2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

門前町~新勝寺

成田山新勝寺の門前町は成田駅前から 約八百メートル続く表参道にあり、 昔から参拝客で賑わっています。 そんな場所に、早朝訪れると、 また別の顔を見せて呉れました。

建仁寺

京都の四条通から花見小路を南に入ると、 付き当たりが建仁寺です。 この寺は、臨済宗建仁寺派の大本山で、 開基が源頼家で、開山が栄西です。 建仁寺の末寺は、八坂の塔の法観寺や ねねの寺高台寺などがあります。 建仁寺 法堂

鞆の浦

潮待ちの港として栄えた鞆の浦は、 広島県東部の瀬戸内海にありました。 ここは、船が今のような動力で動く前、 風や潮の満ち引きで動いていた時代の港です。 狭い路地には、保命酒のお店が軒を並べていました。

東寺

京阪国道が九条通りにぶつかった所に 東寺の南大門があり、門から金堂が見えます。 嵯峨天皇から空海へ下賜され、真言密教の根本道場として 栄えました。

亀山宿~旧東海道

亀山宿は、東海道53次の46番目の宿場町で、 6万石の亀山藩の城下町でもありました。 街道沿いに古いお屋敷を見つけました。 街道をたどっていくと、亀山ロウソクの工場がありました。

町屋~奈良

古都奈良の町屋が、奈良町にありました。 ここは平城遷都で平城京の下京として、寺社が置かれました。 中世以降、元興寺の旧境内に様々な商工業者が住みつき 商工都市として発展しました。 今ではあまり見かけなくなりましたが、蚊帳を商う 商家です。

八坂の塔~法観寺

東山の清水寺から三年坂を下ると、 西側の家屋の屋根の上に、五重塔が見えてきました。 ここは法観寺という臨済宗建仁寺派のお寺で、 聖徳太子が建てたと言われるお寺です。 建仁寺は鎌倉時代で、聖徳太子は飛鳥時代で 時代が合わないだろうという人には、 …

小諸城

長野県の東部の群馬県の県境に 近い小諸市は、小諸城の城下町でした。 北東には浅間山を見、 西側には、千曲川が流れています。 ここの城は周りの土地よりも城内が低く 穴城と呼ばれています。 三の門から見ると城内の方が低いことがわかります。

川越ぶらり旅

川越の連雀町から蔵造りの町並みに行く途中、 大正浪漫夢通りの角に、昔の証券取引所みたいな、 建物がありました。 ここは川越商工会議所で、昭和3年武州銀行川越支店の建物を 使っています。

出雲おおやしろ

10月は、旧暦の別称で神無月と呼ばれます。 山陰の出雲地方では、 全国から八百万の神が出雲に集まる 神在月と呼んでいます。 大国主命を祀る出雲大社(いずもおおやしろ)

上田城

上田盆地の北部の、千曲川分流の 天ヶ淵に面する上田城は、 2回にわたる上田合戦の舞台でした。 主は真田昌幸で、相手は徳川家康率いる 徳川家でした。 2回目の上田合戦には、勝利したものの、 上田城は徳川家によって徹底的に破壊されて、 今の城は、仙石家…

河崎~伊勢市

江戸時代、伊勢湾を渡って来た、 伊勢神宮の参拝客は、 勢田川の河岸にたどり着きます。 その河岸を中心に発達した町で、 土蔵、町家が、今も残っています。 古い土蔵は店舗として再利用されていました。

和歌山城

和歌山市は紀ノ川の流れる 和歌山県の最北部にあります。 和歌山市は和歌山城の城下町で、 この城は豊臣秀吉の弟の秀長によって造られました。 天守は標高49メートルの虎伏山にあり、天守と小天守 連結した天守曲輪があります。

新勝寺総門

千葉県成田市にある成田山新勝寺は 平安中期に起こった平将門の乱を鎮めるため 将門調伏祈願で、不動明王を安置しました。 総門は鳥よけネットで覆われていますが ネットを取ったら、こんな感じでしょうか。

時の鐘~蔵造の町並み

川越の蔵造の町並みにある時の鐘は、 川越藩酒井忠勝が寛永年間に建てたもので、 現在の物は、明治26年川越大火の後に、造られたものです。 日に4回、蔵造の街に時を知らせます。

