2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
戦国時代に備前から興り、美作備中の東部まで 勢力を拡大した宇喜多氏が本拠とした近世城郭が 旭川河畔にある岡山城です。 昭和6年に国宝に指定された岡山城は、 昭和20年の岡山大空襲で、 天守をはじめ建物を焼失しました。
旧中山道の宿場町の46番目は大井宿で、 美濃国恵那郡大井村にありました。 かっては、美濃路随一の宿場として栄えていました。 今は、本陣跡の門や旅籠が数軒残っています。 白壁の建物の横には、かっての問屋の説明書きがありました。 明治天皇の行幸の行…
岐阜県の南東部にある恵那市にある岩村城下は、 織田信長の叔母おやつの方が女城主として 守っていた山城がある城下町で、城の方はもう 石垣しか残っていませんが、城下町の商家は 古い商家の街並みが残っていました。
長良川が南北に流れる、美濃市は 長良川の畔の小倉山に城のある城下町で 美濃和紙の生産地です。 そんな美濃市役所の程近くに うだつの上がる街並みがありました。 ここは、城下町で商家の集まった所で、 うだつ(屋根の類焼防火設備)が屋根に上がった 豊か…
広島県の東部の瀬戸内海沿いの港町竹原は、 室町時代から港町として知られていました。 江戸時代の末には、塩田塩の生産が盛んとなり 遠く江戸大坂まで船で運ばれていました。 そんな竹原の本町通りは、たけはら町並み保存地区に指定され 古い商家の街並みが…
豊前街道は肥前熊本と豊前小倉を 結んでいました。 熊本を出た街道は、北上して、 菊池川を渡り、山鹿の宿にたどり着きます。 江戸時代、菊池川を渡ると惣門があり 菊池の町を守っていました。 この地点は、豊前街道が通り しかも菊池川の川湊でしたので 米…
岐阜県の南東部にある恵那市に、 山城で知られる岩村城の 城下町が残っていました。 ここは女城主で知られる織田信長の叔母の おやつの方が守って居た城でした。 今は城は石垣だけの城になり果てましたが 城下町は、商家が商売を続けていました。 製菓店では…
瀬戸内海を望む香川県の丸亀は、 丸亀城の城下町で、城の石垣の総高で、 日本一を誇る丸亀城天守は、 現存する12の天守の一つです。 天守台が広いので、どうしても小さく見えるのが 玉に瑕です。
揖保川が南北に流れるたつのは、江戸時代 脇坂家5万石の小さな城下町でした。 藩祖の脇坂安治は豊臣秀吉の家来で、 賤ヶ岳の七本槍の一人でした。 この家は江戸時代、大変珍しい事に外様大名から 譜代大名になり、寺社奉行や老中を務めました。 そんなたつ…
戊辰戦争で、白虎隊が自決した飯盛山に、 さざえ堂で知られる旧お堂があります。 ここは正式には「円通三匝堂」と言って 寛政8年(1796年)に建立された六角三層の お堂で、三十三観音が堂内に安置されて、 このお堂を参拝することで、三十三観音参りが 出来…
織田信長から、越前の平定を命じられた 金森長近が、平定後越前大野で3万を 与えられて、天正4年築城に着手しました。 明治の廃城令で破棄され、昭和になって 鉄筋コンクリート造りで再建された城です。 この城は、朝霧に浮かぶ天空の城として知られていま…
岐阜県の北部の白山山地と飛騨山脈に 囲まれた盆地に高山があります。 ここは江戸時代の初めは城下町で 古い商家の街並みを残します。 上三之町には、古い町並みが残っおり、 造り酒屋の看板を多く見ました。
川越の仲町交差点に店を構える亀屋は、 天明3年創業の和洋菓子です。 川越の蔵造りの街並みを歩いていると 亀屋というここの支店と思われる店が 他にもありました。
栃木の日光例幣使街道を辿って歩いている時、 目に飛び込んで来たのは、大貫邸という、一見 何の変哲もない商家です。 店のガラス戸に目を凝らすと,白のサインペンで この建物の概略が書いてありました。 この建物は、大貫邸と云って天保3年(1854年)建て…
