2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧
兵庫県の北部の日本海側にある城崎温泉は 有馬温泉や湯村温泉とならんで兵庫県を代表する温泉です。 ⼤谿川沿いに三階建ての温泉宿が立ち並び 七つの外湯があり、浴衣に下駄履きで 外湯巡りの湯治客を見かけます。
岐阜県の北部にある高山は、白山山地と飛騨山脈に 囲まれた盆地にあり、冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で、 古い商家の街並みが残ります。 この町には、造り酒屋さんと、小さな博物館が目立ちました。
愛媛県の南予の肱川が蛇行する大洲は、城下町で その武家屋敷と北側の商人町の間がおはなはん通りでした。 過って、大名行列が通ったといわれる この通りには、白壁の土蔵造りの商家が立ち並んでいました。
今の兵庫県の北部にある、但馬の国の出石 は、城下町の南側に出石城があります。 お城は明治の廃城令で、取り壊されていますが、 堀や石垣が現存し、隅櫓、登城門、登城橋が復元され 登城橋河川公園として整備されています。
山口県岩国の錦川に、木造の五連の アーチ橋の錦帯橋があります。 錦帯橋は江戸中期に藩主の吉川氏によって造られたもので その後の災害で被災し、補修修繕が行われました。
福島県の南会津にある大内宿は、 日光街道の今市と会津若松を結ぶ 下野街道(会津西街道)の宿場町でした。 大内宿は半農半宿の宿場で、明治以降鉄道網の発達で 宿場は衰退し茅葺屋根の宿場が残りました。
愛宕神社に向かう街道が通る鳥居本は、 京都の北西の嵯峨野にありました。 ここは古くはあだしの(化野)と呼ばれ 京都の風葬地でした。 そんな鳥居本は、いまは愛宕街道の 観光地になっています。
松本 松本城の城下町の中町通りには、 善光寺に向かう街道が通り 大店が軒を並べていました。 そんな中町通りに、明治21年,大火が襲い、大半の町屋が 焼け落ちて、その後耐火建築の土蔵造りの建物が 建てられました。 ここは、もと大禮酒造の 母屋や土蔵、…
千葉県の利根川に接する佐原は、江戸時代、 江戸に入る東北から物資の中継を、 小野川沿いの商人がしていました。 そんな佐原は小野川の両岸に 古い商家の街並みを残します。 この先に、正上醤油の店舗や蔵が並びます。
旧中山道の34番目の宿場町の奈良井宿は、 難所の鳥居峠を控える所で 「奈良井千軒」と謳われた栄えた宿場でした。 今も一キロにわたり当時の宿場を彷彿とさせる街並みが残り 木曽の木材を使った漆器や櫛、木工製品や信州そばやおやきなどの 飲食店が並びます…
京都の東山に、浄土宗の総本山知恩院があります。 ここは、浄土宗の宗祖法然が、後半生を過ごし、没した ゆかりの寺です。 この寺は、法然が没した頃は、今ほど大きな寺では ありませんでしたが、徳川家、徳川幕府の支援を受けて 大伽藍が出来ました。
今は栃木市の一部になっている嘉右衛門町は、 江戸の初め岡田嘉右衛門という武士が、荒れ地を開墾して 幕府から嘉右衛門新田地という名を得ました。 その後、岡田家は、土地の名主として続き 例幣使街道の宿場町の栃木宿に近かった為に 小規模な集落が形成さ…
過って九州鉄道の終着駅であった門司港は、 当時は門司駅でした。 関門トンネルで、本州と結ばれ、小倉駅と門司駅の間に 本州下関に向かう線路が出来て、大里駅と呼ばれていたものが 門司駅と改名され、今までの門司駅が、門司港駅と改名されました。 門司港…
琵琶湖の東岸の八幡山の南麓に、日牟禮八幡宮 という神社が建っていました。 ここは近江八幡市宮内町にあり、古くから 近江商人の信仰を集めています。 藤原不比等が参拝し、読んだ和歌から 比牟禮社と改められたと伝わります。
唐津街道は、九州北部の玄界灘沿岸の要路で、 豊前門司から、肥前唐津を結んで、途中、 博多や小倉を経由していました。 赤間宿は今の地名でいうと宗像市で、 筑前21宿の一つでした。 造り酒屋さんが一軒街道沿いにありました。 まだ新酒が出てない時期で…