正面通り~西本願寺総門前

今は京都の堀川通りで分断されて、 堀川通りの東側に本願寺の総門があります。 その東側が正面通りで、仏具屋さんの立ち並ぶ通りです。 ドームの赤煉瓦の建物は本願寺伝道院です。

旧東海道有松

旧東海道の宿場町池鯉鮒宿と鳴海宿との 間にできた有松は、絞り染めの技術が流入し、 豊かな商人の邸宅や蔵が立ち並ぶ街になりました。 服部豊家住宅と服部良也家住宅 服部豊家は大井桁屋から分家した絞り問屋で、屋号は井桁屋です。 服部良也家は井桁屋から…

東福寺経堂

京都東山にある東福寺は、臨済宗東福寺派の 大本山で、紅葉の名所としても知られます。 日下門を潜り、正面に大きな本堂を見て、左手に 殿鐘楼の奥に経堂がありました。 紅葉には遅い時期でしたが、木々は赤く染まっていました。

山鹿宿~豊前街道

豊前街道は、肥後熊本から豊前小倉を結んでいました。 熊本から菊池川を超えると、昔は惣門があり、 山鹿の町を守っていました。 この惣門の周辺は、菊池川の水運と豊前街道が利用できる 交通の要衝で、コメの集散地として、 酒造所や麹屋が軒を並べていまし…

京都文化博物館分館

京都の御池を西に進み,御所八幡宮から 南に入る高倉通りに、 西洋風の赤煉瓦の建物があります。 ここは京都文化博物館と言って、 京都の歴史や文化を紹介するために 造られたもので、 分館は旧日本銀行京都支店の建物を使っています。

北国街道海野宿

北国街道の宿場町海野宿は 長野県東御市にあります。 道路の中央に用水が流れていて、 柳が植えられています。 江戸時代、佐渡の金の輸送や北陸の大名の参勤交代、 善光寺参りなどに使われました。

飛騨高山街巡り

岐阜県の北部飛騨地方にある高山は、 北東部に北アルプス(飛騨山脈) 西に白山山地の山々に囲まれた盆地にあります。 冬場は豪雪地帯で知られています。 そんな高山の町中を歩いていくと、 大きな蔵が朝日を浴びて輝いていました。 ここは、地元のお味噌屋…

馬籠宿~旧中山道

旧中山道の43番目の宿場町馬籠宿は、 中央南アルプスの南端に位置します。 木曽路11宿の一番南の宿場で、長野県に属していましたが 越県合併で、岐阜県中津川市に編入されました。 山の尾根道にできた宿場なので、 街道も坂道になっています。

福岡市赤煉瓦文化館

那珂川と昭和通りが交差する中洲の中島の西に、 赤レンガが印象的な福岡市赤煉瓦文化館があります。 ここは明治42年日本生命保険九州支店として建てられました。

鞆の浦~瀬戸内海

潮待ちの港で知られる鞆の浦は、 広島県東部の瀬戸内海沿いにありました。 今は、強力な動力で船は動いていますが、 それ以前は、風力または 潮の満ち引きで船を動かしていました。 その為に、汐待をする必要がありました。 古い港町鞆の浦には、狭く折れ曲…

引田~東かがわ市

香川県の東の播磨灘に面する引田は、 今は東かがわ市に属しています。 江戸時代に始まった醤油の醸造が発展し 豪商や廻船問屋が現れるほど隆盛しました。 江戸時代から明治にかけての入り組んだ路地に、 古い建物が多く、漁師町の面影をとどめています。

白川郷~合掌造り

白川郷のメインロードを、周りを眺めながら車を進めると、 家屋の少ない村はずれに出ました。 そこに大きな合掌造りの民家がありました。 ここはどうやら食事処のようです。

高知城天守

高知城の天守をどの場所から見えるか探しました。 堀の外の裁判所の建物越しに見えたのですが、 裁判所が建て替わって、見えなくなりました。 また追手門からは天守が小さく見えています。 三の丸からは詰め門越しに見えました。

佐原~香取市

北房総の水郷佐原は、小野川流域に 古い商家の町並みを残します。 佐原駅の北にあるホテルから小野川に向かうと、 対岸が朝日に照らされていました。

東寺

京阪国道の国道1号線が通る東寺の南大門から 中に入ると、金堂がすぐ目に入ります。 金堂は空海に下賜される前に完成していて、 15世紀の土一揆で焼失し、一世紀位再建される 事はありませんでした。 現在の建物は豊臣秀頼の寄進で、1603年に再建され…