2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
昔の国名で言うと、備中の山の中に、 備中松山城があります。 私がこの城に登った時は,途中まで車で登り 後はかなりの坂道が続きました。 今は猫城主がいるという事ですが、毎日この坂道を通勤してくるのでしょうか それとも住み込みでしょうか。
樹齢700年の夫婦杉に守られた、 鉾納社は阿蘇の小国町にあります。 近くには坂本善三美術館があり、少し離れた近くには 滝の裏側に入れる鍋ヶ滝があります。
長良川が南北に流れる美濃市には、 うだつの上がる町並みがありました。 美濃市は美濃紙で知られる和紙の街です。 うだつの上がる街並みは、江戸から明治にかけての街並みで 和紙の問屋、造り酒屋、町医者の家屋が残っていました。
キャナルシティ博多は、福岡市博多区 にある複合商業施設です。 中には、映画館やショップ、レストランが入っています。 キャナル(運河)をイメージした配置になっています。 山笠の飾り山があるので、7月の上旬か中旬かと思います。
琵琶湖に張り出した長浜のお城から、 北陸本線を渡り、旧北国街道に出ると 下船町の石碑がありました。 北国街道と交差する路地には、 蔵のある古い邸宅が何軒もありました。 往事は琵琶湖の水運と北国街道の陸運で賑わい、 商家が店を構えていたのではない…
奈良県の南西部にある五條は、 和歌山とを結ぶ紀伊街道が通っていました。 江戸時代には、天領となり、穏やかな 日々が続いていました。 ところが幕末になって、天誅組の変が起こり、代官 鈴木正信が殺害されて、倒幕ののろしが上がりました。 五條本町の橋…
小堀遠州の枯山水庭園で知られる頼久寺は、 高梁市にありました。 この寺は臨済宗永源寺派の寺院で、 足利尊氏が諸国に命じて造った安国寺の一つです。 お寺の外観は、高い石垣と塀に囲まれて、 まるでお城の様でした。 境内にある庭は国指定名勝で、備中国…
佐賀県有田町にある陶山神社は、 ここで、陶磁器を焼き始めた、李三平 をはじめとする陶聖をお祀りする神社です。 有田の街を見下ろす高台にあり、陶製の鳥居から見下ろすと JRの佐世保線の線路の向こうに窯元の煙突が見えました。
臼杵の八町大路に創業慶長5年(1600年) と言う味噌、醤油屋を見つけました。 臼杵は水のきれいなところで、味噌、醤油、 酒の醸造の街として、醸造所が20軒もひしめいています。
千葉県成田市にある成田山新勝寺は、真言宗智山派の大本山です。 本尊は不動明王で、新勝寺は不動明王信仰の中心地です。 成田駅からおよそ八百メートル続く参道は、江戸時代より門前町として栄え 往事の繁栄を留めています。 表参道には、飲食店や土産物屋…
清水寺からの帰り、三年坂を進むと、 路地が大きく左に曲がり、 その角に湯豆腐のお店がありました。 そこから右の坂道を降りると二寧坂で まっすぐ行くと、八坂の塔の法観寺に出ました。
岐阜県の飛騨地方にある高山は、市町村合併の為 日本一面積の広い自治体です。 大阪府や香川県よりも面積が広く ただその92パーセントを山林が占めます。 高山のさんまち筋には、古い城下町の街並みが残っていました。
旅をする時、一番はゆっくりできる事です。 時間に余裕を持ち、非日常を楽しむ時間をあじわえます。 反対に、最悪なのは、余裕がなく、時間に縛られた旅は最悪です。 こういう場合は、行かなくて、余裕ができるまで待てばよいのです。 といいながら、四国に…
鞆の浦と言ったら、保命酒と言っていいぐらい 保命酒を扱っているお店がたくさんありました。 昔からの道ですから路地は細くて入り組んでいます。
