#佐賀県
佐賀県伊万里の郊外に、山水画の様な切り立った山の麓 大川内山があります。 ここは、江戸時代鍋島藩の御用窯があった場所です。 製法は、極秘で出入りは厳しく制限されていました。 今は鍋島焼と呼ばれています。 細い路地が山に向かって、登っています。 …
佐賀県の吉野ケ里町に、弥生時代の遺跡、 吉野ケ里遺跡があります。 二重環濠に、木柵、物見櫓のある 当時の国がありました。
焼き物の郷有田の街中に、臨済宗南禅寺派の桂雲寺があります。 大通りから少し中に入っていますが、 山門の前に一対の仁王像が睨みを効かせています… … この寺は元和6年(1620年)武雄から移って来た寺です。
佐賀県有田町にある陶山神社は、 ここで、陶磁器を焼き始めた、李三平 をはじめとする陶聖をお祀りする神社です。 有田の街を見下ろす高台にあり、陶製の鳥居から見下ろすと JRの佐世保線の線路の向こうに窯元の煙突が見えました。
長崎街道太良往還の宿場町肥前浜町は、 有明海の湊町でもありました。 そんな浜町には、古い町並みが残っていました。 造り酒屋の店舗や蔵がそのままに残っていました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、出兵拠点として築かれた名護屋城は、 佐賀県唐津の先にある半島の北の端にあります。 この城の周りには、各大名の陣屋が120箇所ぐらいありましたが 今は草木の生い茂る中にあります。 秀吉の死後、この城は、建物は取り壊され、…
今は佐賀県の嬉野市になっていますが、 長崎街道の塩田宿がありました。 ここは、宿場町と言う側面と、塩田川の川港 (塩田川から有明海に通じていました) を併せ持っていました。 通りには、火災や風水害に強い居蔵家と呼ばれる 商家の建物が軒を並べてい…
唐津城は、豊臣秀吉の家臣寺沢広高が 慶長13年(1608年)に完成させた城です。 太閤の死後、廃城になっていた名護屋城から、 部材を集め、諸大名の協力を得て完成しました。 現在の城は戦後に建てられた城です。
唐津くんちの山車が巡る経路に、 旧唐津銀行の煉瓦造りの建物があります。 この建物は唐津銀行本店として 辰野金吾の監督のもと、明治45年に竣工しました。 今は唐津市に寄贈され、一般に公開されています。
焼き物の郷佐賀県有田のトンバイ塀のある裏通りを、 西光寺を通り過ぎると レンガの塀の内側にお地蔵さんが、6体ありました。 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上を転生すると言われていますが、 それを救済する仏様が六地蔵です。
佐賀県の南西部の有明海に面した所に、 長崎街道の脇街道の宿場町や有明海の湊町 として江戸時代に栄えた肥前浜町があります。 今も酒造りが盛んで、世界一の日本酒に輝きました。 そんな街中は、酒蔵の白壁土蔵が目を引きます。 肥前浜町
佐賀県の有明海西部にある塩田津は、 長崎街道の宿場町として、 また塩田川の水運を利用した川港として、 江戸時代栄えていました。 今も、大小の町屋が軒を並べています。 白漆喰の居蔵造りの大型家屋が目を引きます。
有田の陶器市が開催される表通りから 少し中に入った、狭い裏通りに、 トンバイ塀の通りがあります。 トンバイ塀のある裏通り トンバイ塀とは焼物の窯の廃材を塀に使ったものです。 この通りにはやきもの工場があります。
佐賀県の西部、海に面した伊万里には、港があり、 そこから、磁器を輸出していました。 また、伊万里の街からかなり離れた 三方山に囲まれた郷には 江戸時代、鍋島藩の窯がありました。 大川内山 道は山に向かい、細くなりながらも、焼物を焼く窯元が続きま…
佐賀県の中央部に、明治維新の薩長土肥の 佐賀鍋島藩がありました。 江戸末期にはどの藩も財政は火の車で 借財が積み上げられていました。 佐賀鍋島藩も商人に払う金がなく、大名行列 を押し留められ、借金の催促を受ける有様でした。 10代の鍋島直正は、…
