2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧
昔の国名で言うと吉備の国で、岡山県高梁市にある 薬師院は、花山法皇の開基で小堀遠州が今の地に整備しました。 薬師院 正面の山門を潜ると、石段が続きます。 外観から云うとお城の様に石垣で区画が囲まれています。 一段目の石垣の区画は、お墓があり、石…
島崎藤村にうたわれた 信州小諸城は、石垣と城門を残して 失われています。 残っているのは、三之門と大手門です。 小諸城大手門 今は市街地に飲み込まれているので、 大手門は三之門之を出て、 しなの鉄道の小諸駅を渡って、 家屋の間を抜けて、少し開けた…
岐阜県の北側、富山県と接する飛騨市は、 高山の奥座敷と言われ方をしますが、 飛騨古川には独自の古川祭りがあります。 造り酒屋が2軒あり、白真弓や飛騨誉を造っています。 その裏通りが、白壁土蔵の通りで、土蔵に沿って瀬戸川が流れ 色とりどりの鯉が泳…
今は、岐阜県中津川市に属している、 旧中山道の宿場町、馬籠は、 坂道の途中に出来た宿場です。 馬籠宿 この坂道を登り、馬籠峠まで行くと、 次の宿場の妻籠宿まで下坂の石畳が続きます。
京都を代表する観光地の二寧坂は、 清水寺に繋がる参道です。 石段の坂道を降りると、 京都名物のお土産屋さんが軒を並べています。 二寧坂 二年坂で転ぶと、二年以内に死ぬといわれていますが、 二年坂と三年坂で両方転ぶとどうなるのでしょう。
長野県東部にある上田は、 戦国の昔、徳川の大軍を、 上田城の籠城戦で破った、上田合戦の舞台です。 上田合戦は、第1次と第2次がありますが、 徳川軍と真田氏との戦いです。 第一次は、天正13年(1585年)徳川家康が、大軍を差し向け、 真田氏は籠城により…
三重県伊勢市にある伊勢神宮は、 天照大御神を祀る、2千年の歴史を持っています。 おはらい町は、伊勢内宮の鳥居前町として、 切妻・入母屋・妻入り様式のお土産屋さんや 造り酒屋さん、お菓子の老舗が軒を並べています。 おはらい町 参拝客のおなかを満た…
岐阜県の北部の白川郷は、 庄川の流域にあり、 冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 村には大小様々な合掌造りの家屋が 立ち並んでいました。 比較的に小さな家屋は屋根の傾斜が浅く、3,4層ある家屋は 屋根の傾斜がきつくなっていました。 民宿を営んでい…
岡山県の倉敷から北上すると高梁市に至りますが、 その街中の頼久寺町に古いお寺があります。 近くには、江戸時代末の執政の山田方谷の寓居址があります。 臨済宗の頼久寺です。この寺は小堀遠州が作庭した名勝のお庭があります。 小堀遠州の初期の作庭で禅…
長浜の大手門通り商店街の アーケイドの中を進むと、 橋があり水路を渡ると 古い家屋がありました。 案内板には、西田天香下座初体験の地と書かれていました。 西田天香は、明治から昭和を生きた宗教家で参議院議員だそうです。 下座初体験の地はよく理解で…
岐阜県の郡上八幡は、 清水の流れる町として知られます。 その街中に、大きな家屋と家屋の間の日陰に、 水路があり、水沿いの柳の枝を 揺らしていました。 郡上八幡やなか水のこみち 真夏でも家屋の日陰なので、水路沿いに、涼しい風が吹き抜けます。
京都の花見小路を南に入ると、 右側に建仁寺の大屋根の瓦が目に入ります。 ここは、臨済宗建仁寺派の大本山、建仁寺です。 開基は鎌倉幕府の2代将軍源頼家で、開山が栄西です。 建仁寺の法堂 栄西は渡宗のあと源頼家の援助を得て、 建仁2年(1202年)京…
岡崎城は、矢作川と乙川の合流点に近い場所にあり、 今は国道1号線が北側を通っています。 ここは、徳川家(松平家)が、一豪族から成り上がり 岡崎の城を手に入れ、徳川家康の生誕の地となりました。 松平家は家康の父広忠が死ぬと、今川氏の支城となり 年…
京都烏丸通りにある東本願寺にお参りに、 北側の門は、関係者以外立入禁止みたいで通れず、 烏丸通りの玄関門は柵があり入れず、 勅使門はもちろん入れず、 一番大きな御影堂門からしか入れないようです。 御影堂門 御影堂門から入ると正面に御影堂があり、…
