2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧
庄川の流域にある、五箇山の相倉集落は、 合掌造りの民家の里として知られます。 ここは冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 雪が降る前の時期、雪囲いの準備はもう始まっています。
安土桃山時代末から江戸時代初めに かけて建造された松本城は外見の黒さから 烏城ともよばれ、白漆喰の白さから白鷺城 と呼ばれた姫路城と対比を見せますが、 共に国宝に指定されています。
有田川の南の入り江に醤油発祥の地で 知られる湯浅があります。 話ははるか昔の中世の頃、中国に渡った禅僧覚心が、 修業時代に中国で覚えた製法で、今のなめ味噌の一種を 造り、その味噌樽の底に溜まったのが、醤油の始まり という事でした。 ここ湯浅では…
福島県の南会津の山の中に、旧会津西街道の 宿場町大内宿がありました。 ここは、下郷町の中でも、山手にある所で 半農半宿の茅葺屋根の民家が続きます。 会津西街道は下野街道とも呼ばれ、 日光の今市から会津若松を結んでいました。
京都の四条通を花見小路沿いに南に下ると 突当りが、建仁寺です。 今テレビでやっている源頼家の開基で、開山が栄西という 禅宗の臨済宗のお寺です。 この寺の緑の濃ゆい場所に、開山堂という お堂があります。 ここは栄西禅師の入定塔(墓所)です。
今は栃木市の一部となっていますが、 天正年間(1573~1592)に岡田嘉右衛門 と言う武士が荒れ地を開墾して、その土地に 幕府が嘉右衛門新田村という名を与えました。 その後岡田家は豪農として栄え、この領内の惣代名主になり 屋敷内に陣屋が置かれました。 …
会津西街道の宿場町の大内宿には、 古い茅葺の民家立ち並んでいました。 高倉神社の一の鳥居の民家の屋根は、 新しく葺き替えらたようで 周りの茅葺屋根より色鮮やかでした。
福島市の北にある飯坂温泉は、 日本武尊が東征のおり湯治した と伝えられる奥州三名湯に数えられる温泉です。 当時は、鯖湖の湯と呼ばれていました。 この温泉には、古今の俳諧人が多く訪れていました。 摺川沿いには、温泉宿が立ち並びます。
栃木市の蔵の街大通りには、江戸時代に造られた店蔵を 利用した記念館がありました。 床屋さんの隣の店蔵は、山本有三ふるさと記念館といって 栃木出身の文豪山本有三の原稿や身の回りの品を展示しています。 もう「路傍の石」はどんな粗筋だったか思い出せ…
岐阜県の北部にある高山は、白山山地と 飛騨山脈の高い山々に囲まれた盆地にあり、 冬場はかなりの降雪があります。 江戸時代の初め城下町で、その後幕府の 陣屋の支配を受けました。 町中に古い商家の街並みを残します。
会津西街道の宿場町の大内宿の本陣は、 江戸時代のものは存在しません。 周りの他の宿場の本陣を参考に、下郷町が復元した 本陣がこれです。 本陣には一般の旅人は泊めることはできず、建物も広く 維持費も膨大にかかります。 江戸後期からは参勤交代で西街…
会津若松の市役所の前を偶然通りましたが、 古い庁舎を建て替えるのか、 盛んに地面を掘り返していました。 ここが市庁舎旧館の建物で、昭和12年竣工の 80年前のモノでした。 ここを壊して建て替えるのかと思いましたが ここは残すそうです。
八幡山に建つ城の外堀と、琵琶湖と城下を 結ぶ運河として造られた八幡堀は、物流の増加に寄与し 八幡商人の誕生を生み、商業の発達を促しました。 八幡堀の周辺には、商家やその蔵が立ち並んでいます。
日光例幣使街道が通る栃木市の 小さな町の嘉右衛門町は 天正年間に、岡田嘉右衛門という 武士が帰農し、荒れ地を開墾して 豪農となり、屋敷内に陣屋が置かれ 下野の惣代名主を務めました。 当時は宿場町の栃木宿に近く、 職人の家や商家が数十軒立ち並ぶ集落…
日光例幣街道の宿場町であり、巴波川の 江戸への船便の問屋町で北関東の商都として にぎわった蔵の町栃木の蔵の街大通りに 今は、スターバックスの店が出来ていました。 その向こう側に、ひな人形・五月人形・破魔弓などを扱う 三舛屋本店が建っていました。
