。 生け花を扱う花屋さんとあたりをつけて 看板を見ると、なんと陶器店と書いてありました。 右側の小さなショウウィンドに陶器が飾…
最盛期には世界生産の三分一を占めていたといわれる 石見銀山は島根県のほぼ中央部にありました。 その鉱山町の大森の町は、石州瓦の赤い屋根の街並みが続きます。 鉱山開発には、多くの木材が必要でした。 ここでは、周りの山もはげ山にはならず 再生可能な…
徳島県の西部の吉野川北岸に、脇町がありました。 ここは、阿波九城の一つ脇城の城下町で、 吉野川の水運と、撫養街道と讃岐街道が 交差する交通の要衝で、阿波藍の集散地として 繭に沸き、藍に栄えた街並みが、今でも残っていました。 様々な業種の商人が、…
江戸時代、日光の今市と会津若松を 下野街道(会津西街道)が結んでいました。 下郷の山の中にある大内宿は、下野街道の宿場町ですが 何せ山の中にある宿場ですので、半農半宿の宿場でした。 今も街道沿いに、茅葺屋根の宿が並びます。
愛宕街道は古代から火伏の神の愛宕さんへの 参詣道で、愛宕神社の一の鳥居まででした。 一の鳥居の前後には茅葺の茶屋が建ち、少し下ると農家、 その下が土産屋のある場所に出ました。
通称さざえ堂は、寛政8年(1796) 福島県会津若松市の飯盛山に建立された 六角三層のお堂です。 堂内には西国三十三観音が安置され、このお堂をお参りすることで 三十三観音詣で出来るという趣向で作られたのですが 今はお寺はなく、三十三観音は、撤去さ…
兵庫県の中東部に丹波篠山がありました。 ここは、織田信長の丹波平定を命じられた明智光秀が 八上城に籠る波多野氏を下し、平定しました。 その後、関ヶ原合戦後、豊臣氏と西国大名の 押さえとして、徳川家康が、篠山城を天下普請で 築きました。 河原町は…
中山道の江戸から数えて46番目の宿場町の大井宿は 美濃路随一の宿場で、全国でも9番目に数えられる 栄えた宿場でした。 本陣の屋敷は火事で消失しましたが、門が残っていました。 この宿場には、街道が直角に曲がる枡形が6カ所もあり 数は少ないですが町…
岐阜県の南東部の恵那地方にある岩村は、 山の中にお城がある城下町です。 ここのお城を守っていたのは、織田信長の叔母のおつやの方で 武田の軍門に下り寝返った事で、最後は殺されてしまいます。 今もこの城下町は、岩村城下として残り 商家の街並みが続き…
京都の歴史と文化の紹介を目的とし、 平安建都1200年記念事業として創立された 京都文化博物館の別館は、旧日本銀行京都支店だった建物です。 明治39年に建てられた赤レンガ造りの洋風建築で 中はかっての銀行の内装で、いまは 展覧会やコンサート会場とし…
江戸時代、東北の物資が利根川経由で江戸に入る場合、 小野川沿いの商人が仲立ちをしていました。 そんなわけで、小野川沿いには古い商家の街並みが残ります。 小野川にかかる忠敬橋の西側には、 中村屋商店があり、代々荒物や雑貨を商っていましたが 今は商…
美作の国府があった津山は、江戸時代 丘の上に城のある城下町でした。 この町には、明治大正時代に建てられた 洋風建築の古い建物が残っています。 ここは大正時代に建てられた津山で一番古い病院で 城西浪漫館になっているカフエで、隣は元の病院でした。
美保関は島根半島の東の突端にあり、 古くからの海上交通の要衝で、 風待ちの港として栄えました。 また、たたら製鉄の積出港として 江戸時代は、北前船の寄港地として栄え 廻船問屋が多く存在しました。 美保関の港から、一筋入った青石畳通りには、 北前船…
京都の堀川通の堀川正面は、西本願寺の 御影堂門あり、通りを渡った東側に総門があります。 もともと、本願寺の参道に、堀川通という大きな道が出来た為 そうなったのでしょう。 総門を東に進むと、正面通りは、仏具屋が集まった町ですが、 赤煉瓦に丸い塔あ…
江戸から45番目の中山道の宿場の中津川宿は 美濃国恵那郡中津川村にありました。 ここは、木曾の入り口にある宿場で、尾張藩の重臣 山村甚兵衛家の知行地でもありました。 造り酒屋さんを過ぎると、 街道は2回直角に曲がって続いていました。
室町時代に開かれた野辺山銀山が起源の銀山温泉は、 奥州街道から離れた山の中にある温泉で、道も整備されてなく 長い間秘境の温泉でした。 1913年には、洪水が襲い温泉街は壊滅しました。 復興後の1925年能登屋の本館が建てられました。