この度の豪雨被害で被災された方にお見舞い申し上げます。 高梁市の向町にある高梁市郷土資料館は、 もともとは、尋常高等小学校として 日露戦争最中の明治37年に建てられました。 江戸から昭和初期の生活民具が展示されています。 建物の玄関横には、二宮…
岐阜の飛騨地方にある高山は、 金森長近が造った城下町でしたが、 元禄8年に幕府の天領になり、 城は取り払われました。 三町筋 その古い城下町の街並みが残っています。
長崎の市電を思案橋で降りて、 電車道から少し中に入った場所に 黄檗宗崇福寺があります。 崇福寺 ここは、華僑の人々が、 江戸時代に超然を招聘して創建されました。 黄檗宗は、3禅宗の一つです。 第一峰門、大雄宝殿が国宝に指定されています。
旧中山道は、江戸から京都まで 69次で結んでいました。 そのうち11宿が木曽路にあります。 妻籠宿寺下 次の宿場は、馬籠峠を越えて馬籠宿に降りて行きます。
千葉県の北東部にある佐原は、 市町村合併で香取市になっています。 利根川に接し、小野川の流域に 古い町並みを残しています。 コマーシャルのロケ地として使われ、 佐原の情景が出る度に、行った当時 を思い出します。 佐原 佐原は東北の物資の集積地とし…
奈良県五條市には、紀州和歌山を結んでいた 紀州街道が残っていました。 この街道上に餅商一ッ橋の古い看板を掲げる お餅やさんがありました。 旅の途中立ち寄った旅人の様に餅が食べたかったのですが、 戸も窓も閉じられていました。 街道を逸れて、川沿い…
川越の連雀町から街並みを眺めて、 大正浪漫夢通り行くと、お洒落なお店がありました。 パンフレットには、 この通りは元は古い商店街で、 アーケードのある銀座商店街だったそうです。 突き当りの角に、川越商工会議所があり、 正面に古い家屋のお店が3軒…
冬場雪に閉ざされる白川郷を訪れた 5月の末は、田植えの時期でした。 明善寺の近くの田んぼでは、 村総出の田植えが始まっていました。 観光客も多いので、明善寺から少し移動して 神田家の合掌造りの方に行くと 両脇の家も合掌造りでした。 白川郷 大小様…
旧東海道の有松は、絞り染めの有松絞りの 商家と蔵が軒を並べています。 有松 中濱商店の先に蔵が有り、 その隣はパン屋さんでした。 この通りの先の交差点を右折すると、 名鉄が走り、その線路を渡るとイオンがありました。
千葉県成田の新勝寺参道は、 門前までぎっしりと店舗が立て込んでいます。 その中でひと際目を引く建物が大野屋旅館です。 間口8間、奥行13間の木造3階建てで、 屋上に望楼を上げています。 大野屋旅館 大野屋旅館の創業は江戸中期で、もとは蠟燭屋を 営…
琵琶湖の北東部にある長浜は、 のちの太閤秀吉が、初めて城を築城したところです。 今もお城の石垣を琵琶湖の波がを洗っています。 城下町には北ノ庄(福井)まで続く、 北国街道が通っています。 長浜 北国街道を、高札が建つ町の中心地の札の辻まで歩いて…
白川郷から高山に向かう途中、 道を間違えて、富山の方に行ってしまい 合掌造りの古民家を見つけました。 岩瀬家住宅 五箇山にある岩瀬家住宅は 江戸時代加賀藩の硝煙上煮役の 藤井長右エ門が建てた 合掌造りでしたが、 家系が絶え、岩瀬家の所有になりまし…
松山と言うと、愛媛県松山を思い起こされ る方が多いと思います。 この話は、岡山県高梁市、昔の国名で言うと 備中国で、岡山県の中西部にあります。 城下町は、南北に流れる高梁川の畔の高梁にあります。 お城は、吉備国際大学のキャンバスから 山に分け入…
長野県の諏訪湖の北側に 諏訪大社下社秋宮のそばに、 諏訪大社の神話に出てくる 綿の湯と名付けられた下諏訪温泉がありました。 この地は、江戸時代、甲州街道と中山道の合流点で 温泉が湧き出る下諏訪宿がありました。 下諏訪温泉まるやさん
清水寺から松原通りを下ると、 清水寺経書堂が右手に見えます。 この経書堂は来迎院と言って、厩戸王(聖徳太子)の開基 とも言われています。なので本尊は厩戸王の像です。 経書堂の角を右に曲がると、産寧坂の下り坂があります。 産寧坂 この坂の先に高台…
高山の古い町並みの三町筋を南から北に進むと、 すぐに、お土産屋さんの尚古堂と、小鳥屋呉服店の間に、 お宮の様な建物がありました。 高山三町筋 ここは、高山祭で使われる屋台の恵比寿台が収まっている所でした。