2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

花屋町通り~京都

京都の東西の通りで、はなやちょうとおりがあります。 西本願寺の北側の通りで、堀川通りに出ると、 北側に通りが続きます。 南側は旧花屋町通りで、東本願寺の敷地にぶつかります。 花屋町通りの東本願寺 両本願寺に生花を供える生花店が多かったからでしょ…

川越~蔵造りの町並み

川越は、ひとり小江戸の称号を誇示しています。 勿論、将軍の御膝元であった江戸には、明治初め頃は 大名屋敷、旗本屋敷、商家の蔵屋敷が甍を並べて残っていました。 その後、江戸は、東京と名を変えて、近代国家の首都として 再開発されたのと、大正時代の…

鐘楼門~明善寺

庄川の流域の白川郷の村中に、 本堂、庫裏が合掌造りの明善寺がありました。 創業延享5年(1748年)浄土真宗のお寺です。 明善寺横の田んぼでは、村総出の田植えが始まっていました。

岡崎城

名古屋市の南東、矢作川と乙川の合流点に 岡崎の城があります。 この城は徳川家康が生まれた城と言われています。 当時は堀をほった土を掻き上げた城で、 石垣や天守は無かった様です。 岡崎城大手門 ただ、小さな棚田の領主であった家康の先祖が、 松平郷か…

豊前街道~山鹿宿

熊本の北部に過って豊前街道の宿場町 山鹿があります。 ここには温泉も湧き出ています。 そして豊前街道と菊池川が交わった場所に 川港があり、菊池平野のコメの集積地で、 遠く大阪まで、有明海を経由して運んでいました。 そんな川港の近くは、米を使った…

平戸

平戸は長崎県北西部に浮かぶ島です。 16世紀半ばポルトガル船の来航以来 南蛮貿易の花が咲き、各国の商館が建てられ キリスト教の布教と貿易で賑わいました。 しかし、17世紀になると鎖国が始まり オランダ商館は長崎に移転しました。 その頃の面影は、…

建仁寺三門

京都の花見小路を南に下ると、 建仁寺の境内に至ります。 京都の花街の喧騒を離れ、 落ち着いた時間を過ごせます。 建仁寺三門 花見小路から一番離れた場所に山門がありました。 山門の額には「望闕楼」と書いてありました。 建仁寺は、臨済宗建仁寺派の大本…

熊本城

熊本城は、今回(2016年)の地震で 甚大な被害を受け、目下修復中で、 元に戻すには数十年の歳月が掛かりそうです。 過去にも、大規模な地震がありその度に、 修復されてきました。 この城を築いたのは、加藤清正公で 薩摩の強国島津の北上を、阻止する…

崇福寺~長崎

赤い三門が印象的な崇福寺は黄檗宗のお寺です。 場所は、長崎の湊から陸の方に入った所です。 市内電車の崇福寺電停の近くです。 赤い三門を潜ると左側の高台にお寺が在ります。 第一峰門と大雄宝殿が国宝に指定されています。

おはらい町~伊勢神宮参道6

三重県伊勢市にある、天照大御神を祀る 伊勢神宮の参道に、おはらい町はあります。 おはらい町 内宮宇治橋から五十鈴川に沿って続く、 おはらい町は、伊勢独特の入母屋、切妻 妻入り様式の老舗の菓子店やお土産屋、 酒屋が軒を並べます。

お城のある風景

滋賀県の北東部の琵琶湖に接する場所に、 長浜市があります。 長浜は織田の武将だった豊臣秀吉が、浅井攻めの功で 領地を貰い、初めて城を建てた所です。 長浜城 お城は大坂の陣の後、廃城になり、 今あるものは昭和58年に造られたものです

二王座歴史の道~臼杵市

臼杵城は大友宗麟が島津の攻撃を凌いで、守り切りました。 大友氏の後,美濃の大名、稲葉氏が6万石で転封されて入りました。 その城下町に、武家屋敷や大きなお寺が、密集した 所があります。道は起伏に富んだ地形に沿って、そう広く ない街中を巡っていま…

新勝寺参道

成田山新勝寺は、真言宗智山派の寺院で、 本尊はお不動様です。 日頃は参拝客の人波で溢れる所ですが、 早朝参道を新勝寺に向かっていると 車が駆け抜けて行きました。

宇和島

宇和海に沈む赤い夕日を見たくて、 高知の桂浜から車を走らせて 宇和島の街中に着いたのは、 もう深夜でした。 途中車で走った道筋は、過って坂本龍馬が 脱藩して通った道ですが、今は車が通れるように トンネルになっていて、龍馬が通った頃は、 野を越え、…

興正寺~京都

西本願寺の南側に興正寺というお寺が在ります。 私も調べる前は西本願寺の 一部だろうと思っていました。 興正寺経蔵 興正寺は真宗興正寺派の本山で、山号派の円頓山です。 北小路門を潜って、唐門や龍谷大学へ行く、南側です。

有松~旧東海道(20)

