2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

橋を渡るとお酒屋さんのある風景~五條

奈良県五條にある紀州街道を東に進むと、 吉野川に合流する小さな川に出ました。その川の向こうに 造り酒屋が見えました。 もうすぐ夕暮れ時で、幼い女の子が自転車で、 帰りを急いで行き過ぎました。

うだつの上がる町並み~美濃市

岐阜県の長良川が南北に流れる美濃市に、 うだつの上がる町並みはありました。 ここは、美濃和紙で知られる和紙の産地で、 広い通りにうだつの上がる商家が軒を並べていました。 うだつの上がる通りから中に入り込んだ路地に 蔵のある商家を見つけました。

岡崎城

岡崎城は三河の国、今の愛知県中央部の 菅生川と矢作川に挟まれた丘陵にある城です。 安土桃山時代にかけて松平家(のちの徳川家) の持ち城で、徳川家康の生誕の地です。 城門の前の公園に徳川家康像がありました。

飛騨古川街角

四百年の伝統がある、気多若宮神社の例大祭、 古川祭りで繰り出す台車の格納庫を 荒城川に近い街角で見かけました。 この先に、弁天堂がありました。

堀川正面通り

京都の堀川通りを堀川正面で、東に入ると 西本願寺の総門があり、その先にドームのある 煉瓦造りの建物がありました。 この辺りは、本願寺向けの仏事屋さんの集まった所で 周りの雰囲気と合わない建物だなと思っていました。 ここは本願寺の伝道院で、明治45…

奈良井宿~旧中山道 

中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 木曽路にある11の宿場の中でも 一番標高の高い所で、 難所の鳥居峠を控え、 一泊して明日の行程に備える宿場でした。 創業寛政年間という越後屋旅館がありました。

蔵のある商家~有松

名古屋市緑区の国道一号線から 少し中に入った所に 旧東海道の有松の町がありました。 ここは、江戸時代から、有松絞りで、 発展した所です。 武田家は有松絞の開祖の武田庄九郎の後裔で、 300年以上の伝統を持つ有松を代表する家系です。

紺屋川沿い~高梁市

岡山県中西部に高梁市があります。 ここは江戸時代、備中松山藩の城下町で 臥牛山の標高430メートルにお城があります。 その城下に紺屋川が高梁川に合流する場所に 大きな土蔵がありました。 昔は、高梁川には高瀬舟が通っていて、 物資の運搬に使われました…

川越路地巡り

川越の蔵造の町並みから、菓子屋横丁に抜ける路地に、 古民家カフェなのか駄菓子屋さんなのか 分からない店舗がありました。 何も買わないで店の中に入るのは、憚られるので、 外からだけの観察で、古民家カフェではなさそうです。

鞆の浦

潮待ちの港として知られる鞆の浦は 瀬戸内沿いの、広島県福山市にあります。 瀬戸内海のほぼ中央に位置して、満潮時には 豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に潮が流れ込み 鞆の浦の沖で合流し、干潮の時は反対に鞆の浦の沖を境に 東西に流れが生じます。 なの…

奈良町

奈良町は平城遷都で、都の下京として、 寺社が置かれたことに始まります。 中世以降は、元興寺境内跡に 様々な商工業者が住み着き 商工都市となりました。

川越街歩き

川越の大正浪漫夢通りを歩いて行くと、 角が商工会議所で、突き当りに昔風の商家が 3軒並んでいました。 左側が仲町の案内所で、真ん中がうなぎ屋さんで、 横に蔵が建っているのがお茶屋さんでした。

北町通り~湯浅

醤油発祥の地として知られる、和歌山県湯浅町の 北町通りは、昔懐かしい昭和の香りの町並みでした。 町並みは昭和よりも古いものでしょうが、 醤油の香りの染みついた角長の醤油工場が この先にありました。

五條新町~奈良

紀州和歌山に至る紀州街道と伊勢に至る 伊勢街道、奈良に至る大和街道が交差する五條 は交通の要衝でした。 そんな五條新町は、松倉重政によって 五條と二見の間に造られた新町でした。

御手洗

瀬戸内海の島、大崎下島に、 北前船の寄港地であった 御手洗があります。 この名前の由来は神功皇后が ここで、手を洗った事に始まります。 町中は、コンパクトにできていますが、必要なものは すべてそろいます。