毎年11月の初めに唐津の街を彩る、 唐津くんちが開催されます。 曳山が、唐津の街を巡ります。 その曳山の経路に、明治45年に 竣工した唐津銀行本店があります。 この建物は、明治の数々の建物の設計に携わった 辰野金吾の監督のもと、赤レンガに白御影石…
佐賀県佐賀市の城内にある佐賀城は、 鍋島36万石の居城でした。 明治7年の佐賀の乱により、大半の建物は焼失して 鯱の門と御座の間(本丸御殿の一部)が残っています。 今は佐賀城公園として整備され、本丸御殿も再建されています。 佐賀城 鯱之門
今年の有田陶器市も終わりました。 陶器市が開催されている通りは、 歩行者天国になりますが、 その通りから少し入り込んだ場所に、 桂雲寺という臨済宗のお寺があります。 桂雲寺 山門の前に仁王像が迎えます。
佐賀県の西部にある有田町は、古い焼き物の里です。 17世紀初め、ここで日本初の磁器が焼かれました。 その後佐賀藩により製磁生産がさかんになり、 有田千軒と呼ばれました。 そんな有田の街で、4月から5月のゴールデンウィーク の期間中に開催されるの…
佐賀県の吉野ケ里町にある吉野ケ里遺跡は、 弥生時代の環濠集落で およそ50ヘクタールに及びます。 今は国営の吉野ケ里公園になっています。 二重の堀と木柵と土塁に守られた内側は40ヘクタールで、 複数の物見櫓が建ち、多数の住民が暮らしていました。…
佐賀県松浦半島の北の端に、豊臣秀吉の朝鮮討ち入りの 前線基地であった名護屋城跡があります。 今は市町村合併で唐津市になっていますが、 周りは山の中に埋もれています。 太閤の死後、この城は、城割がされ、 建物もすべて取り壊され、唐津の城に転用され…
長崎街道上の宿場町塩田は、温泉で賑わっていた 嬉野の隣町で、今は嬉野市になっています。 ここは、有明海に注ぐ塩田川の川港で、 物資の集積地でした。天草の陶土を有田、伊万里に運び、 帰りは、やきものやお米を、大川を経て、大阪に運ばれました。 川港…
唐津城は、高い天守台から天守が聳えており、 離れた場所からも見える城です。 この城も明治の廃城令で、取り壊されて、 昭和になってから、天守が再現された 模擬天守です。 この城は太閤の家来であった寺沢広高が、関ケ原合戦のあとに 完成させましたが、…
佐賀県有田町の国道35号線から 脇道に入り込むと、片側がトンバイ塀の細い路地に出ました。 その先は、煉瓦積みの煙突のある、古い焼き物の工場に出ました。 深川製磁の工場 明治27年に建てられた、製磁工場です。
17世紀後半に佐賀県伊万里の山の中に 鍋島藩の藩営の磁器工場が造られました。 ここでは将軍、大名への贈答用や藩主用の高級品 が焼かれていました。 その後、明治を迎え藩の保護を離れ、鍋島焼の技法は いったん途絶えましたが、近代工芸として、復活し …
佐賀県有田町は、日本で初めて磁器が焼かれた産地です。 積出港の名を取り、伊万里焼とか肥前焼と呼ばれていました。 そもそもの歴史は、1600年の初め、朝鮮人陶工の李参平らが、 有田泉山に陶石を見つけ、磁器を焼き始めた事に始まります。 その後40…
佐賀県吉野ケ里町(旧三田川町)に、 弥生時代の環濠集落の遺跡、吉野ケ里遺跡を 再現、展示する施設として歴史公園が出来ました。 二重の堀に、掘っ立て柱の物見櫓で守られた 弥生時代の国が体験できます。
今は佐賀県唐津市に編入された、 呼子は東松浦半島の北部の漁師町です。 昔(江戸から明治)は、捕鯨で栄え、 鯨組主の中尾家の屋敷が当時の隆盛を留めています。 現在は烏賊のお料理店が立ち並ぶ、街としては、寂びれた漁師町 です。 ここから、そう遠くな…
九州佐賀県の地図を開くと、伊万里市は、西の端で、 長崎県の佐世保の方が、県庁所在地の佐賀市より近いのが 解ります。伊万里は、江戸時代、ここで作られた磁器を、 港から輸出しました。伊万里は貿易港だったのです。 一方内陸の伊万里の秘境にあった大川…
佐賀県唐津市に、地元の辰野金吾氏監督の下、弟子の田中実氏設計の明治45年竣工の唐津銀行があります。 場所は、毎年、唐津の曳山が通る通りにあります。 この銀行の建物の営業は、平成9年まで続き、 平成10年に唐津市に寄贈されました。