織田信長が東海の覇者今川義元を桶狭間の合戦で破った 桶狭間は、今は名古屋の緑区の都会になっています。 合戦の当時は村で、広陵とした松林の生い茂る場所でしたが、 東海道が整備されて、尾張藩の振興策で、移住が進み、 絞り染めの技術が流入して、産業…

佐原~香取市

千葉県の東北部にある香取市は、 小野川沿いに古い町並みを残しています。 忠敬橋の西詰の中村屋商店と中村酒店 東側には、さわら舟の乗り場がありました。

錦帯橋~岩国市

山口県の東部にある岩国は、江戸時代、 毛利氏の一門の吉川氏の領地でした。 領内の錦川に架かる橋が、流されることから 5連のアーチ橋を延宝元年(1673年)完成させました。 山の頂上にはお城が見えました。

門司港

福岡県北九州市門司区にある門司港は、 関門海峡に面して、九州の玄関口、大陸の入り口として、 発展し、金融機関や商社、海運会社の支店が進出し、 倉庫や支店が立ち並びました。 戦後、中国貿易が途絶えた事や、 関門トンネルや関門橋の開通で 貿易港とし…

広島城(鯉城)

広島城は天正年間に毛利輝元が築いた城です。 その後、福島正則が増築し、浅野家に受け継がれ、明治を迎えます。 戦前の国宝になりましたが、昭和20年の原爆で、 倒壊しました。今の城はコンクリート造で再建されたものです。 広島城

吹屋~高梁市

今年の7月に大雨被害を受けた岡山県高梁市ですが、 その高梁市の吹屋には、弁柄の鉱山があり、ベンガラの生産 が盛んでした。 ベンガラとは、赤色の着色料で、 寺社仏閣の柱や壁に使われました。 吹屋の街並み 当時の繁栄を物語る、町並みがあります。

伊勢神宮内宮参道~おかげ横丁

三重県伊勢市にある伊勢神宮は、2000年の歴史を持ち 天照大御神をお祀りしています。 その参道は、参拝客や観光客で賑わう所です。 その参道から横丁に入り込むと、 江戸末にお伊勢参りで賑わった 当時を彷彿とさせる街並みが現れました。

二寧坂(二年坂)~清水寺周辺

京都の東山の清水寺から、産寧坂を 降りて、お土産屋さんの並ぶ石畳を 高台寺に向け歩くと、 右手のお店の間に、降り口があり 京都らしい風景が広がっていました。 二寧坂 竹下夢二も好んで散策したと言われるこの坂には、 夢二の石碑がありました。

うだつの上がる街並み~美濃市

岐阜の中濃地方の真ん中に、美濃市はあります。 長良川が南北に流れて、美濃和紙の産地です。 その問屋や造り酒屋が立ち並んだ、うだつのあがる街並みが 、ありました。 うだつの上がる街並み うだつのある屋根には、秋葉様が鎮座していました。

郡上八幡

郡上踊りで知られる郡上八幡は、 今は町村合併で郡上市になっています。 岐阜県の中央部にあり、長良川と支流の吉田川の 合流点に市街が形作られていて、水の郷百選にも選ばれた 水のきれいなところです。 お城は少し離れた山の中にあります。 郡上八幡城 城…

鞆の浦~潮待ちの湊

広島県東部の瀬戸内海に面した鞆の浦は、 古代より潮待ちの湊として知られていました。 瀬戸内海の中央部にある鞆の浦の沖で 干潮時に東西に潮の流れを生じるので ここで潮待ちをしました。 鞆の浦 狭い路地と古い港町の家屋が残っていました。 今は保命酒を…

高山~古い町並み(26)

岐阜県北部にある飛騨地方の高山は、 城下町天領時代の古い町並みが残っています。 三町筋の古い町並みは、人気の観光地で 観光客の途切れることはありません。 前日あんなに人でごった返していた場所も 早朝の朝は、ひっそりとしていました。 高山

長崎~寺町界隈

長崎の眼鏡橋を渡り東に行くと、 お寺さんが集まってある場所がありました。 その先の高台には、亀山社中やシーボルト の娘のイネの墓があります。 晧台寺(こうだいじ) 海雲山普昭晧台禅寺は曹洞宗のお寺です。 暗い山門を潜ると緑のお庭が広がっていまし…

奈良井宿~中山道(15)

奈良井宿は、木曽路11宿の一つで、 この中で一番標高が高い所です。 中山道は69次で江戸日本橋と京都を結んでいました。 東海道は53次で結び、距離的には近いのですが、 水難や川止めがある為に、内陸の中山道を選ぶことがありました。 江戸末に皇女和宮の降…

長浜~北国街道

長浜の北国街道を北に進むと、 お店屋さんが集まった所に出ました。 その先に、街道と交差した通りが大手門通りで、 この辺りが札の辻で、昔は高札が立った町の中心地の場所でした。 長浜北国街道 今は黒壁スクエアと言って、旧第百三十銀行の黒壁の建物を …