河岸に出来た問屋街

河崎は伊勢神宮の参拝客が、伊勢湾を渡って たどり着く勢田川の河岸でした。 江戸時代になると日本各地から集まる物資を売りさばく 問屋が軒を並べて、町を形作りました。 今では、当時の蔵を使ったお店ができていました。

民芸処高嶋屋~足助

国道420号線は、旧三州街道の宿場町 足助を通っています。 その通り沿いに、板壁の渋い木造家屋 を見つけました。 てっきり、うなぎ屋だと思い、入ろうとしましたが、 店の前まで来て止めました。 お店は骨とう品店で、看板は道路を渡った所の うなぎ屋さ…

頼久寺

頼久寺は岡山県高梁市にある臨済宗のお寺です。 外観は、高い塀に囲まれて、城館のようです。 この寺のお庭は、小堀遠州作庭の 蓬莱式枯山水庭園で、名が知れています。

白川郷~合掌造り

岐阜県の北部庄川の流域にある白川郷は、 合掌造り造りの民家が残る里です。 合掌造り民家のほとんどは農家です。

吹屋~高梁市

岡山県の高梁川を遡り、 備中松山城があった高梁市内を過ぎて、 西に進むと、吹屋の町が姿を現してきます。 ここは江戸末から明治にかけて、赤色の着色料として 生産されたベンガラの日本唯一の産地でした。

中津城

中津城は、黒田如水が九州平定の功で、 豊前6郡12万石を受領し、 中津川の河口に築城した事には始まります。 その後黒田家は筑前に移動し、細川忠興が入り 完成しました。

今井町~橿原市

戦国時代の寺内町が原型の今井町は、 奈良県橿原市にあります。 堀を深くし、兵力を蓄え、他の勢力の介入を拒んだ 今井町はその後、自治都市として「大和の金は今井に七分」 と言われるほど繁栄しました。

亀山宿

東海道の46番目の宿場町亀山宿は、 伊勢亀山藩1万石~6万石の城下町でした。 石高が違う領主が代わったからです。 亀山宿を歩いていくと、大きな商家がありましたが 今は人が住んでいないようでした。

竹原

瀬戸内海交通の要衝として栄えた竹原は、 江戸後期から塩田の塩の生産が盛んとなり 遠くは江戸大坂まで、北前船で運ばれていました。 町並み保存地区には、 製塩と酒造で栄えた町並みが 続いていました。

御手洗~大崎下島

瀬戸内海に浮かぶ大崎下島は、安芸灘大橋の開通で、 船に乗らずに、気軽に車で行ける島に変わりました。 大崎下島にある御手洗は、北前船の寄港地、中継地として 栄えました。 また、この町を訪れた人は、神功皇后(御手洗の名の由来) 菅原道真、平清盛、加…

山鹿

旧豊前街道の宿場町山鹿宿は、 温泉もわき出る所でした。 また菊池川の川港と交わる所に惣門があり 賑わっていました。

出雲大社(いずもおおやしろ)

島根県北部の日本海に面する島根半島は、 出雲の国の一宮で大国主命を祀る出雲大社がある所です その昔までは大社を名乗る事ができたのは 出雲大社だけでした。 そんな出雲大社のご利益は、縁結びで 知られて、日本各地から参拝客が訪れます。

讃州井筒屋敷~引田

香川県の東の端、もう少し行くと徳島県という場所に 東かがわ市引田があります。 日本で初めてハマチの養殖に成功した場所で、 播磨灘に面した漁港といった印象でした。 元禄5年の創業で、江戸大坂に醤油を出荷して、 引田醤油の名を広めた佐野家は、屋号は…

河崎~伊勢市

河崎は、伊勢神宮の参拝客が 伊勢湾を渡ってたどり着く、勢田川の河岸でした。 この河岸に、室町から江戸にかけて、 日本各地から集まる物資を売りさばく 問屋が軒を並べ、町家や土蔵の景観 が残されています。

崇福寺~長崎

黄檗宗の禅寺の崇福寺は 長崎の寺町にあります。 崇福寺は興福寺や福済寺とともに 長崎三福寺に数えられる唐寺です。 大雄宝殿と第一峰門が国宝に指定されています。