2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
過って諏訪の浮き城と呼ばれた高島城は、 諏訪湖に突き出した水城でした。 江戸時代に諏訪湖の埋め立てが進み、 今では、諏訪湖の水面から、はるかに 離れてしまいました。 この城は、日根野高吉によって築かれましたが、明治に県庁となった後 建物は取り壊…
旧豊前街道の宿場町山鹿には、 温泉と八千代座がありました。 八千代座は開設が1910年ですから、 豊前街道とはかぶってはいませんが 古い芝居小屋です。 歌舞伎、活動写真、浪花節、新劇、邦楽などに使われましたが 時代の変化に勝てず、一旦昭和48年…
郡上八幡城は、戦国時代に築かれた城です。 明治の廃城令で石垣を除いて取り壊されましたが、 昭和8年に木造で再建されました。 朝霧に浮かんで見られることから、天空の城とも呼ばれています。
松本城から女鳥羽川を渡り南に下ると、中町通りがあり 歩いて行くと、蔵造りの家屋が目に入りました。 蔵シック館 ここは、造り酒屋の大禮酒造の母屋、離れ、 土蔵を移築して、今は市が管理しています。
飛騨の古川町を瀬戸川沿いに歩くと、 白壁土蔵の家屋が連なった通りがありました。 瀬戸川には、色とりどりの鯉が泳いでいました。
京都の四条通りを南に花見小路を行くと、 京都最古の禅寺の臨済宗建仁寺があります。 花見小路から入ると緑の濃ゆい境内に、 ひと際大きい法堂がありました。 俵屋宗達の風神雷神図もこの寺の所有です。
倉敷川沿いに植えられた柳が戦ぐ岸辺に なまこ塀や白壁の蔵や店舗が立ち並んで 居ました。 ここは江戸時代天領として、物資の集積地となり 商人の店舗や蔵が立ち並びました。
愛媛県松山市にある松山城は、太閤の家来だった 加藤嘉明が建てた城です。 加藤家の会津転封の後、蒲生家が入りましが、 蒲生家廃絶後、松平氏が明治まで続きました。 ロープウェイがあるのですが、県庁のある二の丸から登り始めたので 使えませんでした。
旧北国街道海野宿は、小諸市と上田市の間の東御市にあります。 北国街道は、中山道を追分で分かれ、 海野、上田、善光寺と進み直江津で北陸道と結びます。 本陣1軒、脇本陣2軒が設けられ、北陸の大名の参勤交代、善行寺参り 佐渡の金の輸送に使われました。
名古屋の緑区に旧東海道上の街、有松がありました。 この地の産業の有松絞りで有名です。 東海道が開かれた当時は、桶狭間村の一部でしたが、 尾張藩の地域振興策として移住が進み、 絞り染めの技術が定着して、 有松は豊かになり、裕福な商人の邸宅や 蔵が…
岐阜の高山の街中を、朝早くホテルを抜けだして、 てくてく歩いてゆくと、大きな蔵がありました。 蔵の前の看板に味噌と書いてあるので、 お味噌やさんかと店舗を見ましたが、 まだ開店前でした。
近江八幡は、秀吉の甥の豊臣秀次が、 八幡山に城を構えた事に始まります。 八幡堀も、琵琶湖と城下を結ぶために掘られました。 城下町としては短い命でしたが、その後は 商業都市として発展し、近江商人の故郷として知られています。
倉敷川の両岸に白壁の街並みが並ぶ、 倉敷は、江戸時代は幕府の天領でした。 年貢米の集積地であった倉敷には、それを扱う 商人の蔵や屋敷が、倉敷川の両岸に立ち並びました。 そこから少しは離れた場所にも、商人の邸宅がありました。
美濃市のうだつの上がる街並みには、 旧今井家の江戸中期に建てられた住宅があります。 庄屋さんで和紙問屋を営んでいた、今井家には 水琴窟があり、澄んだ音色を楽しめます。 今井家住宅
五條に行く途中、宇陀市を走行中、 室生寺の看板を見つけ寄ったので、 五條に到着したのは、日が傾いた 夕暮れでした。 帰りを急ぐ女の子が、チャリンコで通り過ぎて行きました。