有松は、旧東海道の池鯉鮒宿と鳴海宿の 間に出来た町で、東海道が整備される前は、 松林の点在する広陵として丘でした。 尾張藩の振興策で移住が少しずつ進みましたが まだ桶狭間村の一部でした。 桶狭間で思い出しましたが、ここは織田信長の 桶狭間の合戦…
大内宿から会津若松に向かう途中、 自分の田舎では見かけない形式の民家がありました。 道沿いに、蔵造りの建物があり、それに接続して 居住部分が奥にある独特な形式の民家が建っていました。 おまけに、屋根と建物の間に空間があるみたいです。 大内宿で見…
愛媛県の南予に、内子町がありました。 ここは江戸後期には、全国生産の三分の一を産出する 木蝋の産地で、明治期には、旭鶴の商標で、輸出を行っていました。 木蝋業者の筆頭の芳我家の邸宅が残っていました。 本芳我家は分家十三の芳我家の本家で なまこ壁…
富山県の南西の南砺市五箇山に やまあいを流れる庄川が削った河岸段丘に 菅沼の集落がありました。 ここは日本有数の豪雪地帯で、冬場は雪に閉ざされます。 厳しい環境下で、和紙作りや養蚕、塩硝造りと冬を乗り切り 春の来るのを待ちました。 合掌造りの九…
今は嬉野市になっている塩田は、江戸時代、 長崎街道が通る塩田川の川湊で、賑わいました。 塩田川は、有明海に注ぐ川で、有明海を通して 全国と繋がっていました。 街道沿いに、居藏屋造りと呼ばれる大型町屋が並んでいました。
越中富山の南砺市には、絹織物の街として 知られる城端は、別院の善徳寺の 門前町でもありました。 善徳寺の先に、豪商の蔵が 回廊状に並んだところがありました。
旧東海道の47番目の宿場町、関宿は 三重県の鈴鹿山脈の山裾にありました。 ここは古代から交通の要衝で、古代三関の一つ 鈴鹿の関がありました。 二百軒ほどの町屋が残っています。
東寺は平安京鎮護の官寺として造ら、 嵯峨天皇から空海に下賜され、 真言密教の根本道場として栄えました。 京阪国道を遡り、九条通に入ると 南大門と五重の塔が見えてきました。
日本三大稲荷の祐徳稲荷神社は、 肥前鹿島にありました。 貞享4年(1687年)伏見稲荷より稲荷大神を分霊して 勧請しています。 錦波川の西側に本殿や神楽殿、楼門があります。
三重県の鈴鹿山脈の山裾に 旧東海道の宿場町の関宿がありました。 ここは古代から交通の要衝で、 壬申の乱の頃には、 古代三j関の一つ、 鈴鹿の関が置かれていました。 街には、伝統的町屋が200軒以上 街道沿いに並んでいます。 この宿場には追分があり、…
長崎街道の宿場町肥前浜宿は、 浜川の河口に沿った街並みで、 有明海の港町として、発展しました。 川に沿った通りには、 白壁土蔵造りの造り酒屋が残っています。
会津若松の七日町通りから続く、中町の赤レンガ通りに、 圧倒的な存在感のこちらでは店蔵(たなぐら)と呼ばれる商家がありました。 江戸時代から様々な物資を扱う問屋だった福西家は、 明治以降、味噌醤油、漆器に手を広げ 100年ほど前の9代目伊兵衛は…
阿智神社は瀬戸内海交通の守り神として、 倉敷の鶴形山に鎮座します。 阿智神社から倉敷の街に降りる道が南参道で 降り口に、白壁の店舗がありました。 造り酒屋の蔵の様な造りで、もとは向かいの酒屋さんの 蔵だったようです。
四国愛媛県の南予に、江戸時代後期から 明治にかけて、木蝋の生産で全国生産の 三分の一を占めた内子町があります。 そんな木蝋で栄えた街並みが、内子町 八日市護国伝統的建造物群保存地区です。 この先に、木蝋業者の筆頭で、海外に 「旭鶴」の商標で、ろ…
本州最西端の港湾都市の下関は、 山口県の中でも一番人口の多い所で 九州の入り口でもあります。 そんな下関の町中に、古いビルの屋上に、木が茂る 所がありました。 現代では屋上に庭園や公園を作るのは珍しくありませんが このビルは大正4年(1915年…