福島市の北部にある飯坂温泉は、日本武尊が東征のおり 湯治したとも伝えられ、当時は鯖湖の湯と呼ばれていました。 奥州三名湯の一つに数えられるこの温泉には、 古今の俳人が数多く訪れています。
巴波川を利用した回漕業で財を成した、 黒塀に囲まれた塚田家の邸宅群が建っていました。 木材の回漕業は、切り出した木材で筏を組み、巴波川を下り 一昼夜をかけ江戸の木場まで運んでいました。
江戸時代、日光の今市から会津若松を 会津西街道が結んでいました。 南会津の下郷の山の中に、当時の宿場の 大内宿がありました。 ここは、半農半宿の宿場で、茅葺屋根の民家が 軒を並べています。
江戸時代水運による紅花の集散地として、 栄えた宮城県の村田町には、 華やかなりし頃の、商家の店舗や邸宅が 残っていました。 壁はなまこ壁で、タナグラ(店蔵)と呼ばれる蔵造りの店舗と 壮大な表門が軒を並べます。
栃木市の蔵の街を歩いていくと、あちこちに 肥料店の看板を目にします。 ここだけ肥料の需要が多いわけではないのでしょうが 目にしないだけで、私の故郷でもあるのか分かりません。 ちょっと歩いただけで5軒の肥料店を見つけました。
阿智神社を南に下ると、倉敷の美観地区の 商家が建て込んだ、場所に出ました。 ここには飲食店や造り酒屋が軒を並べ、 昔ながらの街並みを残していました。 白壁に萬年雪と書かれているのは、 向かい側の森田酒造所の看板商品です。
兵庫県の北部の豊岡に城崎温泉はあります。 おおたに川の流域に七つの外湯がある城崎温泉は 兵庫県を代表する温泉です。 地蔵湯は、その昔源泉から地蔵尊が 出てきたことから名付けられました。 この外湯は、建物もそうですが、中も 広くモダンな造りになっ…
今は集落の横を片道1車線の道路が通っていますが 前は、この集落を通る道が下郷町から会津に抜ける道だったのでしょう。 集落の中は、かなり寂れていますが、蔵のある民家が多く 当時はかなり栄えていたと思えます。 この集落の民家の特徴は、道路側に蔵があ…
合掌造りの民家と民謡の里として知らる コキリコの里が庄川流域の五箇山にありました。 ここは民家ではなく、お食事所の庄九郎 というお店でした。 ここの隣には、村上家住宅という 重要文化財の合掌造りの民家がありました。
富山県の山の中にある五箇山の 庄川の流域に、合掌造りの郷の相倉集落がありました。 ここは冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 銀杏が紅葉する地主神社に行く途中に、 合掌造りの商店がありました。
京都の西本願寺は堀川通りに 大伽藍のある寺院ですが、 その東南の角に太鼓で時を知らせる 太鼓楼が建っています。 ここは、幕末新選組が押し込んできて、 太鼓楼と北集会所を屯所として使いました。
旧例幣使街道の西木戸があった 幸来橋のたもとの北側に雅秀店舗という 見世蔵がたっています。 巴波川の塚田記念館の入り口の反対側の建物で、 黒漆喰切妻の土蔵造り2階建ての商家です。 今は営業していませんでしたが、タイヤ屋さんの店舗になっていました…
みちのくの会津若松に、奇怪な建物がありました。 ここは正式には円通三匝堂で、 見た目は、掘立小屋と云ったら、罰が当たりそうですが、 寛永9年(1796年)飯盛山の正宗寺に建てられた六角三層のお堂です。 中は二重の螺旋状になっていて 登って最上階まで行…
岐阜県の北部にある庄川の流域に、 白川郷はありました。 ここは冬場は豪雪地帯で、 雪に閉ざされます。 昔は、冬場の農作業として、 合掌造りの屋根の2層3層部分で 養蚕をしていました。
兵庫県の西の端の播磨灘に 坂越はありました。 ここは、北前船の西回り航路の 主要な寄港地で、最盛期には 豪商が回船業を営み、坂越浦には 大型廻船31隻、小型廻船15隻が犇めいていました。 当時回船業を営んでいた豪商の奥藤の 造り酒屋の酒蔵が続きま…