国道1号線の京阪国道を進むと、 東寺の五重塔が目に飛び込んできました。 高さ54.8メートルの木造の五重の塔では日本一の 高さの塔で、寛永21年に徳川家光によって再建されました。 東寺南大門と五重塔
長崎の中島川に架かる二連アーチ橋の「眼鏡橋」は 寛永11年(1634年)興福寺の黙子如定によって 架けられました。 当時中島川氾濫の度に、橋が流されていたのを憂慮して、 中国から石工を呼び、完成したと伝えられています。
千葉県の北東部にある佐原(香取市)は、 利根川に接する水郷でした。 利根川に接する小野川沿いに古い家屋の商家 が軒を並べています。 小野川沿いの舟宿 小野川を舟で旅する商人などを泊めていました。
旧中仙道の宿場町馬籠は 今は岐阜県の中津川市になっています。 と言うのは平成17年の越県合併で、 長野県木曽郡山口村から、 岐阜県中津川市に編入されました。 島崎藤村の実家があり、本陣跡に藤村記念館が建っています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、出兵拠点として築かれた名護屋城は、 佐賀県唐津の先にある半島の北の端にあります。 この城の周りには、各大名の陣屋が120箇所ぐらいありましたが 今は草木の生い茂る中にあります。 秀吉の死後、この城は、建物は取り壊され、…
長野県塩尻市にある旧中仙道の 宿場町の奈良井宿は、当時難所の鳥居峠を控える宿場として、 奈良井千軒と言われ、栄えた宿場でした。 今は旅も、鉄道や車に取って代わられ、宿場を訪ねる人々も 古き江戸時代の旅を味う為に訪れます。
阿智神社の参道を南に降りると、酒屋さんや旅館、 飲食店の集まる通りに出ました。 どの建物も白壁の古くて大きな建物でした。
大正浪漫夢通りから左に曲がると 山崎美術館がありました。 その先、仲町の交差点から県道39号線 の蔵造りの街並みに出ると、 亀屋さんの和菓子屋やマツザキスポーツ の蔵造りの店舗がありました。 マツザキスポーツ 建物は蔵造りの家屋で一階はスポーツ用…
滋賀県の琵琶湖の北東にある長浜市は、 豊臣秀吉が初めて城を建てた地です。 その城下町を南北に 北国街道が通っていました。 長浜城下の北国街道沿いには、大きな商家が立ち並んでいました。
福岡の明治通りを西に進むと、舞鶴城のお堀があり、 お堀沿いに進むと、護国神社に行く道が堀を跨ぎますが その先に、石垣に囲まれた下之橋門と潮見櫓がありました。 今はとても博多湾を望むことは出来ませんが、 潮見櫓は、ここから海を見張っていたという…
岡山県の南西部にある矢掛町には 旧山陽道が通っていました。 そんな矢掛には、本陣がありました。 本陣とは大名や幕府の高官、公家の宿泊する 旅館です。 本陣は、石井家が務めており、庄屋や酒造り にも携わっていました。
岐阜県の県北にある飛騨市は、 豪雪地帯で知られています。 そんな街中を歩いて行くと、 鯉の泳ぐ清流と、蔵の白壁が続く通りがありました。 白壁土蔵の街 ここは古川町の白壁土蔵の街で、瀬戸川が流れています。 ちなみに、この瀬戸川は冬場は、雪の捨て場…
愛媛県松山市の道後温泉は、 日本三古湯として知られています。 道後温泉本館は戦前に建てられた 独特の和風建築で重要文化財になっています。 駐車場がないので、入浴は出来ませんでした。
和歌山市は、紀伊水道に注ぐ紀の川の河口にありました。 お城は豊臣秀長が、紀州平定後、紀州和泉を 加増されて、虎伏山に築きました。 築城後も秀長は、大坂城で政務を見ていましたので、 城代が置かれました。 関ヶ原後、浅野家の後、徳川頼宣が入り御三家…
この前京都に行った時に、 仁和寺に行く途中時間に間に合わず、 断念して下車した妙心寺前ですが、 ここ妙心寺は、臨済宗妙心寺派大本山です。 三門、法堂、仏殿の周りに多くの塔頭が立ち並び 一大寺院群になっています。