福島市の北西にある飯坂町は、 栗子連峰の麓にある温泉地で 日本武尊が東征の折、 立ち寄ったと伝えられる古い温泉です。 飯坂町を流れる摺上川の両側に 60軒程の温泉宿が立ち並びます。 飯坂温泉には、西行法師や松尾芭蕉といった人々が 訪れて、歌を詠ん…
大内宿は、下野街道(会津西街道)の宿場でした。 下野街道は、日光の今宿から会津若松を結ぶ街道で、 大内宿は、南会津郡下郷町にあります。 山の中にあるので、半農半宿の宿場で、 茅葺屋根の民家が街道の両脇に立ち並んでいます。
岐阜県の南西部にある恵那市に、鎌倉御家人が 造った山城がありました。 この城は日本三大山城の一つに数えられますが、 今は石垣以外はありません。 織田信長の時代、叔母のおやつの方が女城主として 城を守りましたが、武田方に降り、織田方により 攻めら…
愛媛県南部にある宇和町の卯之町は、 江戸時代在郷町でした。 この土地の領主の伊達家が入る前は 松葉城の城下町で、城の廃城後は 四国四十八カ所明石寺の門前町や宇和街道の宿駅となり 在郷町として残りました。 町内には、江戸中期から昭和の初めまでに 造…
播州たつのは、江戸時代城下町で、 素麺や薄口醬油が作られていました。 揖保川の西側にお城があり、 その城下町が広がっていました。 大きな木の看板を掲げる店舗は、お菓子司で 続字の看板には、吾妻堂と書いてある様です。
川越の仲町交差点の北西の角にある 松崎スポーツ店は、明治34年に建てられた店蔵です。 松崎家は代々砂糖商を営んだ商家で、 今は野球用品などを扱うスポーツ用品店です。
大分県の国東半島の南の付け根に、 城下町の杵築があります。 ここは江戸時代3万石位の小さな藩でした。 二つの丘が武家地で、その下の谷が庶民の住む所で それを酢屋の坂や飴屋の坂、勘定場の坂、塩屋の坂などが 結んでいました。
富山県南砺市の山の中にある五箇山の相倉集落は 庄川の流域の豪雪地帯で、いまだに 合掌造りの民家が残る郷でした。 合掌造りの民家の2階の窓の下に、小さな看板に 伝統産業館とありました。 ちょっと、大げさな名ですが、土地の伝統産業を 展示する所でし…
播磨灘に面する東かがわ市の引田は、 香川県の東の端のもう少し行けば 徳島県という場所にあります。 引田は、今は古びた漁師町に見えますが、 天然の良港で、安土桃山時代には城下町で 米や日用品の集散地で栄え、この頃から始まった 醤油の醸造は、江戸時…
昔、三河湾で採れた塩は、矢作川の川船で遡り、 古鼠(豊田市)で陸揚げされ、足助宿の問屋で 馬の背に乗せ換えて、信州飯田や塩尻に運ばれていました。 美濃の明智町は、中馬街道が通り、ここで作られた生糸も 運ばれていました。
播州揖保川の流れるたつの市は、 江戸時代城下町で、素麺の里として知られ、 醤油の醸造が盛んでした。 そのお城を中心にした城下町の一角に ヒガシマル醤油の旧本社があり、 うすくち龍野醬油資料館になっていました。
鎌倉幕府の御家人加藤景廉が遠山庄の地頭に任じられ、 その子の景朝が遠山姓を名乗り、岩村城を築きました。 時代は飛んで、戦国時代末期、織田信長の叔母のおやつの方は 夫の遠山景任死後、女城主となり、城を守りましたが 武田に降り、怒った信長は、城を…
岡山を南北に流れる旭川の 畔に漆黒のお城があります。 岡山城は、戦国時代備前東部から興った宇喜多氏が 美作、備中東部を勢力圏に入れ、本拠にした場所で 秀家の時代、天正18年から大改修が行われ、 近代城郭の体裁が整えられました。
播州たつのは、薄口醤油の発祥の地で、 醤油の醸造元があります。 たつの重要伝統的建造物保存地区の真ん中に かめゐ醤油の工場跡があります。 ここは、江戸時代藩政をひいた脇坂家の ゐの蔵を譲り受け、明治2年に創業したかめゐ醤油の跡です。
女城主の城下町、岐阜県恵那市にある岩村城下には、 たくさんの商家が、いまだに営業しています。 岩村城下にある、あじさわやは、 かっては小間物屋で、嫁入り道具の鏡台や 針箱やかんざし商っていました。 今は、ちりめんや古代布の正絹の人形を 手ずくり…