2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
下関の長府は、長州藩の支藩があり その古江小路には、藩の上級武士の邸宅 がありました。 上級武士が住む一画は、邸宅の規模が広く、 土塀で囲われて長屋門があります。 ここは菅家といい、藩医で、侍講を務めた 格式のある家でした。
岐阜県の北部にある高山は、白山山地と 飛騨山脈に囲まれた盆地にあり、 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で、 古い商家の街並みが残っていました。 突き当りは、料理屋さんでした。
富山県の南西部にある、 南砺市五箇山の庄川流域は、 合掌造りの集落で知られる郷です。 ここは、豪雪地帯で、冬場は雪に閉ざされます。 そんな厳しい自然環境にもめげず、 環境に適合して、日々生活がなされていました。
岡山県倉敷市の倉敷川両岸は、江戸時代幕府の天領で、 年貢米の集散地として、蔵屋敷が立ち並んでいました。 白壁に瓦張りの土蔵が立ち並んでいました。
京都の堀川通に面する西本願寺の 二つの門の北側の門が阿弥陀堂門で、 南側の門が御影堂門です。 御影堂門と比べると、阿弥陀堂門の方が 装飾が多く施されていました。
信州の松本城は、飛騨山脈の穂高岳を 望む松本盆地にあります。 安土桃山時代から江戸初期に造られました。 天守は国宝に指定されています。
竹原の古い町並みに、堀川醤油醸造所という 古い商家の建物があります。 本町通りの初代郵便局の真正面にあります。 ここで、醤油が作られている感じはしませんが お好み焼きのほりかわの隣にある商家です。
三州街道は信州塩尻と三河の岡崎を 結ぶ街道で、伊奈街道とも呼ばれていました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の舟で、足助宿まで運び ここからは、馬の背に乗せ換えて、塩尻まで運んでいました。
萩に本拠を置く長州藩は、交通の便が良い 山陽の山口に、元治元年山口政事堂を置きました。 山口藩庁門 その後の元治元年の第一次長州征討の撤兵の条件として 山口城の破却が提示され、長州藩は萩に戻りました。
旧中山道の42番目の宿場町妻籠は、 木曽郡南木曾町にあります。 妻籠宿は中山道と飯田街道の追分のある 交通の要衝で、宿場内には 本陣脇本陣各一軒、旅籠三十一軒ありました。
富山県の南西部にある南砺市の五箇山の 庄川の流域に、相倉集落がありました。 ここは、冬場豪雪地帯で、合掌造りの集落です。 そんな相倉集落の売店の奥に、神社がありました。 ここは、地主神社という神社で、春祭りには 獅子舞が奉納されるそうです。
大分県の国東半島のほぼ中央にある文珠山の中腹に、 天台宗の文殊仙寺があります。 ここは、「三人寄れば文殊の知恵」 で知られる寺で、役行者が創建したといわれます。 そのお寺の奥の山際の石段に、 羅漢像が、並んでいました。 下から覗くと、考え深そうな…
京都の京阪国道の九条通りにある東寺は、 平安京鎮護の官寺として造られ、 嵯峨天皇から空海に下賜されて、 真言密教の根本道場として栄えました。 五重塔は木造で日本一54.8メートルの高さがあります。 この塔は4回焼失していて、今の塔は徳川家光の再…
鳥辺野は、北の蓮台野、西の化野、 東の鳥辺野で京都三大風葬地でした。 平安時代多くの庶民は、亡ると、ここに運ばれ 野ざらしにされる風葬で、死体累々の野山でした。 人の世の儚さをしみじみと考えさせる場所でした。 場所は、清水寺から大谷本廟に通じる…
富山県の南西部、南砺市の庄川の流域にある 相倉集落は、合掌造りの農家の郷でした。 冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされる相倉集落には20軒ほどの 茅葺の合掌造りの家屋が残されていました。