川越えの菓子屋横丁は修学旅行の児童さんや, 生徒さんに人気のある所です。 貸切バスで来るので、集中がすごく、 とても一緒にいることは出来ませんでした。 但し、帰るのも早かったです。 もう5時には一人もいませんでした。
広島県の東南部の湊町で、 江戸後期に塩田の塩を、北前船で、 全国に流通させた竹原がありました。 そんな竹原は、酒の醸造も盛んでした。 竹原の一角に古い町並みが残っていました。
山口県の南東部にある柳井市は、 江戸時代、毛利家の支藩、吉川家の領地でした。 今も白壁の商家の家屋が軒を並べています。
古い漁師町湯浅には、北町通りという、 醤油工場や金山寺味噌を売る店が 立ち並んだ狭い路地がありました。 この路地の中には、魚屋さんなどあり生活感のあるとおりでした。
旧三州街道は、三河の国の岡崎から 信州塩尻を結んでいました。 三河湾で採れた塩を矢作川を遡り足助(豊田市) まで舟で運び、ここから馬の背に乗せ換えて 信州まで運んでいました。 という事から塩の道と呼ばれていました。
岐阜県側の馬籠宿から歩みを進めると、 馬籠峠までは登りで、その後は下り坂でした。 当時の街道は石畳でした。 山に囲まれているせいか、早朝の宿場は暗く感じました。
愛媛県の瀬戸内海に張り出した 北側の先に、今治市があります。 ここは三大水城で知られた 今治城の城下町でした。 水城とは、海から直接入れる城で 後の残りは高松城と九州中津城です。 水面に映る天守、櫓、門は美しく、国宝ではないかと思いましたが この…
倉敷の美観地区を倉敷川沿いに歩いてゆくと 元は米蔵として使われていた大きな蔵がありました。 ここは、倉敷川がクランクで曲がった所で 中橋を渡った所です。 看板には倉敷民藝館と書いてありました。 建物は白壁と黒瓦を壁に貼っていました。 展示品は、…
三重県伊勢市の伊勢神宮内宮前の参道にあるおはらい町は、 参拝客、観光客の途切れない人気のスポットです。 この通りは、五十鈴川に沿って続き、宇治橋を渡って 内宮へと続きます。 参拝後のお楽しみは、伊勢うどん、手捏ね寿司、赤福餅とたくさんあります。
滋賀県の琵琶湖の北東に長浜市があります。 長浜は、豊臣秀吉の故地で、古い城下町でした。 その城下町を南北に北国街道が走っていました。 お城の大手門から続く道と北国街道が交差する 場所が札の辻で、一番城下町で賑わった所でした。 明治時代、角に銀行…
信州松本城は天守が国宝に指定された、 姫路、犬山、彦根、松江の城の一つです。 五重六階の天守に三重の乾小天守と 月見櫓と辰巳付櫓の複合連結式天守です。 堀の外から天守の全景が眺められる城です。
京都の清水寺を三年坂の方に曲がって、 しばらく歩くと五重の塔が見えてきます。 この塔が、八坂の塔でこの辺りのランドマーク になっています。 この日も、着物を着た女性の撮影があっていました。
瀬戸内海の港町で、交通の要衝として知れた竹原は、 江戸後期からは塩田で出来る塩で栄えました。 また酒の醸造も盛んでした。 竹原の古い町並みは、落ち着いた、木の格子の 民家が立ち並んでいました。
長崎街道太良往還の宿場町肥前浜町は、 有明海の湊町でもありました。 そんな浜町には、古い町並みが残っていました。 造り酒屋の店舗や蔵がそのままに残っていました。
川越の蔵造りの街から、信号を渡ると、 時の鐘のある鐘つき通りに出ました。 この鐘は400年前に、時の領主酒井忠勝によって建てられました。 今も日に4回、蔵造りの街に時を知らせます。
備中松山藩の城下町高梁は、 岡山県の西部にあり、高梁川が南北に流れています。 盆地になっているので、よく霧が発生して、 高地に建つ、松山城は雲海に浮かびます。 江戸時代には、高梁川の水運を利用した交通が盛んで、 高瀬舟で運んでいました。