北國街道は中山道を追分で別れ、 小諸、海野、上田と進み、 善光寺を通り、中津江で北陸道に合流していました。 袖うだつのある家屋がありました。 海野宿は、明治以降鉄道網の発達で、寂びれていき 養蚕に活路を見出しました。 今でも、その当時の養蚕場に…
熊本県小国町にある鍋ケ滝の近くにある 鉾納社は杉林に囲まれた神社で、楼門の前には 樹齢七百年の夫婦杉が生えています。 楼門の中には、素朴な随神像が二体安置されていました。
伊勢街道は日永追分から、伊勢神宮内宮前の 宇治橋までの75キロの街道です。 東海道を関宿から分かれた伊勢別街道と 途中の津市で合流して、神宮内宮前に至ります。 伊勢街道はこの先でおはらい町に入ります。
佐賀城公園の中にある、鯱の門は、 佐賀城本丸の門でした。 天保3年から始まった本丸再建で、 本丸の門として天保9年にできました。 この門には、明治7年の佐賀の乱の銃痕が残ります。
千葉県の北部にある香取市の佐原は、 水郷で、小野川の流域に古い商家の街並みを残します。 その小野川の川岸通りに、 お醤油屋さんがありました。 ここは寛政12年(1800年)創業ではじめは油屋で 天保3年(1832年)から醤油屋を営んいる 正上醤油…
京都府の中央部に位置する南丹市の美山は 茅葺の郷として知られます。 ここは、山々に囲まれて、由良川の源流が その間を縫うように流れています。 鯖街道がこの集落を通っています。
播磨灘に面する赤穂は、忠臣蔵で知られる 浅野内匠頭が治めた藩でした。 赤穂城本丸表門 この城がというのではないですが、浅野家が入る前にも 刃傷事件があり(正保赤穂事件)があり改易になっています。 その後が内匠頭の元禄赤穂事件で、浅野家は改易にな…
東西に流れる由良川を堀として、福知山盆地の中央に 突き出た丘陵の先端に福知山城は建っています。 天正7年(1579年)丹波国を平定した明智光秀により 建てられた城で、今は福知山公園として整備され、 三重三階の天守と二重二階の小天守が復元されています…
岐阜県の北部の白山山地と飛騨山脈に 囲まれた盆地にある高山は、 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代の初め城下町で 古い商家の街並みを残します。
愛媛県の南予にある内子町は、江戸時代から 明治時代まで間、木蝋と和紙にの生産が盛んで、 木蝋の最盛期には、国内生産の30 パーセントを占めていました。 木蝋の生産で財を築いた、芳我家の本家の本芳賀邸は、 明治22年に建てられたもので、 漆喰の鏝…
三重県の北西部の鈴鹿山脈の山裾に、旧東海道の 47番目の宿場の関宿がありました。 ここは、古代三関の一つの鈴鹿の関が置かれていました。 そんな関宿からは、伊勢別街道、大和街道が分岐する栄えた宿場でした。 この宿場内には、昔からある古い町屋が 二…
広島県の東部の瀬戸内海沿いに、竹原はありました。 竹原は古くから瀬戸内海の要衝として発展して来ました。 そんな竹原は江戸後期からは、塩田の塩の生産が盛んとなり 江戸大坂まで北前船で運ばれました。 狭い路地を進むと、どっしりとした民家の 街並みが…
江戸時代天領で、年貢米の集散の地であった倉敷には、 倉敷川の流域に、米蔵や店舗が立ち並んでいました。 倉敷川が大きく曲がった所を過ぎると、 川舟の乗り場がありました。
美濃の国と尾張の国の境にある 木曽川の南岸に建つ犬山城は、 天文6年(1537年)織田信長の叔父 信康によって建てられました。 天守が現存する12の城の一つで、 天守が国宝に指定された5つの城の一つです。 一昔前は、尾張藩の家老の成瀬氏の個人所有の城で…
蔵造り資料館は、明治26年(1893)の川越大火直後、 類焼を免れた数軒の蔵造り建物や東京の日本橋界隈の商家を参考に、 当時煙草卸商を営んでいた小山文造(屋号「万文」)が建てた建物を 資料館として使っています。 今は耐震工事中のため、入ること…